チェスの威厳性
私は実は、棋道部の部長を務めている。最近は部長としての陰は中々に薄いが、隅でも活動はしているつもりである。
そんなことはさておき、棋道部の活動では主に将棋とチェスを嗜んでいる。これらのゲームは、他のゲームとは一線を画す完成度を誇る。長い歴史を持つ両ゲームではあるが、これらのゲームは他のゲームと決定的な違いがるであろう。
それは、過去の自分の責任の連鎖にあると思う。チェスはもとより自分と相手の二人の攻防である。それぞれが同じ手駒を持っており、完全に互角な場所からのスタートで、自分のコマの配置、動きは全て自分が判断する。
そして、中盤、終盤と一局を通しての自分の行動は、次の自分の番での立場を完全に決定させる。これほど、自分の行動が響くゲームは類を見ない。無論、相手の動きによっても自分の行動というのはある程度制限はされてしまうが、それにどう対処するかは自分に委ねられている。
実際、これほどまでにチェスや将棋が浸透したのも、これに起因するからではないだろうか。数十手、数百手先の盤面を想像しながら過去の積み上げである今の一手を打つ。表面上からは到底見えない、そんな読み合いの攻防もさらにこれらのゲームの魅力を引き立たせる。
またもや短い記事ではあるが、そんな1週間もあってもよかろう。
地道ではあるが、ゆっくりとこれからも記事を書いていきたいと思っている。ではでは、またの記事でお会いしましょう。
抹茶たいやき
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