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いいように使われる人は「本質的なニーズを満たすスキル」がなく、「課題を磨き上げる力」が必要という話

今回は、自分自身の反省をもとに記事を書いていきたいと思います。
前提として、このタイミングでこれから書く内容について記事にできること、反省ができることについては非常にポジティブであり、学びが多かったなと。
ここ数年、理想と現実のギャップに苦しみ、そのギャップを直視して成長機会として捉えてこなかったことで、周りとの関係性が悪化したり、プロジェクトがうまくいかなかったり。
それに対して現実逃避せずに、きちんと向き合うことができたからこそ今回やっと建設的に反省ができる、というところです。

・一生懸命仕事をして成果を出し続けているつもりなのに、なぜか評価をされていないと思っている
・専門的な能力(営業、プログラミング、会計など)を身に着けることにフォーカスをし続けている(そこで成果を出せば評価されると思っている)
・関係者と調整するプロセスに苦手意識を持っている

という方に読んでいただければ学びを共有できるのではないかなと思っています。

先に、今回書きたいことの骨子を。

・新卒のとき、社会人として組織の中で働き始める上で、「具体的なタスクをきちんとこなして成果をあげることで評価される」という枠組みは多くの組織で存在するものだと思っていて、それは構造上やむを得ないし、理にかなっている
・上記の中で「評価されるためには?」ということを念頭におき業務を遂行していくと、「与えられた枠組み」や「組織上定義されている自分の役割」を越えていかないといけない状況に遭遇する
・それに気付かずに業務に取り組んで成果が出なかった(枠組みの中でのみ仕事をした)とき、上司、まわり、状況、自分の専門的な能力のせいにする
・成果がでなかったとき、(専門的な能力以外の部分で)自分にできることはなかったか、伸び代はないかなど考えないと、建設的な意見も成長もない(専門的な能力だけのせいにしてしまうと成果がでなかった原因と直結しないこともあり、論理的でない解がでてしまう可能性がある)
・成果が出ないとき、往往にして「それが本当の課題ではなかった」り「関係者もあるべき姿を描きにくい状況」にある。それに対して、関係者の思考を確認したり、推し量りながら「自分で決裁する気持ちで選択肢と結論にたどり着くためのプロセスを伝え続けていく」ことが、関係者のニーズを満たし、成果にも評価にも繋がることになる。

という内容を軸に書き進めていければと思っています。

今回の参考書籍は
起業の科学 スタートアップサイエンス
嫌われる勇気
LIFE SHIFT(ライフ・シフト)
この3冊です。

では、早速本題に入っていきましょう!

仕事における具体と抽象について

先に書いたように、新卒で社会人として働き始めるときなどは、「今週◯件商談機会を獲得して」「◯◯機能の実装をして」「◯人採用して」など、具体的で、「再考を依頼する前にまずはその業務を対応して成果をだした方がよさそうなもの」をオーダーされることが多いんですよね。
いわゆる「仕事ができる人」は、手取り足取り指導を受けなくても「今週◯件の商談機会を獲得して」というオーダーに対して、先輩にポイントを聞いたり、自分で試行錯誤しながら対応できてしまうと思うんです。
そうすると、周りから「もう一段上のお題」をもらうことになるかなと。
例えば「個人として月次の売上◯◯万円を達成するためにKPI設計をしてみて」など。
これもできて成果を出せると、次は「チームリーダーとしてチーム全体のKPI設計をして」というオーダーをもらうことになりそうですね。
そしてさらに、「そのKPIをみんなが達成できるようにマネジメントして」という話も入ってくる。

で、こういった「どんな組織の営業リーダーでもやっていそうなこととして言語化できるもの」はおそらく「具体的な仕事」なんだろうなと。
つまり、おおよその人は「具体的に枠組みを定義された仕事の中で成果を出すように思考するように仕向けられているように感じること」が多いのではないかなと思っています。
学校の試験で問題があって、それに回答を埋めていくようなプロセスと似ている感じ。
こういった「具体的な仕事」にフォーカスし続けていると、評価、給料、仕事の面白みなどの部分で「頭打ち」になる感覚に至るんだろうなと。

では、どうすればいいかというと、「抽象的な仕事」に取り組むようにすること。
月並な言い方で言えば、問題を発見したり課題を定義する側にまわること。
そうすると、評価、給料、仕事の面白みなどの部分で、改めてそれらが上がっていくことを感じられるのではないかなと思っています。

ただ、それだけ書いても面白みはない(いろんなビジネス書に書かれている内容)ので、自分の経験も踏まえて書いておこうかなと。
「抽象的な仕事」に取り組もうとトライし始めた「具体的な仕事で成果をあげてきた人」の悪い癖は「わかりやすい課題に飛びついて成果を急いでしまうこと」なのではないかなと思っています。
2〜3年くらい前から、当時の上司から「抽象的な仕事に取り組んでみましょう」という投げかけはもらっていたんですが、どうしても「成果を早期にあげて、それをアピールし、評価をされる」というサイクル、思考から抜けられなくて・・・。
となると、「問題を発見し、課題を定義するところにかける時間が短くなり、思考が浅くなり、ピントがずれて関係者と合意をとる部分で不協和音が発生する」ということになるんですよね。
具体的に書いてしまうと、「『課題のようにみえるもの』を解消しましょうと伝えにいくと、一部の人にはウケがいいけど、他の人からは反感を得る」という感じ。
全員の合意を完全に、綺麗に得ることは難しいかもしれませんが、当時から今までを振り返ると「もっと課題とは何かを熟考し、磨き上げるところに時間をかけてもよかったな」と反省してしまっています・・・。

ちなみに、「課題を磨き上げる」とは

・自分の周りにいる人、関係している人がもっている不安、不満を拾い上げること
・それらを並べて、個別で対応した方がいいか否か、対応した際のインパクトの大小を整理すること
・それに対する打ち手として、誰が、どういった形で行動し、それによって得られるものは何かを言語化していくこと
・上記について合意し、課題解決を前に進めていく中で改めて不安、不満が出てきていないかウォッチし、合意した内容をアップデートし続けること

ということなのではないかな、と私は解釈しています。
(インパクトの大小を整理する、というところについてはイケてるプロダクトマネージャーは何を大切にしているのか?を参考にしていただけると)
この「課題を磨き上げる力」は、会社の従業員として仕事をする際も、起業して新しいプロダクトを生み出す際も使えるものではないかなと。
起業の科学 スタートアップサイエンスでも、新規プロダクトを検討する上での課題を磨き上げるプロセスの重要性について触れています。
そして、この課題を磨き上げるプロセスを経ないで商品を開発したり、販売したりすると、押し売りみたいになっていくんですよね・・・。

かわいそうな私かこれからどうするかを自責で考えるか

とはいえ、組織が拡大していく中で、関係する人たちの多様性が増していく中で、不安や不満は増え、合意していくプロセスにかかるコストってどうしても高まってしまうものだと思うんですよね。
最初は自責で捉え、能動的に対処しようとしていても、理解しあえないことで自分自身も不満がたまってしまい、愚痴が増えていってしまうようなこともあるかなと・・・。
(嫌われる勇気では、こういった状況で自分を「かわいそう」と捉え行動をしないか、「これからどうするか」と考え行動を起こすか、という対比で記載しています)

そういったときに大事なことがいくつかあるな、というところも最近(ここ1年くらい)の学びでした。

心構えとしては

・承認欲求を捨てること(評価されることを望まないこと)
・他人に期待、依存しないこと(わかり合える、わかってもらえると思わないこと)

具体的な動きとしては

・傾聴に徹すること
・考える時間をきちんと確保すること(「手を動かして作業をすることで成果がでる仕事を対応して安心感を得る」ようなことはしないこと)

というところが大事かなと。

嫌われる勇気を読んでいただければ、心構えで記載したことの詳細は伝わるかなと思います。
「他人に期待、依存しないこと」というところについては、もう少し具体的に書くと「答えを他人に求めるか、答えを自分でだそうとするか」ということなんですよね。
行動レベルで言うと、「A案、B案、C案、どれがいいですか?」と問うだけではなく、「その中で◯◯な理由でA案がいいと思うんですがどうでしょうか?それにあたって調整しておいた方がいい人とかいますかね?」という感じになるかなと思っていて。
答えを自分でだそうとすることで、「◯◯さんから問いに対する回答をもらえなかった」「◯◯さんのせいで遅延した」などの発想(他責で考える思考)からも解放されるかなと。
仮にそうなっても自分でそれに対するリカバリープランをつくればいいだけなので。
精神的な鍛錬も、行動習慣をかえることも大変だなと思うのですが、「結果的にこの方が感謝も評価もされる」ということは事実かなと思っています。

具体化された受託業務しかできないか新しい価値を生み出せるか

・専門的な能力でしか仕事に取り組めない
・不安、不満が発生したときにそれに対して対処せず、自分が与えられた仕事の範疇をこえて取り組まない

ということは、従業員として働いていようが、起業していようが、「具体化された受託業務しかできない」ということを意味すると思うんです。

起業していても、「どこかの会社のひとつの事業部のような会社の社長」みたいな人がいるのは、そういうことなんだろうなと。
(それ自体がいい、悪い、という意味ではないです)
つまり、スタートアップとして起業して、新しい価値を生み出していきたいのであれば、「課題を磨き上げる力」が必要ということなのではないかなと思っています。
所属する会社、組織に対して不満をもって起業して、起業しても顧客との関係の中で結局「どこかの会社のひとつの事業部のような会社の社長」になり不満を持ち続けるということになっていたら、それは新しい価値を生み出すための課題を磨き上げる力が足りない、抽象的な仕事に取り組むための力が足りない、ということなんだろうなと思います。

もう少し言及すると、平社員であっても、雇われ社長であっても、新しい価値を生み出すための課題を磨き上げる力、抽象的な仕事に取り組むための力があれば、関係者と良好な関係を保ち評価されるんだろうなと思っています。

いいように使われるか登用されるか

上記ともつながる内容です。
自分の仕事の仕方について、「いいように使われているな」とか、「あの人優秀なのに、薄給でいいように使われてかわいそう」という所感をもったことがある方、いらっしゃるのではないかなと。

抽象的な仕事に取り組んでいれば絶対にいいように使われることはない、と断言はできないかもしれませんが、少なくとも

・能動的に仕事に取り組んでいる
・言われるがままに仕事をしているわけではなく、数ある選択肢の中で選択している
・貢献している

という所感を得ることは可能になると思っています。

課題の磨き上げ、抽象的な仕事への取り組みはトライ&エラーを繰り返す必要があるかと思いますが、それをしない限り、登用されて、大きなインパクトを残すということはできないんじゃないかなと。

専門的な能力と概念的な能力

最後のテーマです。
こちらのサイトの内容を読んでいただいてからの方が伝わりがいいかと思いますが、
https://www.franklinplanner.co.jp/learning/selfstudy/ss-25.html
専門的な能力と概念的な能力(課題を磨き上げる力、抽象的な仕事に取り組む力)はバランスが大事。
LIFE SHIFT(ライフ・シフト)でも、仕事に取り組む時間は長くなり、一つの職業を継続できる時間は短く、いくつかのスキルを保持することが必要といったニュアンスの記載はあったかなと思います。
なので、専門的な能力を身に着けることは必要で、そこに真摯に向き合う必要性は数年おきに発生するもの。
そこを避けて通るとトンチンカンなアウトプットを出してしまったり、品質を担保できなかったりするかなと思いますが、ある一定の専門的な能力を身につけたあとは、早期に概念的な能力(課題を磨き上げる力、抽象的な仕事に取り組む力)を発揮できるようにトライするのが、いいように使われ続けるという所感を得ないために必要なサイクルなのではないかなと思います。

というわけで、
「いいように使われる人は『本質的なニーズを満たすスキル』がなく、『課題を磨き上げる力』が必要という話」というタイトルで記事を書かせていただきました。
仕事だけでなく、プライベートでも使える考え方かなと思っています。
読んでいただいた方の参考になれば嬉しいです。

以上、お読みいただきありがとうございました!

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