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道化の夜

 酩酊状態でわけもわからぬまま、マイクを握り、大袈裟で滑稽な動きをしながら大声で歌った。すぐ脇では、僕が吐き出した吐瀉物を店員の女性がモップや雑巾を使い掃除している。部屋の中央に立っている僕を、ソファに座りながら複数の友達が面白そうに眺めている。僕はその視線を心地よく感じながら、部屋の床にひざまずいた。間も無くして僕は、ひざまずくどころか、床にうつ伏せになった。誰かと誰かが、声をあげて笑った。僕はその笑い声を、心地良く思った。僕はそのまま、ほふく前進をして床を這った。モニターの画面が見えないので、僕は出鱈目で滅茶苦茶な歌詞を歌った。また、誰かと誰かが笑っている。
 部屋のドアが開く音がした。この部屋にいる誰かが、僕のパフォーマンスを不快に思い出て行ったのかと心配したが、ドアを開けたのはこの店の店員だった。「失礼します」とでくの坊のように唱え、でくの坊のようにカクテルとビールとウイスキーをテーブルに置いた。「おい山内、これ飲めよ」小嶋が氷の入ったウイスキーのグラスを握り、僕を煽る。道化師の僕が、観客のリクエストを拒めるものか。僕は立ち上がってそれを受け取り、一気に飲み干した——。

 昨夜の記憶は飽くまでも曖昧だ。小嶋からウイスキーを手渡されたところまでは思い出せる。目覚めた瞬間、ここがどこなのかすぐにわかった。高校の頃から何度も飲み会を開いた、林の部屋だ。
 部屋のカーテンは閉じていなかったが、外は雨が降っていて、薄暗かった。その視覚情報だけでは今が何時ごろなのか判然としなかったが、別に興味はなかった。
 部屋にはまだ林と、太田が寝息を立てながら絨毯の上で眠っていた。新藤は既に起きていて、林の部屋にいつも置いてある漫画『ベルセルク』を、魂が抜けたような顔で読んでいた。僕はまず尿意に気づき、部屋を出てトイレに行った。用を足した後、僕は頭痛に襲われトイレの床に座り込んだ。頭の中で何かが蠢いているような痛みを僕は感じていた。
 やがて、「山内、どうした」と林がトイレの扉を開けた。頭が痛い事を伝えると、「コーラ持ってきてやる」と言って部屋に戻っていった。
 コーラより水が欲しかったのだが、林は二日酔いの時、水ではなくコーラを飲むのだろうか——そんな事を思っているうちに、あっという間に林は戻ってきて、コーラが半分くらい入ったでかいペットボトルを僕に渡した。
 ごくりと、僕はそれを喉に流し込んだ。舌が少しだけ痺れる。コーラの炭酸はまだ抜け切っていなかった。「大丈夫か?」林が僕を心配した。「ああ」と言って、僕は立ち上がり、ペットボトルを手に持ったまま、部屋に戻った。

 僕も含め四人みんなを、やや古いステーションワゴンでカラオケや林の実家まで送ってくれた小嶋は、風俗に行ってくると言って帰ったと、新藤は言っていた。代わりに、林が、残りの全員を親の車で送ってくれた。
「山内、マジ昨日キモかったぞ」ニヤニヤしながら、助手席の新藤が僕に言う。林も、「あの夜この街で一番のキモさだったに違いない」と便乗し、そのにやけてる顔を、バックミラー越しに後部座席の僕に見せた。
「いやー全然覚えてない……」と僕が言うと、新藤が、「どこまで覚えてる?」と好奇の目をしながら聞いて、僕は、「小嶋にウイスキー渡されてから覚えてない」と答えた。すると、「太田、見せてやれよ」と新藤が太田を促し、太田は、にやにやしながらスマートフォンをポケットから取り出して、隣にいる僕に動画を見せた。
 小嶋が、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」を歌っている。そしてその後ろで、僕はそのカラオケに合わせて、訳のわからないシュールで奇怪で阿呆のような踊りを踊っている。「何だこれ」と僕は苦笑しながら言った。その瞬間、車を運転している林が甲高い声で短く笑った。動画は続いた。僕はまだ、その、絶対に「ホテル・カリフォルニア」らしくない踊りを踊っている。僕はすでにこの動画に飽きてきた。「もういいよ」と渋い顔をしながら顔を背ける僕に対し、「いいから見ろよ」と太田が無理にスマホの画面を僕の顔に近づけた。歌い終わった小嶋と、踊り終えた僕が映っている。画面の中で、林が「あれだけ動きあって動き一つもかぶらねえとかどういうことよ」と驚嘆している。同じく、新藤は「情熱大陸出れるんじゃね?」とにやついている。次の曲は、林の「さよなら人類」だった。歌うためにマイクを握る林を無視して、僕が「ラジオ体操、第五!」と叫んだ。どっとみんなが笑った。「第三と第四どこ行ったんだよ」と新藤がつぶやく。そして流れるBGMに合わせて、僕はオリジナルの奇怪な体操をした。小嶋は爆笑している。

 家に着いたら、眠気が溢れるように頭の奥から全身に襲いかかり、着替えもせずにベッドに倒れ込み、タオルケットにくるまって睡眠した。家に着いたのは14時か15時くらいだったが、起きたのは20時くらいだった。せっかくの休みの日を、酒のせいでほぼ寝ることに費やしてしまったことの後悔を抱きながら階段を降り、居間に入ると、母さんが用意してくれた夕飯を食べた。
「昨日結構飲んだの?」
 母さんが僕に尋ねる。
「うん、まあ」
「急性アルコール中毒とかもあるんだから気をつけなよ?」
 心配そうな顔をして、母は僕に助言した。
「わかった」
 僕はそれだけ言って、黙々と肉野菜炒めとご飯を交互に口に入れた。こういう時、僕は時々自分の態度を即座に後悔する。僕のことを思いやり、語りかける母さんに対し、僕の返答はあまりに短く、あまりに淡白ではないか。母さんは、もっと息子と親子らしいコミュニケーションを取ることを望んでいるのではないか。僕はそういう意味で、親不孝なのではないか。しかし、そうは思っていても、いつだって僕はこんな調子だ。面倒くさいというよりも、照れくさいのだ。僕は今19歳だが、きっと、僕は永遠にこの態度を変えないだろう。そして、母さんにも父さんにも二度と会えなくなってから、後悔するのだろう。

 睡眠が好きだ。予定のない休みの日はよく眠る。専門学校が夏休みの今、それは殆ど毎日だ。僕は睡眠が好きだと自分では思ってるが、それは本当だろうか。睡眠が好きという割には、夜遅くまで起きてる。そして寝ている間は意識がないか夢を見ているわけで、たまには印象的で面白い夢や楽しい夢を見ることもあるが、夢を見ることそのものが好きという感覚はない(僕はそれほど現実に嫌気がさしてるわけでもそこから逃避したいわけでもない)。夢は覚えてないことの方が多いし、夢を見ている間、別に僕は気持ち良いわけではない。起きる時もそうだ。たくさん眠って、起きる時、もちろん清々しい目覚めというものはあるが、それは頻繁ではない。頭が半分眠ったまま不快感を伴って起きる時もあるし、それ故に二度寝をする時だって、二度寝は気持ち良いとよく言うが気持ち良いのはほんの少しの間だけで、二度寝を繰り返し、もうこれ以上眠れないとなった時に起きた後、待っているのは頭痛や倦怠感だ。
 それでも、僕は睡眠が嫌いとは思えない。寝るのが好きだと思えてしまう。

 僕がイーグルスの代表曲に合わせて踊っていた夜から一週間が経った。また、先週とほぼ同じメンバーで、酒を飲み、馬鹿騒ぎをする。「今日は何をやらかすんだ?」新藤が、スーパーで酒を選ぶ僕ににやけた顔で問う。新藤の隣にいる太田もにやついている。この面子で特に期待されてるのはやはり僕のようだ。普段無口でクールな振る舞いをしている僕と、酔っ払った時の僕とのギャップが面白いんだと思う。そして僕自身は、その期待に応えたいと思っている。
 今日は太田の家だ。まずは赤ワインでも飲もうと、使い捨ての透明なコップにワインを注いだ。
 飲み会が始まって約二時間後、僕は死んだ。死因は、短時間での多量のアルコール摂取による急性アルコール中毒だった。

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