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僕の幸せって?

オーストラリアに来てから、自分の中にある将来に対する野心というか、使命のように感じていたものが薄れてきている。

日本にいた時(半年前)は、中学野球のコーチを約3年間経験させて頂き、人を育てることや導くことを常に考えており、自分が生涯かけてぶつかっていくべき問題や、将来自分がどのように社会に貢献できるのか、つまり仕事を自分の人生のベースとして考えていた。

自分自身の生きる意義は、恵まれない子ども達に対し教育を施すことによって、子ども達自ら生きる意義を見出し、心から幸せと思えるように、充実した人生を送れる手助けをすることだと思っていた。

そのためには、今まで何もかも恵まれた環境で生きてきた自分が、何かに「恵まれない」という環境で生き、生きることそのものの苦汁を味わわなければ、その子ども達に本当の意味で影響を与えることはできないと思い、海外へ飛び出してきた。


正直、苦労と感じることは多々あるが、発展途上国で暮らす人たちからすれば、自分が感じているものは苦労でもなんでもないだろう。


自分自身、良くも悪くも外界(他人、本、環境など)からの影響を受けやすいタイプで、海外生活で今まで感じることのなかったこと、目にしたこともなければ考えたことすらなかったことを感じたり目にしたり、考えたりする機会が毎日のようにあり、刺激を受けまくっている。


そんな自分が半年間オーストラリアで暮らし、最も強く影響を受けたことは、自分自身の好きなことや幸せについて考える機会が増えたこと。

これが冒頭に書いた「将来に対する野心」が薄れている原因だ。


教育を通じて、世界の子ども達に影響を与えることが自分の幸せ、やりたいことだと思い込んでいたが、最近は「本当にそうか?」「知らないうちに見えない鎖に縛られすぎていないか?」と、今まで信じていたことを疑い、「じゃあ自分の本当の幸せは?」ということを考えるきっかけをもらった。

自分の人生を自分の意思で好きなように生かして頂いている両親、環境に感謝して、もっと素直に自分の生きたいように生きてもいいのかなと思う。

その「自分の幸せ」は、旅によって外界から影響を受け続け、自分自身と会話することによって見つかるのでは?と考えている。

オーストラリアの文化に触れることで、このように考えるきっかけを手にしたので、もっと色々な国の文化に触れている自分を想像すると、未来が楽しみでならない。

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