アジアの誘惑
このマガジンでは留置場で読める官本から、私が心に残った本や人生における気づきを得た本をご紹介させていただいている。
そんな中で前回にもバックパッカーの旅行記を紹介させていただいたが、その中で「勘違い」について話をした。
ルールと常識の正体を知った時に我々がいかに社会に洗脳され染まっているのかを知る。世界の成功者というのは、この洗脳が効かなかった勘違い野郎ばかり。
勘違いだろうが自分を信じることが最高のドーピングになって、実力以上の力をださせてくれるのだ。
このドーピングは合法だから安心して欲しい笑
ちなみに私はお薬関係で留置場にはいったわけではありませんからっ。
余談ながら施設内では新聞も読めるので、それなりにリアルタイムで社会の動きを知ることができる。私が留置場にいたときに槇原敬之の裁判もあったようだ。
この身になってはじめて近い立場の人の心理状態について思いを張り巡らすことができる。これまでは「馬鹿だな~」くらいしか思わなかったけど、そこに至る心理にまで踏み込んで考えると、赤の他人が簡単に人を裁くことなんてできない。
前回にも書いたが私はバックパッカーの経験はないが、仕事で海外へ行くことが多い。本書も少し昔のアジア旅行体験記である。
だから大体想像はできるので「こんな体験できたらなぁ」などと楽しい想像しながら一気に読んでしまった。
本書は旅行記のエンタメ本としても非常に面白い。もちろん今でもアジアの片隅ではこんな場所も残っているだろう。なんといっても学びがあった。
そう。それは「心をアジアにする」というところ。この禅にも通じた達観が人生においては必要だと思う。夕暮れどきにアジアの街に着く。そして肌が熱帯のとろりとした空気に包まれ、肩の力がスーッと抜けていく。
忙しかった日常の垢も溶けていく。日がな一日、茶屋で人々を眺めたり、あてもなく街をぶらつく―怠惰に過ごすという快楽。幸せの定義って人それぞれ立場によって変わってくるもの。
しかし、お金があれば多くのものを解決してくれるものの、肝心な何かを失ってします。忙しければ判断も誤ってしまうこともある。
時にゆっくり立ち止まって「心をアジアにする」ことが、これからの世界で生きていくうえで必要な心構えかもしれない。
世界的に広がった新型コロナウイルスによって経済活動は制限され、取り戻すために皆、余裕をなくしつつある。これは当たり前。
私は突然の逮捕から勾留され、人生がビジネスが中心とすれば止められたことになる。新型コロナも重なって私も当然、余裕なんてない。
だけど家族には申し訳ないけど、私は「心をアジアにする」事によって乗り切れた側面があるのだ。
もちろん家族や弁護士との面会も心強かったし、妻と面会できた時は「夢じゃないの?」と本気で疑った。でも、刑事との取り調べより当社比700%アップくらいで緊張したな~。
これまでにも、たくさん心労をかけているので彼女にも「心をアジアにする」技を伝えたい。プーケットには行ったことがあるみたいだから、なんとなく理解してくれるのではないだろうか。
心や身体を休めるのと心をアジアにすることは似ているようで根本的に異なるのだ。現代人は本当に忙しいが、こんな目まぐるしく生きているのは歴史の中ではほんの短い期間に過ぎない。
本来人間はもっとゆっくり生きるべきなのだ。どんどん便利な世の中になったが、ガジェットが増えるほどやるべきことリストが増えていく。
この「心をアジアにする」技は現代人がもつべきライフスタイルの一つかもしれない。人に優しくとは言うけれど、自分に優しくできない人がそうはできない。
皆さんもこの本を読んで人生について見直して欲しい。本書は人生の幸せチケットだ。
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