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「ごちそうトマト」をかじりながら

山口県下関市。私の生まれたこの街は本州の西端に位置し、日本海(山陰)と瀬戸内海(山陽)の二つの海洋に挟まれた小さな港町である。関門海峡を挟んだ対岸の九州・門司とは最も狭いところで僅か600メートルの距離しかない。潮流激しいその海域は早鞆の瀬戸と呼ばれ、九州側の海岸を和布刈(めかり)、下関側は壇ノ浦と呼ばれる。この海峡の潮速は鳴門海峡、来島海峡についで国内第3位で、その狭い海域を一日500〜600隻の船が往来する。現在は橋とトンネルで結ばれたこの海峡の両岸の地は、平清盛が日宋貿易を展開する際の要路として、そして江戸時代には北前船の寄港地として栄え、近代以降は中国大陸や朝鮮半島との交易の基点となった。

武蔵と小次郎の決闘の地として知られる巌流島や、平家の敗戦とともに入水した幼帝、安徳天皇を祀った赤間神宮とその敷地の一隅にある芳一堂(耳なし芳一が祀られる)などが代表的な観光スポットで、幕末に活躍した高杉晋作などの志士ゆかりの処も数多くあり、それらを散策するのもけっこうおもしろい。

私は18才でこの街を出て、気が付くと40年以上が経つ。勝手なもので、当時は「せいせいとした気分」で離れ、振り返ることもなかったその街のことを、今はとても懐かしく思い、そこで独り暮らす母のことを想わぬ日はない。

下関は私の故郷である。

【2019年(令和元年)7月13日】

今、岡山のホテルにチェクインしました。新幹線さくら566号はシートも広くて快適でした。途中、広島と福山にしか停まらないので1時間20分で着くんですよ。便利ですね。

 沖縄と福岡で仕事をすませた後、なるべく急いで帰宅したつもりでしたが、待たしまってすみませんでした。お昼はすませてから行く、と予め電話しとけばよかったね。

 帰省して、母さんとドライブ。これはとても楽しいひとときです。今回はあまり行った事のなかった彦島や漁港、フェリー乗り場など、下関のあらたな魅力に触れることができました。江之浦の造船所や関釜フェリー「はまゆう」を見たのは小学校以来ではないでしょうか・・。

 「ちょっと足を延ばして糸島や大宰府へ行こう」は驚いたでしょう。でも関門橋を通り、高速道路を利用すれば近いものです。糸島のカレントというお店は、母さんもご存知のとおり、TVや雑誌に何度もとりあげられたあの辺りでは有名なベーカリーカフェです。サーフィン好きのオーナーはなかなかのやり手実業家で、今や数件のお店を経営して、糸島ブランドの旗手的存在みたいです。店員さんもイケメン揃いでパリッとしてましたね。
40年前に大学の友人O君の実家を訪ねて行ったころは漁港と畑しかない、まさに我が故郷と肩を並べる田舎だったんですが、ずいぶん差をつけられました(笑)

 あまおう(苺)や野菜など地産地消の食材とその加工品を柱に地域おこしを成功させている地元の方々の努力には頭がさがります。きっと数えきれないくらいの試行錯誤があったはずです。それらを糧として拓かれてきた成功への道筋を私も研究してみたいものです。

 大宰府も一緒に行くのは久しぶりでしたね。昔、父さんが運転していたころは、福岡空港へ迎えに来てもらうついでによく連れてきてもらいました。いつも梅が枝餅をたくさん買ったものです。(あの頃はあんこ菓子が実は苦手だったので、嬉しそうに何個も食べる父さんな事を不思議に、というかあきれて見てました)。参道の景色はだいぶ変わりました。何よりも海外からの来訪者の多さにはあらためて驚きました。雨模様の平日であれだけ参道が賑わうのだから、旧正月あたりは駐車場確保も大変でしょう。長年観光業に携わってきた人間としては嬉しいかぎりです。

 本殿の裏手の茶店の脇から天開稲荷神社へ上る小路はけっこう勾配がきつく、さすがに息があがり汗びっしょりになりました。この小さな神社は、パワースポットとして海外でも有名になっている処だそうです。私もいろんなことお祈りしてきました。
久々の福岡遠足、楽しかったです。時折母さんが発する、元バスガイドらしい貫禄に満ちたコメントも頼もしかったですよ。「一時停止無視」の罰金7000円は余計でしたが・・

 垢田の街を歩いても、もうさすがに知り合いに会うことは無くなりました。古い建屋は少なくなり、水田も宅地や道路となり、蛙の合唱も聞けなくなりました。同級生や友人もほとんどがここを離れました。寂しいですが仕方ないです。
家族を養い、安心して暮らせるだけの収入を得る仕事が地元になく、都会に出て暮らすしかないという地方の就職事情は、昔も今も変わりません。インターネットや働き方改革などの新たな理念と道具が地方を活気づけることは、実際にはあまり無いと思います。地方はこれからもずっと就業機会の縮小と若者減少という現実と戦い続けるしかないんです。
「若者は都会ならなんとか暮らせる、でも田舎では無理」この流れはこれからもっと顕著になってゆきます。

 でも、地方を捨てざるを得なかった若者が、苦労して子育てを終え、少しペースダウンした人生を送れるようになった時に、故郷を振り返り、そこでできることを探して戻ってくることもあります。その時のために準備をする中年予備軍も増えてくるかもしれません。若者が減っても、元若者がいろんな経験を積んで戻ってくる、それはきっと地方活性化の一助となると思います。

 果肉の堅さがなつかしい垢田のトマトにかぶりつきながらそんなことを思いました。そうそう、このトマトは、いまでは「垢田のごちそうトマト」という立派な名で高級品として流通しているそうですね。しかも近所のEさん達が年月かけて改良して世に出したとの事、ちょっとびっくりかな。

 あ、そうだ。明日はチエの誕生日です。母さんの写真とメッセージを送っておきます。

 おやすみなさい。

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故郷でひとり暮らす母に綴った手紙を少し手を加えて投稿します。私的なエッセイなので、退屈かもしれませんが、よろしければ読んでみてください。何の変哲もない中年オヤジですが国内外のいろんな街に住み、第二の故郷がたくさんあるのが自慢です。
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