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【小説】ヴァン・フルールの飴売り 第8話

 チェイスは俯いたまま部屋の隅でうずくまっていた。
「……こんなに簡単に、独りに……元通りに、なっちゃうんだね。僕の居場所、ここしか無かったのになぁ……」
 あはは、と虚しく笑う声が部屋に響く。彼の顔は髪に隠れてよく見えないが、その肩は小刻みに震えていた。
 アンベールは憐れむようにチェイスを見つめ、そっと近づいた。チェイスのしたことを許す気は無い。しかし、心から憎む気にもなれない。彼は彼なりに、ただ純粋に「友達」を作って共に過ごしていたかったのではないか。少しやり方が強引だっただけで、本当は。
 アンベールがチェイスの顔を覗き込んだ、その時。
「……お前らのせいで」チェイスが顔を上げた。
「お前らのせいで……全部台無しだ‼︎」
 瞬間、チェイスはアンベールに飛びかかり鋭い爪で切り刻もうとしてきた。間一髪で避けたが部屋の壁に深い爪跡が残る。そこから壁紙がぽろぽろと崩れていく。家具が蹴散らされ、踏み荒らされた床には亀裂が入る。
「逃げて!」イヴリーンがチェイスの前に立ち塞がり、アンベール達を振り返って叫ぶ。彼女はもう、召使いの蝶でも十歳の少女でもない。黒いワンピースを着た大人の女性に戻っていた。
「な、何やってんだよ! 姉さんも逃げるよ、一緒に!」
 ウィリアムの言葉にハッと目を見開く。私も逃げていいんだ。もう、ここにいなくてもいいんだ!
 イヴリーンはウィリアムの手を取り、崩れゆく部屋から逃げ出した。

「いやぁ、なんだか大変なことになっちゃったねぇ」
 リュカがどこか楽しげに言った。双子は大人になったイネスと手を繋ぎ、いつも通りね、と微笑み合った。熊のぬいぐるみに変えられていたニナも、魔法が解けて元の姿に戻っていた。
「アンベールさん、屋敷全体が崩れる前に早く逃げましょう!」
 ウィリアムは上司に話しかけた。しかし、アンベールは眉間に皺を寄せて何かを考え込んでいるようだった。
「……アンベールさん? どうしたんですか?」
「ん? あぁ……まだ何か引っかかるんだ。俺たちは本当にこのまま屋敷から逃げてしまっていいのだろうか……」
「え? 事件はもう、解決したんじゃないんですか? 『飴売り』の正体も分かったし、子どもたちも無事にここから出られたじゃないですか」
「でも、あいつの……チェイスの問題がまだ解決してない」
 アンベールは、廊下のはるか奥から聞こえる物音の方を振り向いた。
「追いかけてきてる!」双子が息を呑む。
「チェイスの? なんでチェイスの問題を解決しなきゃいけないんですか? それに……記者の仕事は事件を解決することじゃないです。取材して分かった事実を伝えるのが記者の仕事だって、入社した時そう言ってくれたじゃないですか」
「そうだ……確かに、その通りだ。だが、今の俺は『記者』だけじゃない。『関係者』でもあるんだ。巻き込んで、申し訳ない……でも今だけはどうか、『関係者』として事件を解決させてくれ。チェイスが抱えている問題を解決しないと、また多くの人が被害に遭ってしまうんだ……頼む!」
 アンベールは必死の形相でそう言った。それはウィリアムが初めて見る表情だった。
「アンベールさん……」
 ウィリアムは少し考えた後、軽く頷いて言った。
「……分かりました。僕も最後まであなたについて行きます」
 ありがとう、と上司が安心したように笑む。
「でも、チェイスの問題って何なんですか?」
「ウィル、よく思い出してみろ。俺たちが今まで取材してきた人の中に、チェイスと深く関わっていそうな人がいたはずだ」
「深く関わっていそうな人……?」
「ああ。だから、その人が本当にチェイスと関わっているかどうか、実際に会ってもらって確かめたい。その人が語ったことが事実なら、チェイスが少女だけを屋敷に閉じ込めていた理由にも納得がいくんだ。だが、今のままでは事実かどうか分からない……あの話は、まるで童話のようだったからな」
「童話……? あ!」ウィリアムは目を見開いた。

 森の入り口には、警察と町の人々がランタンを持って集まっていた。
「皆さんは危険ですから、どうかここでお待ちください」
「いえ、私たちも協力させてください」
「もう『飴売り』の好きにはさせたくないんだ!」
「何としても今日こそは、いなくなった子どもを見つけるぞ!」
「よし、みんな準備はいいか? 捜索開始だ!」
 町の人々が走り出す中、エバは森の奥を心配そうに見つめていた。

「童話って、エバさんが話してくださった、女の子と悪魔のお話ですよね。でも、それとチェイスとの関係って……?」
「あの童話には森の奥の屋敷が出てくる。おそらく、この場所のことを指しているんだろう……それに、エバさんはあの童話をこう締め括っていたはずだ。『それから長い時が経ち、女の子はすっかり女の人になって、年を取りました。しかし、彼女は今も待ち続けているのです。あの優しい悪魔に、もう一度会える日を……』と」
「つまり、その悪魔がチェイスだとすると……」
「悪魔に助けられた女の子とは、エバさん自身。実際にあったことを、童話として語り継いでいるんだ」
「でも、どうしてそんなことを?」
 ウィリアムが尋ねると、そばでじっと聞いていたリュカが言った。
「そりゃあ、『悪魔に助けられた』って言っても信じてくれる人は少ないからだろうね。童話として話せば、架空の出来事として多くの人に受け入れられる……本当は、事実として語りたかったろうに」
「そうですね……」
「……おっと、話に割り込んじゃってごめんね。アンベールくん、続けておくれ」
「いえ、お気になさらないでください。補足してくださりありがとうございます……今、俺たちがすべきことは、エバさんにチェイスと会ってもらうこと。それから……」
 言いかけたアンベールの背後で大きな音がした。すぐ足元の床が崩れ落ち、廊下の奥の暗闇から、赤い目が睨んでいる。
「ここから出ることだ! 走れ!」
「うわぁぁぁぁあああ‼︎」
 倒れてくる柱や振り子時計を避けながら、アンベール達は崩れ出した廊下を駆けていった。

 廊下を抜けて階段を駆け降り、一階の玄関へと走る。後ろからは「待てぇ」と鋭い声が追ってくる。双子の顔が青ざめる。
「どうしよう、チェイスさんが……!」
「早く出よう。この扉を開ければ……えっ」
 入口の扉はびくともしなかった。
「……閉められたか」
「ア、アンベールさん……!」
「大丈夫だ。絶対にここから出る。誰も置いて行きはしない!」
 アンベールは取っ手を掴んで力の限り引っ張った。すると、その手にウィリアムと、リュカと、ニナとニノンとイヴリーンとイネスと……いくつもの手が添えられ、重なっていく。アンベールは取っ手を握る指により強く力を込めた。
「せーの!」
 激しく軋む扉の隙間から、だんだんと光が漏れ出してくる。隙間が少しずつ広がっていく。
「あと、もう少し……」
 重なり合った手に互いの指先の震えが伝わる。それでも手が離れることはなく、しっかりと取っ手を握りしめて引く。そして。
 ばん、と大きく扉が開き、蝶つがいから外れた。アンベール達は弾かれるように後ろに倒れ込んだ。
「おい、誰か出てきたぞ!」
「ねぇ、あれって……」
「ペレスさん家の子だ!」
 眩しさに目を細めると、たくさんの人のざわめきが聞こえる。アンベール達の周りを、既に屋敷に辿り着いていた町の人々が取り囲んでいた。
「あんたら、大丈夫か」
 気難しそうな老人が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ギヨームさん……? どうして……」
「皆が今日こそは子どもを見つけるって意気込んでてな……わしは半分諦めてしまっていたんだが、自分だけいつも通りにしとる訳にもいかんだろう。久しぶりに捜しに来たんだよ」
 ギヨームは、両親と抱き合う双子を見つめた。
「子どもが無事に見つかって良かった……今までいなくなっていた子も、さっき無事に帰ってきたらしい。すっかり大きくなって……あんたらが取材を続けてくれたおかげだよ。事件を解決するために、こんなに身体を張ってくれる記者は初めて見た……この前は酷いことを言ってしまって、申し訳なかった。本当に、ありがとうな」
 そう言って、ギヨームは不器用に微笑んだ。アンベールの脳裏に、気難しい祖父の懐かしい記憶が蘇る。込み上げる思いを抑えながら、「……いえ、お気になさらないでください」と震える声を絞り出す。
「アンベールさん、これからどうしますか?」
 相棒が服に付いた埃を払いながら尋ねてくる。
「そうだな……まずはエバさんを探して……ん?」
 集まった人々の中に見覚えのある顔を見つけ、二人は目を見張った。

「……良いなぁ、君は。独りじゃないもんね」
 突然、背後で暗い声が呟いた。振り向くと、すっかり廃墟と化した屋敷の中で、赤い瞳が寂しげに光っている。
「何言ってるんだ、お前も独りじゃないだろ」
 アンベールが言うと、チェイスは訳が分からないと言うように眉をひそめた。
「……何が言いたいの?」
「ウィル、あの人を連れてきてくれ」
「はいっ!」
 駆け出したウィリアムは人混みをすり抜け、一人の女性の手を取って戻ってきた。チェイスを見た女性の目が、大きく見開かれていく。
「……チェイス、さん?」
 チェイスも彼女の青い瞳を見つめ、息を呑む。
「……エバ……」
 エバはチェイスに歩み寄り、真っ黒な毛で覆われた巨大な身体に埋もれるように抱きしめた。
「会えて良かった……!」
「……僕のこと、覚えててくれたの?」
「ええ……あなたのこと、一度も忘れたことは無いわ。また会える日をずっと待ってた……」
 チェイスの目が潤み、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちてくる。
「ぅ……っぁあっ……あ……っごめん……ごめんなさい……僕、君とはもう二度と会えないと思ってたから、『友達』をたくさん作って……君みたいに、僕を怖がらずにそばにいてくれる子を探してたんだ……」
 エバは何も言わず、ただ穏やかに微笑みながら、肩を震わせて泣く彼の身体を優しく撫でていた。
 東の空からばら色の光が差し込む。二人の新聞記者はエバとチェイスを静かに見守っていた。

 アンベールとウィリアムは、イネスとイヴリーンを一時的にリュカに預け、パリの新聞社に戻ることにした。そして、自分たちが見た全てのものを包み隠さず記事に記した。記事を確認した編集長からは「こんな信憑性の無い記事載せられるか!」と突き返されてしまい、新聞には「ヴァン・フルールの連続失踪事件が解決した」ことを知らせる記事が小さく載っただけだった。それでも二人は、事件の解決に関わることができたのを誇りに思っていた。
 新聞が町に出回った頃、二人は再びヴァン・フルールを訪れた。アンベールは実の両親や祖父のギヨームに会って、自分が失踪したヴィルジール・ブグローであることを告げた。ギヨームは静かに涙を流しながら、最愛の孫を強く抱きしめた。一方、ウィリアムはリュカの家を訪ね、イヴリーンをアメリカに連れ帰った。実家の母親の記憶はチェイスの魔法が解けた際に全て戻っていた。母親は声を上げて泣きながら、娘を強く抱きしめて離さなかった。
 合流した二人は、リュカに感謝の意を伝えた。
「こちらこそありがとう」
 リュカはいつものように気さくな笑顔で答えた。
「イネスさんは、今ご自宅に?」
「うん。久しぶりに家に帰れるんだって喜んでたよ……君たちは、これからどうするの?」
「新聞社に戻って取材に行きます。パリでも新しい事件が起こっていますから」
「そっか。いやぁ、大変だね。たまには休憩も大事だよ」
「そうですね……新聞社で一息ついてから出かけます」
「うんうん。その方が良いよ」
 アンベール達は和やかに笑い合った。
 ヴァン・フルールの連続失踪事件は、こうして幕を閉じたのだった。

 二人がパリに戻ってからニヶ月が経過したある日、編集長が二人を呼び出した。
「今朝、この手紙がヴァン・フルールから新聞社宛てに届いてたんだが……心当たりはあるか?」
 手渡された封筒には、リュカ・バレットの名が書かれていた。
「! はい、あります」
「おお、そうか。よし、じゃあ渡しておくぞ」
「ありがとうございます」
 自分の机に戻って、さっそく封を開けてみる。丁寧に折られた便箋を開くと、綺麗な字で流れるように、こう書かれていた。


親愛なるアンベールくんとウィリアムくんへ

この前は事件を解決してくれて、本当にありがとう。いなくなった子どもたちが全員、戻るべきところに戻ることができて良かった。町のみんなも君達に感謝してるよ。代表してここに伝えておくね。
それに、この手紙を書いたのは、近況を報告したかったからでもあるんだ。ここ最近でいろんなことが起きてるからね。

まずは、森の奥にあった屋敷について。あの後警察が調べたら、瓦礫の中から骸骨がいくつも出てきたらしくて大騒ぎになってたよ。たぶんイヴリーンが言ってた、おもちゃやお菓子に変えられた人たちだと思うな。いなくなった大人たちはもっと酷い目にあったみたいだね……せっかく失踪事件が解決したのに、後味の悪い話題になってしまってごめんよ。

次に、エバさんについて。エバさんはチェイスくんを家に連れて帰って、しばらく一緒に暮らしていたらしいよ。でもね、その後一ヶ月ぐらいで亡くなってしまったんだって。寂しくなるね……町のみんなできちんとお別れをしたよ。今は、彼女が子どもの頃にいた孤児院の近くにお墓が建ってるんだ。もしまたヴァン・フルールに来る機会があったら、ぜひ挨拶してあげておくれ。

最後に、とても個人的な話題になっちゃうんだけど……イネスと一緒に暮らすことになったよ。あの後気持ちを伝えたら、にっこり笑って「私も」って言ってくれてね。彼女の親御さんとも仲良くなれて、本当に良かったよ。暗いニュースが続いたから、ひとつくらいは良いことを知らせておかないとね。

近況はこんなところかな。もし何かあったら、そっちで起きてる事件のことも聞かせておくれ。楽しみにしてるよ。
とにかく、今回は本当にありがとう。君たちとは良い関係を続けていきたいから、これからもよろしくね。

              リュカ・バレット


 読み終えた二人は、顔を見合わせて微笑んだ。
「ウィル、今度もう一度ヴァン・フルールに行こう」
「そうですね。リュカさんや町の皆さん、エバさんのところにもご挨拶しに行きましょう……ん?」
 ウィリアムが手紙に顔を近づける。
「どうした?」
「この手紙……続きがあるみたいです。ほら、リュカさんの名前の下に……」
 アンベールはウィリアムと一緒に、目線を下に動かしてそれを読んだ。そして、二人で目を見合わせて再び微笑み合った。
「……邪魔しちゃ悪いから、エバさんのところには長居しないようにしよう」
「そうですね」


追伸

エバさんのお墓の前に行くと必ず、どこからか甘い香りが漂ってくるんだ。飴みたいな、甘い香りがね。



                〈おしまい〉

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