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Next Lounge~私の鼓動は、貴方だけの為に打っている~第1話 「紛糾」

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

主題歌:イメージソング『Perfect』by P!NK

https://www.youtube.com/watch?v=vj2Xwnnk6-A

『主な登場人物』

原澤 徹:グリフグループ会長。

北条 舞:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 チーフ テクニカルディレクター。

リサ・ヘイワーズ:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 事務。

ジェイク・スミス:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 事務。

シャロン・キャリー:ロンドン・ユナイテッドFC総務部 総務課 チーフ。

ケイト・ヒューイック:グリフ製薬会社社長。ロンドン大学ユニバーシティーカレッジ客員教授。

エリック・ランドルス:ロンドン・ユナイテッド FC 秘書部 秘書室長。

トミー・リスリー:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 総務部長。

イ・ユリ:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 課長。

サムエル・リチャード;原澤会長専属の運転手

トニー・ロイド:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 契約課 課長。

デラス・モイード:ロンドン・ユナイテッド FC 監督。

☆ジャケット:グリフタワービル最上階 役員会議室にて、原澤会長。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

第1話「 紛糾」

「何ですって!?」
 ここ、ロンドン・ユナイテッドFCの役員会議室にエージェント課イ・ユリ課長の怒声が響いた。黒髪の美しい長い髪がまるで怒りに任せて逆立つようにうねる。在英朝鮮人の彼女は、まるで女優のような容姿にモデルのような身体をしているのだが、そのエキゾチックな魅力が恐怖を助長しているように見える。
「申し訳ないが、2018年の今期で契約が切れるので、私は『ここを去るタイミング』だと理解した。」
 イングランド3rdリーグの『フットボールリーグ1(24クラブ)』に所属しているロンドン・ユナイテッドFCは、今節の折返しに6位とまずまずの位置にいる。上位2クラブが自動昇格3位から6位のうち、プレーオフにより1クラブが昇格し、下位4クラブが自動降格となる現状から考えるとイギリス人監督デラス・モイードの成績は悪くない。なのに、契約が残っている今に解除要求をしてきた・・ユリ課長の表情は強張り更なる罵声を吐き出しそうだ。
「モイード監督、そうなると契約不履行による違約金の発生となるが、それは当然理解しての発言なのかな?」
 アフリカ系イングランド人の契約課課長トニー・ロンド。口髭を蓄えた恰幅の良いイングランド黒人で、丸刈りの鋭い目つきは強面で有名だ。彼が卓上にて両手を握り上目遣いにモイード監督を見据えた姿は、まるで熊が獲物を獲る瞬間のようだ。
「仕方ないですね、理解していますよ。」
 モイード監督が、斜に構え言い放った時だった。
「ちょっと、いいかしら?」
 ここで挙手したのは、グリフ製薬会社社長にして、ロンドン大学ユニバーシティーカレッジ客員教授を務める才女、ケイト・ヒューイックである。ウェーブのかかった長いブロンドヘアにブルーアイが特徴の彼女は、まさにグリフ製薬会社の頭脳というべき実力者。彼女は細胞生物学の権威で、その開発した抗体医学の抗がん剤で助けた世界の癌患者は数知れない。次期ノーベル生理学賞候補とまで呼ばれている。グリフ製薬会社は、ロンドン・ユナイテッドFC創設者である、ラドワード・グリフ会長がCEOを務めていた親会社であり、その規模は市場3位で売上高は前年500億ドルを超えている。
「何か不満でもあったのかしら?例えば・・そうねぇ、待遇面とか?」
「いえ、ケイト社長。それなりの成績を出していればモイード監督の言も受け入れられますが・・」
「ユリ課長、控えて頂戴!貴女に聞いていないわ。モイード監督、伺っても?」
 ケイト社長の発言で口元を歪ませ嘲笑混じりに話したユリ課長であったが、逆にケイト社長に遮られ眉間に皺を寄せ黙ってしまった。モイード監督はと言えば、ケイト社長の歩み寄る姿勢を心地よく感じたのか、少し相好を崩して向き直り1つ空咳をすると語り始めた。
「ケイト社長、私はチームをフットボールリーグ・チャンピオンシップに進めるために参りました。しかし、希望通りの選手を獲得してくれない!これでは、勝てる試合も落とすのは当然だ。」
「はぁ?何それ!悪いのは、ウチの方だと言いたいわけ!?」
 ユリ課長は、耳朶まで紅く染めると、さも呆れたような手振りで捲したてる。
「内々にと言ってますよね!今年度、当社は企業買収中であることからも、使える予算が厳しいと。」
「勿論、分かってはいるが、限度があるだろ。要求した獲得した選手が1人だけなど、話にならない。それで『結果を出せ!』などと笑い話にしかならないね。」
「よくもまぁ・・貴方、言いましたよね?『大丈夫だ。任せてくれ!』と。違います?」
「た、確かにあの時はそうだった・・かもしれない。しかし、それはあの時だったからだ。今は事情が違う。」
「事情とは?」
 今までユリ課長とモイード監督の口論を傍観していた秘書室長のエリック・ランドルスは、モイード監督の発言を訝しんだ。オーストラリア出身でブラウンヘアーをナチュラルなオールバックにし、無精髭を生やしたその風貌は、ワイルドかつ筋肉質の高身長から織りなす渋い印象で雄の色気を漂わせている。そのため、社内でも女性達に人気があるのだが、その一徹さから前社長の信任も厚く、現会長も信用を置く人物であった。モイード監督は、一瞬、引き攣った笑みを浮かべ直ぐに微笑へ切り替えた。
「リーグ戦開始前と後では、戦力の事情が異なる。そう言った意味ですよ。」
「その様なこと、私は貴方から伺ってはいないぞ?」
 総務部部長のトミー・リスリーが"じろり"と睨み付けるとモイード監督は、視線を外し空咳をした。エージェント課、契約課、広報課及び総務課を統括するこの男は、頰がコケ、口髭を蓄えた優男であったが眼光は鋭く、厳しさでは有名な上司であった。金髪のミドルヘアを後ろに流すヘアスタイルは彼の定番であり、アイルランド系の母親と溶接工の父からなる生粋のロンドン子だ。幼少期にアルコール依存症の父に悩まされた家族を支えて働いた苦労人でもあるが、自身も父と同様にアルコール依存症に悩まされた過去を持つ。
「常識だからです。当たり前のことだ。」
 ケイト社長は、ため息をつき立ち上がり退席しようとしたのだが、その腕を隣に座るエリック室長が軽く触れた。
「もう少しだけ、観てみませんか?」
「エリック。こんな茶番劇、私には時間の無駄だわ!」
「まあ、そう言わずに。さ、どうぞ。」
 ケイト社長が離席しようとしたことで、役員達に緊張が走る。モイード監督も手元に視線を移したまま動かない。すると、トミー部長は席を立ちユリ課長に声を掛けた。
「少しいいかね?」
「はい?」
 トミー部長とユリ課長は席を立ち、そこから離れると背を向けて小声で話し始めた。
「彼は、2年契約だったな?」
「はい、そのはずですが・・」
「僅か半年・・もしかしたら、ウチと契約した時に他チームからのオファーを引きずっていなかったか?」
「まさか?・・でも、そうですね可能性はあるかもしれません。でも部長、ロイド課長も確認してるはずですが?」
「勿論。だが、抜けがあったかもしれんぞ、どうするつもりだ。」
 ユリ課長は、顎に右手を当てて考えた。
(まさか、彼女の言った通りになるなんて・・)
「契約課が引き継いでます、あちらで謝罪報告するのが筋では?」
「そうはいかんだろ?キミが連れてきた監督だ。例え契約課に不備を指摘しても推してきたキミの責任は免れん。」
 トミー部長からの追求に返す言葉も無く、ユリ課長は黙るしかなかったが謝罪することは無かった。
「時期監督についての代替案を提示しなければなるまい。どうなんだ、出せるのか?」
 彼女は"はっ!"と気付いた表情をしトミー部長を見た。
「部長、うちの北条による発言を許可願います。」
「何?北条くんにか?」
「はい。以前、彼女から検討中の案を聞いてましたが、如何でしょうか?」
「ほう!北条くんの。しかし、検討中とは?」
「何をコソコソやってるの!いい加減にして頂戴!!」
 待たされている役員達が私語を始めたため、ケイト社長が痺れを切らした。
「取り敢えず呼びましょう。」
 ユリ課長は、そう言うと会議室の自席に戻ると軽く微笑みを見せ言った。
「すみません、少しお時間を頂きます。」
 ケイト社長の嫌そうな表情が、視線の端に入ったが無視し踵を返すと会議室の扉を開け前室の受話器を取り、番号をプッシュした。
"トゥルル!トゥルル!"ガチャ!"
「はい、エージェント課でーす。」
 受話器から気怠い女性の声がした。ユリ課長は、軽く舌打ちをすると受話器に話しはじた。
「あたしよ。」
「あ・・課長。お疲れ様です。」
 上司、ユリ課長と分かっても声のトーン、口調も変わらない。部下、リサ・ヘイワーズの態度は相変わらずだ。ギリシア系-北アフリカ系イギリス人の裕福な家庭に生まれた彼女は、ブラウンのポニーテールヘアにブラウンの切れ長で大きな瞳、高い鼻の瓜実顔で厚みのある唇、胸は張りのある鳩胸であるのに括れたウエストにこじんまりとした上向きのヒップは、ラテン系であるのに珍しいモデル体系だ。見た目では、絶対に男を引き寄せて止まない彼女だが思ったことをそのまま発言してしまう癖が治らず、また治すつもりも本人にはなく、そのため孤立してしまっているのだが。
「舞さんと替わって頂戴。」
「チーフですか?はーい・・」
 リサは、電話を保留にするとエージェント課の上座でリサの斜め前に居る日本人女性に振り向いた。
「チーフ、"おばさん"からです。」
「リサ!!まったく、もう・・」
 チーフと呼ばれた女性が受話器を取り、自席の内線をタッチした。リサと言えば、素知らぬ顔でデスクのパソコンのキーボードを叩いている。
「課長、お待たせしました。」
 まるで陶器の様に透き通った白い肌、栗色の髪と同色の大きな瞳、品のある整った高い小ぶりの鼻に情感のこもった張りのある朱い唇、更に特徴として口元右上には、可愛らしいホクロが控えめに存在していた。アジア系女性の中でも明らかに類を見ない、まさに美女だ。彼女の名は、北条 舞。日系ではなくて、純粋な日本人である。ロンドン・ユナイテッドFC エージェント課は、イ・ユリ課長を筆頭に、チーフでありスポーツディレクターの舞、直属の部下3名、事務職として彼女の要望でリサともう1名の計7名で運営している。
「舞さん!大至急、こちらに来て頂戴!」
「えっ!あ、はい。承知しました。課長、何かありました?」
 受話器からユリ課長のため息が小さく聴こえた。
「モイード監督が、契約解除を要求してきたわ。」
「本当ですか?」
「こんなこと、冗談で言うわけないでしょ!」
「失礼しました。」
 "ハア・・"受話器から今度は更に強くユリ課長のため息が聴こえる。
「以前、あなた言ってたわよね?『モイード監督の振る舞いに違和感がある』と・・あの時は、気にならなかったけど、あれはどういうことなの?」
「あれは・・」
「待って!それより、直ぐに会議室に来て頂戴!それからでいいわ。」
「承知しました。」
 舞が答える間を与えず慌ただしくユリ課長は電話を切った。
(相当、追い込まれているみたいね・・)
 ユリ課長の口調、会話から役員会議の紛糾ぶりが目に浮かぶ。
「リサ、ジェイク、ちょっといい?」
 舞の呼び出しにリサ、そして、エージェント課のもう一人の事務職であるアフリカ系イングランド人、ジェイク・スミスも離席し舞の両サイドに丸椅子を置き腰掛けた。ジェイクは、ロイド課長と比べても明らかにアフリカ移民色が強く、チリチリの髪の毛をショートヘアにし、口髭と短めの顎髭ロワイヤル・ゴーティで大きな瞳と小顔を男らしく見せたい、そんな印象を与えさせる男だ。肌の色と白目のコントラストが大きいのだが、それもそのはずで彼はナイジェリアからの移民である。いわゆる難民であった。昨年のエージェント課再編の時、人事課からの要望確認を受けユリ課長からの相談で舞は、社内で孤立していた資料課のリサ、エージェント活動をしている時に知り合った無職のジェイクを手元に引き入れた。舞は、二人を確保するために採用が如何に重要であるかを力説した報告書を提出した。しかし、ユリ課長は決裁しなかったために舞の仕事が遅れていくこととなり、仕方なく人事課に提出。結果、この報告書は役員達の目に止まることとなり、彼女は一躍有名人になった。
「今から役員会議に同席してきます。内容は、モイード監督からの契約解除要求について、ね。」
「えっ!まさか・・」
 ジェイクには、まだ半年しか経過していないのに契約解除を言って来たモイード監督の思考を、理解し難い・・といった口調が垣間見れる。それに対して、リサはと言えば、頭の後ろで手を組み鼻の下にペンをタコみたいな唇にして乗っけてつまらなそうにしている。
「モイード監督って、"おばさん"が連れて来たんですよ。自分でケツ拭けば良いんじゃないですかぁ〜?『辞めないでぇ〜!』とか言わせれば良いじゃん!」
「いや、言わないだろ?」
「知らないわよ、そんなの。どうでも良いじゃん!」
「どうでもって・・」
 舞は、生真面目なジェイクと自由奔放なリサのやり取りが好きであった。正反対な二人に見えて実はベクトルが同方向であったり、と。
「これはね、絶好のチャンスよ!またと無いね。」
 舞のこの一言で、不貞腐れていたリサの表情が一変する。一気に瞳に輝きが瞬き、口元がニヤリと引き上がり身体を起こして舞を見た。
「チャンス、ですか?」
「ええ。」
「チーフ、何を考えてるんですか?」
 ジェイクが、眉根を寄せて聞くのに対して、リサは舞の考えを読み解こうと集中し切っているのが分かる。
「ロンドン・ユナイテッドFCが今後、メディア的にもサポーターを引き寄せる絶好のチャンスだと思うのよね。」
「メディア・・ですか?」
「就任前から、そして今後もドキュメンタリーを広報に追い掛けてもらって、第二のマンチェスター・ユナイテッドのファギー(ファーガソン前監督)を作りあげたいと思うの。」
「Whoa!(わお!)」
 思わずリサは、叫んでいた。頰は紅潮し、眼の輝きは途切れることがない。
「賛否あると思うけど、チームに殿堂たる監督を作りあげることが出来たら ステキじゃない?しかもね、ファーガソン前監督はスコットランド3部イーストスターリングシャーFCで指導者としてのキャリアをスタートしたの。週給40ポンドのパートでね、当時登録選手がわずか8名で専門のゴールキーパーすら持たなかった『英国最悪のクラブ(ファーガソン自身の言葉)』をわずか117日間でリーグ首位に押し上げたのよ。」
「しかし、ファーガソン前監督は稀有な存在ですよ。二人と居ない・・」
「誰が決めたのよ!長期政権を見据えた監督の起用、いいなぁ〜♫面白そう!!」
「其処で、二人に相談があるの。」
「キタキタ!待ってました!!何ですか?」
「・・。」
 舞の問い掛けに、リサは前のみりになりジェイクは、生唾を飲み込むのが見えた。
「2案から一方を選択したいの。ジェイク、貴方は、プロ以外で監督になりメジャーを狙ってる有力な人物を探してみて。」
「プロ以外、ですか?」
「そう!リサ。」
「はいはい。」
「貴女は、以前メジャーにて監督、コーチをしていたけど故あって離れているような人物を探してみて。」
「例えば、どんなのが希望ですか?」
「そうね・・奥さんの看護のため、監督を諦めた。でも、独り身となった今なら・・とか、どうかしら?不謹慎かもしれないけど。」
リサは、顎に手を当て考えている様子だったが、改めて舞の方を向いた。」
「チーフ、 時間が惜しいです。いっその事、後者に統一しませんか?プロとアマチュアは、根本的に違い過ぎますから。」
「そうね・・うん!ジェイクは、どう思う?」
 ジェイクは、舞とリサのやり取りを目で追い掛け聴いていたが内心、リサに羨望を感じていた。舞の提案に間髪入れずに返答するリサ、また、即答する判断力を見せる舞。ジェイクは、2人のやり取りを観ていると改めて自分の不甲斐なさを感じて仕方がない。
「自分は・・あ!ファーガソン監督に伺って、紹介を得るなんて如何ですか?」
「リサ、確かファーガソン監督のお子さんって・・?」
「息子であるダレン・ファーガソン氏がドンカスター・ローヴァーズ(3部)の監督をしてますね。脳出血のため緊急手術を受け、療養中に家族と会話を交わした最初の会話が『ドンカスターの試合はどうなった?』ですからね。」
「そう・・ジェイク。」
「はい・・」
 舞は、ジェイクに向き直り話し始めた。
「出来れば、監督本人を主人公にしたいの。誰かの影響を受けるのは良いけど、ジュニアは避けたいわ。」
「・・すみません。でも、決してファーガソン監督の御子息を狙ったわけでは・・」
「ううん、ありがとうジェイク。さて、役員達もそろそろ我慢の限界よね、会議に行ってくるわ。時間が無いけど二人なら大丈夫よね?期待してるわ。」
 舞は、リサとジェイクに話終わると席を立った。
「頼むわね。」
「チーフ!」
 舞が席を立ちエレベーターホールに向かおうとした時だった。リサが追い掛けて来て声を掛けた。
「何、リサ?どうしたの?」
「チーフ、"おばさん"に引導を渡す絶好のチャンスですからね。頼みますよ!!」
「リサ・・」
「タイミングを見誤ると、後顧の憂いが生じますから。」
「リサ、チーフが悪者になるのは、まずいよ。周りの役員からの信頼が離れることだけで充分先が見通せるさ。」
 リサの背後にジェイクも近寄り語り掛けた。舞は、ジェイクを観る。
(結構、ジェイクって冷静に観ていて厳しめなのよね。)
「あー、モウッ!そうだけど、そうだけどさ!焦れったいなぁ〜!」
 舞は"クス!"と微笑むと、振り返りその場を後にした。最上階の大会議室に行くためにエレベーターホールに来てボタンを押した彼女は、回想していた。ある人との出会いを・・
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 半年前のこと。モイード監督の契約交渉大詰めの席上、直々に担当していたユリ課長の必要書類に不備が見つかり、慌てた彼女が仕事中の舞を頼ってきた。
「舞さん!大至急、持って来て頂戴!」
「えっ?あの、課長、何があったんですか?」
 電話に出た舞の耳に、慌てたユリ課長の声が飛び込んで来た。持って来て欲しい物を言い忘れていることからも現場の慌てぶりが読み取れる。まあ、予想は出来るのだが・・
「今、モイード氏の代理人と交渉中でしょ!何故か必要書類が無いのよ!きっと、誰か抜いたのね。」
「はぁ?」
 舞は、ユリ課長から持って来て欲しい書類の場所を聴いたのだが、ユリ課長の乱雑な書類整理に仕方なく手当たり次第持って行くことにした。
「舞さ〜ん、どうしたんですかぁ〜?また"おばさん"やらかしましたか?どうせ『誰かが私の書類を獲ったのよ!』とか何とか言ってませんでしたか?」
 リサがまるで霊能者の様に言い当てたことは、イライラしていた感情を見事、笑いへと変えてしまうものであった。
要求書類が分からないことで紙袋がいくつかになり、それらを両手に抱えた舞はエレベーターになんとか乗り込み右肘で1階のボタンを押して到着するとエントランスを一目散に駆け抜けた。    「ちょっと!舞、大丈夫?」          舞は、総務課チーフのシャロン・キャリーに呼び止められた。生粋のニューヨーカーである彼女は、アフリカ系アメリカ人で褐色の肌に澄んだブルーの瞳、膨大な量のカーリーヘアにモデルの様に細い手足が印象的な女性だ。
「シャロン!またねーー!!」
舞が両手に荷物を持ち必死に駆けていく。
「また、ユリさんの面倒?相変わらずね(笑)。あ、いらっしゃいませ、御用は何でしょうか?」
シャロンが受付に来た客に優しく微笑んだ。やがて、舞は会社前の路上まで何とか辿り着いた。数分待った後、向かってくるブラックキャブを視界に捕らえた。フロントガラスの黄色く『For Hire』の文字を確認した彼女は右手の荷物を足元に置くと手を挙げた。やがてタクシーは彼女の前に停車したのだが、空いている助手席の窓越しに運転手へ行き先を伝える為に近付こうとした時だった"ドン!ドサっ!!"
「キャッ!?」
「ちょっと、邪魔しないでくれる!」
 舞は後ろから来た太ったイギリス人女性に体当りされ、その場に転んでしまった。おかげで書類は辺りにばら撒いてしまったのだが、突然の事にビックリして彼女を見上げる。
「これだから中国人はイヤよ、まったく!」
 イギリス人女性は、彼女を後ろから突き飛ばしているだけでは飽き足らず差別的に侮辱してきた。
「キミ、彼女の方が先だよ!同じ英国人として恥ずかしいじゃないか。」
 タクシー運転手の男性が、後部座席に図々しく座ったイギリス人女性を注意したのだが・・
「は?貴方、中国人の肩を持つの?呆れた!タクシーの乗り方も理解していないのよ、彼女は!私の前を邪魔したんだから!さ、早く出して頂戴!!」
 タクシーの運転手は、仕方なく車を走らせた。舞は、その走り去るタクシーを唇を噛み締め見つめていた。アジア人女性ということで、ここイギリスにてエージェントをしていると様々な差別を受けた。『アジア人って目細いよね』と笑いながらツリ目のポーズをしてきた選手代理人。まあ、その代理人も「キミは、アジア人に見えないくらい色白で目が大きいよね?」と言ってきたのだが。さらに、『アジア人のことを美しいと思ったことはなかったけど、あなたは特に美しいと思う』と幾度となく言われた。アジア人の女性、取分け日本の女性は
①簡単に落とせる
②エロい
③おとなしく言うことを聞く
なんてイメージも一般的にもたれているようで、街を歩いていたら 『Beautiful Asian woman!(きれいなアジア女性!)』と声をかけられたり、男性からは日本人だとわかった途端に『Kawaii~!』と言いながら触ってこようとされたことが何度かあった。一時は本当にそれが嫌で、日本人だと人に言うのが嫌だった。日本人である以前に、もっと私個人として見て欲しいとすごく願っていたし、日本人っぽいと言われるのが嫌でメイクも濃くして、向こうの子が着ているような服装を真似てみたりしてみた。でもそのうちそれが馬鹿らしくなり、イギリスにも慣れて英語ではっきり意見を言えるようになってからは服もメイクも人に合わせなくなっていった。
 舞は小さくため息をつくと、散らばった書類を集め始めた。自分の書類ではなくユリ課長の書類、一瞬『何で私がこんな目に・・』そう油断した時だった。一部の書類が風で車道へと飛ばされてしまった。
「あっ!?」
『しまった!?』そう思った瞬間だった。目の前を一陣の風がそよぐ、それはスーツ姿の男性が車道に飛び出したことによるものだった。当然、車はクラクションを鳴らし警笛を喚き散らすが、その男性は片手を挙げて動じない。
「FU○K!!」
 通り過ぎながら運転手が悪態をつくが彼は全く意に介していなかった。
「す、すみま・・!?」
 立ち上がり男性に謝罪をしようとした時、彼女は彼が誰であるか認識して立ち尽くしてしまった。スリーピーススーツのベスト姿の彼。ベストからでも盛り上がった筋肉が確認でき、中年とは思えない引き締まった腰と凹んだウエスト周り。そして、彼のアイデンディティとなるシルバーヘア。紛れもなく彼女のボス、グリフグループ会長 原澤 徹氏であった。舞は、情け無い程、惚けるようにその場に立ち尽くしてしまった。
「大丈夫かね?ケガは・・無いかな?」
「あっ!いえ・・はい、大丈夫!?」
 と、彼女が受け応えると彼は目の前に屈み込み転んだ際の汚れを叩いてくれた。
「あ、あの・・すみません!」
 原澤会長が振り返り手を振ると、黒塗りの会長専用ハイヤーが目の前に走って来て停車した。彼は後部座席を開け、運転手サムエル・リチャードに話し掛けた。
「サムエル、彼女を送ってあげてくれないか?」
「承知致しました、会長。」
「さ、どうぞ。」
 原澤会長は、舞から荷物を受け取ろうとした。
「あ、いえ、あの・・」
 彼は、口元に笑みを浮かべて照れ臭そうにしていたが、遠慮なく舞から荷物を受け取ると後部ハッチへと向かった。リチャードは、ミラーでそれを確認しハッチを開ける。
「すみません・・」
「さぁ、乗って。」
「えっ、でも・・」
「サムエル、彼女、北条さんを頼むよ。」
「お任せ下さい。」
 舞は、原澤会長から促され後部座席に座らされた。
「行っておいで。」
「あのぉ・・」
 扉が閉まり、彼が踵を返して会社に戻って行くのが中から見えた。
「Miss.北条、どちらまで?」
「あ、はい・・えっ?何故、私の苗字を・・?」
「今、会長が貴女のことをそう呼びましたので・・」
「あっ!?」
 確かに、確かにあの人は・・原澤会長は、私の名前を呼んでくれた。私のボスが・・

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 やがて舞を乗せたエレベーターが、最上階に到着した。彼女は、エレベーターホールから外壁寄りの通路に来ると全面ガラス張りの壁にもたれてスマートフォンの登録ナンバーをタップした。数回のコールを経て、男性の声がした。
「よう!こんな時間に珍しいな。どうした、今晩なら空いてるぞ。」
「おはよう。ねぇ、以前話していたことを始動させるけどいい?」
「何だよ突然。そんなんじゃ、サッパリ分からんぜ。」
 舞がコールした男性は、彼女の同期で親友でもある広報課チーフのライアン・ストルツである。アメリカ国籍でミネソタ州ヴァージニア生まれの彼は、父親がイギリス・ドイツ・スイス・フランス系のカナダ人で、母親がノルウェーの家系である。金髪の癖っ毛をトップ5センチ位にしてバックに流し、サイドの長さを2、3センチ位、無精髭がトレードマークで隆起した筋肉は学生時代アメリカンフットボールで鍛え上げた賜物である。豪放磊落な性格は、裏表が無く彼女はいつも相談に乗ってもらっている。ある一件でも支えて貰ったのだが・・
「今からユリ課長の要請で、役員会議に出るわ。」
「何!?どうして?」
「モイード監督が、就任僅か半年で契約解除要求をしてきたのよ。」
「おっと!モイード監督と言えば、ユリさんが連れてきた・・だな?」
「そういうこと。」
「あー!そうか、何時ぞやの監督ドキュメントか?」
「ふふ、そうよ!やるわよ。いい?」
「仕方ないな、お前が言うならだ。こっちは覚悟するしかないな、OKだ!任せてくれ。」
 本当に、ライアンは頼もしい存在だ。ロンドン・ユナイテッド FCの今後の発展には、確実に広報活動の手段が左右する。過ちは許されない!絶対に。
「また、連絡するわ。近いうち呑みに付き合ってよ。」
「勿論!連絡待ってるよ。頑張れ!」
「Danke(ありがとう)!」
 彼女は、そう礼を述べると通話を切り、次の連絡先をタップする。数回のコール後に今度は女性の声がする。
「どうしたの?勤務中に連絡なんて・・」
「ごめん、奈々。至急、調べて貰いたくて。」
 舞がコールしたのは、契約課チーフの橋爪 奈々。舞と同じ日本女性である彼女もライアン同様に同期入社であり、非常にリーダーシップ能力に優れ容姿端麗、幾度も舞の嘆きを聴いてもらった存在だ。同じ歳なのにクールな彼女は、舞にとって姉のように頼れる存在だった。
「至急?何?」
「実は、今日の役員会議でモイード監督が契約解除を要求して来たそうなのよ。」
「はぁ?まだ、半年でしょ?」
「そう。」
「ふーん・・」
 奈々が電話口で黙ったのが 分かる。が、直ぐに声が聞こえてきた。
「うちの契約時には気付かなかったからね、となると最近の動向が懸念されるけど改めて調査して欲しい、そんなところ?今回の連絡は?」
「うん、お願い出来る?」
「オーライ!でも、この件は担当がうちの課長とユリさんじゃない?」
「それなんだけどさ、実はこの件でユリ課長が役員会議で追及されてるようなの。」
「ああ、なるほど。うちのロイド課長、逃げたの?しかも、舞に助けを求めたと。」
「さあね。で、読めた?」
「貴女も不幸な女よねー!」
「もう、うっさいなぁ〜!だから、助けてよ!」
「はいはい、分かりました(笑)。ま、任せてよ。近いうちに奢るわ。」
 通話を切りため息をついた舞の目線が役員会議室の扉を見つめる・・当然、彼、原澤会長も同席しているはずだ。彼女の心臓がまるでドラムロールのように鼓動を奏ではじめた。
(さてと。ちゃんと、御礼を言わなきゃ・・)
と、彼女が役員会議室の扉を開けようとしたところ、扉が開きモイード監督が現れた。目の前の舞を見つけると驚いた表情を浮かべ一瞬、彼の唇の一部が光るのを彼女は見つけた。
「監督・・」
「や、やあ、舞!その、すまなかったね、期待に応えられなくて。」
「監督、辞めてどうするのですか?」
「さあね。それじゃ、失礼するよ。」
 そう言うとモイード監督は、足速にその場を後にしたが彼が通り過ぎる際、一瞬ではあるが香りが漂った。気になった彼女はエレベーター前で待っている彼の元に向かって行く。
「舞さん!遅いじゃない!!」
 扉が開きユリ課長ががなり立てて来た。舞の感じていた緊張感が、まるでシャボンの泡のように弾けるのが感じられた。彼女は、直ぐにモイード監督に視線を移したが彼はエレベーターの中へと姿を消していた。
「失礼致しました。で、中の状況は?」
「最悪だわ!会長不在でケイト社長の女帝ぶりが顕著だし、私達エージェント課が見過ごして契約課へ引き継いだように言われたし!」
「そう、ですか・・」
 モイード監督採用は、初めからユリ課長が行なってきた案件だ。何処からか連れて来たはずなのに・・
「行くわよ!」
「あっ!?」
 舞が先程のリサ、ジェイクと交わした打ち合わせ内容を伝えようとしたのだが、この人は非常にせっかちだ。内心、彼女は舌打ちしていたのだが、この毎度の事がこれから行われることに、波及しないことを祈るしかないことに自体、無念さを滲ませていた。そして、モイード監督から漂った香りは紛れもなく、ユリ課長の付けている香水と同じ物であった。

第2話へ続く。

"この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。"

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