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古手の観光学部勤務。マレーシア、シンガポールなど東南アジア、華僑華人、観光文学研究など…

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古手の観光学部勤務。マレーシア、シンガポールなど東南アジア、華僑華人、観光文学研究など。アジアにしか興味持てないと思ってたけどそんなこともないかな。免許もないし、運動にもなる人力の乗り物が大好き。 http://masutani.biz/

最近の記事

越境の語りワークショップ

開催日時:23年9月23日(土)午前プレエクスカーション、午後報告〜24日(日)午前報告、午後エクスカーション(スケジュール案参照) 場所:日光国立公園・光徳温泉日光アストリアホテル(東武日光駅からバス) ★高原の乾燥した空気が心地よく、温泉のほかも全館天然水利用です。 報告時間:45分以内発表で議論とも1時間 準備すべきもの:まずは発表タイトルとご所属を9月15日(金)まで、発表レジュメ(PPT不可、形式・分量自由)を9/20(水)までにご準備のうえ、舛谷宛お送り下さい。

    • サイノフォン作家・許通元(コー・トングアン)1974-

      梁放(1953-)と同郷で、東マレーシアのサラワク州サリケイ生まれ。 現在、マレーシア南部のジョホールバル南方大学学院、馬華文学館館長。文芸誌『蕉風』編集長、産業学部専任講師。これまで同学院図書館長、教養課程講師、南方大学ジャーナル編集委員、ジョホール州作家協会委員長を歴任。 著書に小説集『二つの村の物語』ショートショート集『山蛭の弔い』エッセイ集『オウムガイを待ちながら』詩集『乳酸菌の飼い殺し』短編集『ぼくの先生はテロリスト』などがある。編著に『有志一同ー馬華文学LGBT小

      • コロナ下における海外での地域研究学会研究会の試み

         2006年3月のJAMSニュースに「クアラルンプール滞在者による研究会について」と題し、マレーシアでの日本人による海外研究会について紹介したが、その前年までマラヤ大で海外研究を行っていた私の帰国後も、2009年初まで日本マレーシア学会(JAMS)クアラルンプール地区研究会として、海外生活、研究の情報交換を兼ねた日本人滞在者による集まりが続いていた。  2021年はキャリア最後の長期海外研究ということもあり、コロナ下での渡航手続きに手間取りつつ、11月からマレーシア首都郊外の

        • 海外観光の再開

          昨年末から在外マレーシア生活を続けているが、日本から遊びに来てもらえるようになったので、手順をなるべく具体的に記しておく。4月から危険情報レベル2で手配旅行は可能になり、5月は3組受け入れた。 見落としもあるし、特に乗り継ぎ便では経由地で入国同様の準備が必要になることも多いので、アプリ入力などに備え、出発地搭乗などへの1時間前行動を推奨します。 【あくまで個人の手控えなので、実際には各海外公館や政府観光局(現地日本大使館は日本語情報も発信しています)の最新情報を確認のうえ

        越境の語りワークショップ

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          マレーシアだけど甘くなくても飲めるコーヒー(o kosong)

          マレーシアだけど甘くなくても飲めるコーヒー(o kosong)

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          オリンピック開会式の入場行進

           北京冬季オリンピックが東京大会からあっという間に始まったが、より厳しいバブル方式が採用されていると取材陣から耳にする。トラベルバブルということばは、日本で一般にはマイクロツーリズムと呼ばれたウィズコロナ観光の方式だが、マレーシアではマラッカ海峡北部のランカウイ島の国際トラベルバブル、タイではプーケットからクラビなどへ広がったサンドボックスプログラムと呼ばれている。  開会式をCCTV1とNHKで見比べたが、選手入場は最初の発祥国ギリシャと最後の開催国中国はともかく、行進順は

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          ブルネイホームステイ

           ホームステイは参加型のスタディツアーと言えるが、日本ASEAN交流年(その後ないけど)の2003年に東南アジアの中でまだ行っていない国に行きたいという不純な理由で参加したブルネイ日本セミナーで、偶然知り合ったブルネイ日本友好協会(BJFA)澤田さん(このひとだけは現地のひとだよなと最初話しかけられなかった)の導きで、2004年に4年生の卒業旅行兼、その後2007年から2019年まで毎年、それぞれ2月末から3月にかけて、立教生がブルネイへホームステイに出かけている。新聞社が閉

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          香港の独立書店

          はじめに韓国フェミ文学のあと、華文ミステリが日本の外文読者に流行りつつあるが、華文トラベルライティングを選択肢に加えようと李娟の翻訳を手伝っていたが、大陸の言論環境はどんどんひどくなっていることは間違いない。それが遠からず香港にも及びそう、というのが同僚の専門家の言だが、香港で通りを見上げるとあちこちで見つかる階上書店(独立書店)に触れた自分の文章をまとめてみた。最初の「香港階上書店」にたくさん店名が出てくるが、この業態に目覚めるきっかけとなった、中環の陸羽茶室並びの神州図書

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          中国製造 MADE IN CHINA

          アキバで買ってきたラベリアマイクの箱裏の文字に帰宅後気が付いた。全く同じタイトルの歌が、香港に憧れる「私の1997」という自作曲で返還前1992年にデビューした艾敬が、1998年にアメリカで制作した同名アルバムにある。「異邦人」の中国語カバーも入ってたっけ。 「中国夢」は2013年の18三中全会から、「中国製造2025」はその2年後だが、艾敬はそれより10年以上前に「中国製造」という曲名で、 私は中国生まれ育ち(中国製造) たくさんのひとが中国に来て たくさんのひとが来た

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          通信システムの世代が上がるということ

          iモード公式サイトが21.11で終了とのことだが、2G(mova)終盤から立教大学はドコモと近しい関係にあり、mobile v-campusというiモード事例でコマーシャルまであった。私も出始めの3G(FOMA)に切り替え(させられ)てあちこち移動して初代端末N-2001を立てながら電波を探していたが、そもそもドコモ社員がFOMAを使っておらず、正しく人柱と覚った。池袋キャンパスがロケ地のこのコマーシャルだが、登場教員は新座キャンパス所属でPHSユーザーだった。愉快な思い出として記しておく。

          通信システムの世代が上がるということ

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          60年以上つづいている中国語文芸雑誌

           言語を問わずプロ作家がほとんどいない東南アジアの文壇において、奇跡的に60年以上つづいている中国語文芸雑誌『蕉風』(Bulanan Chao Foon)は2020年中に発行なく心配されたが、近く514号を出版と聞く。  日本には1904年創刊の『新潮』などもあるが、1999年一旦停刊した際には「出版史上最も長く続いている中国語文芸雑誌」と報じられた真偽はともかく、中国語で現存している文芸雑誌としては、かなり古い方ではないだろうか。  1955年に方天(張海威)の主編で登

          60年以上つづいている中国語文芸雑誌

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          浅草の藤棚は『鬼滅』の鬼除けでなく、戦後埋め立てられた瓢箪池(現ウィンズ)の痕跡

          浅草の藤棚は『鬼滅』の鬼除けでなく、戦後埋め立てられた瓢箪池(現ウィンズ)の痕跡

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          キックスクーターは安全な大人の乗り物

          【2015年は在外でシンガポール西端のど田舎、NTUに一年居た。キャンパス内に部屋が見つからず、4km離れたブーンレイのHDB部屋借りだったので、主に一本で行けるバスで通ったが、途中で当時現地で流行りのキックスクーター に乗り換えた。以下はその頃の記録である。】  キックスクーターと言えば、子供の危険な乗り物という図が目に浮かぶ。大人が乗るのは何ともおとなげない感じだ。しかし、電動アシストの二、三、四輪から自転車、スクーター、セグウェイに代表される立ち乗り二輪、車いす(シニ

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          VRサイクリングZWIFTー導入編

          ステイホームのさなか、巣籠もり消費の一環として、エアロバイクとGoogleストリートビューで日本縦断というnote記事を見て心惹かれた。うちにも固定式でタイヤドライブの「クラシックトレーナー」があるので、40年来の愛車Amanda、小金井時代のファストラナーに跨って走り回れるかなと夢想した。技術的に手間がかかりそうだったのでそのままにしていたが、今年はツールの前座をバーチャルにZWIFTでやるという話しを耳にした。あとになって確認すると、日本縦断の元記事にもZWIFTのことが

          VRサイクリングZWIFTー導入編

          平成はじめのタピオカ事情

          noteを「タピオカ」で検索すると相変わらず1万件以上ヒットする。商店街に新しい店ができるとタピオカ屋で、向かい合わせや隣同士に並ぶということもコロナ後はなくなったが、「タピる」は2019年流行語大賞トップテン入りを果たしていた。Tapir(マレーバク)と空耳してしまうのは相変わらずだが、動詞化するほど飲まれたということだろう。この飲料の1980年代台湾発祥は間違いないだろうが、私やうちの子供たちにとって90年代には「珍珠奶茶」(ちぇんちゅーないちゃー:パールミルクティー)は

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          マダムシルクは健在也(1969-2020.8.15)

          一部SNSで閉店と囁かれていたマダムだが、今週足を運んだら、いつも通り14時半から夜中まで営業していた。この間も看板下げてひっそり開けていたらしい。お客が一人も来ない日もあったとさっちゃんこと幸子さんが宣う。去年は50周年だったが特にお祝いするでもなく、51年になるけど、とさらっと言われて気付く。この路地の地下で13年目とのことだが、大学横の路地の古いビルも地下で、少し狭くメニューには大学の休み中云々と書かれてたっけ。ビルの取り壊しで移転だったが、私がお邪魔するようになったの

          マダムシルクは健在也(1969-2020.8.15)