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気づいた今がいちばん若いという事実。

僕は、masuocafeというオンラインショッピングサイトで僕の焙煎したコーヒー豆を販売しています。ありがたいことに多くのお客様にご愛顧頂いています。

コーヒー豆のことの勉強していたり、仲良くしているベトナムのコーヒー農園の農園主あるトイさんの日々の活動、活躍を見ていると、当たり前のことなのですが、コーヒー豆は自然のものなのだと強く実感するようになります。

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焙煎士として、コーヒー豆は「生鮮食品」だとふだんから意識しているのですが、やはり実際にコーヒーの木に実がなっている状態を見たり、あの広大な自然とそれを取り巻く空気に身を置くと、それまでの意識とは違う次元に僕を連れて行ってくれ、「自然」というものを強く意識できるようになります。

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そんなふうにして僕は、地球のこと、環境のことに意識を向けるようになりました。年々暑くなっていく東京のビル群を歩くと、この国は熱帯地域になってきているんだということをいやでも意識してしまいます。でも、そのことを心のどこかでまるで他人事のように「仕方のないこと」として変に受け入れてしまっていました。

でも、コーヒー豆に関わり、自然というものを強く意識するようになると、あの素晴らしい景色を未来永劫残していくために「僕にできることは何か?」と自分ごととして考える事ができるようになりました。

とはいえ、そんなふうに考えた時にどうしても「僕なんかが何かをしたところで何も変わらない」という気持ちにもなってしまいます。事が壮大すぎて、ちっぽけな僕なんかが・・・と思ってしまうのですね。これは誰しも当てはまる事なのではないでしょうか。自分ひとりが変わったところで、世界は変わらない・・・と。

でも、同時に、そんなことを世界中のみんなが思ってしまったらこの世界はいつまでも変わらないということもまた痛いほど理解しています。年々暑くなっていく日本列島目の当たりにし、異常気象とも言える豪雨で悲しい思いをしている人たちの姿を目の当たりにすると、僕の気持ちは少しずつ「腹をくくる」という方向に向かっていきます。

やはり、自分から変えていかなければ。

では、そもそも世界の現状を僕はどれくらい認識できていて、どれくらいの理解をしているのでしょうか?どれくらい世界のことを、自分の言葉で説明できるでしょうか?

そう自問自答をしたとき、僕は何も答えられないことに気がつきました。
世界各地で起きている紛争、環境問題、経済問題の何一つ説明する事ができないのです。こんなに恥ずかしいことはないと、僕は猛省をしました。
おそらく義務教育で習うような基礎的なことすら僕は理解できていないのではないかと思います。

僕は、ひとり旅で海外の国、街を訪れ歩き回ることが好きですが、下調べをするときにいつも思うことは、「もっと歴史を学んでおけば、この旅はもっと楽しめたな・・・」ということ。何も知らないことに対する恥ずかしさと同時に、もったいなさも感じてしまうのでした。

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そう。世界の現状を認識することの効果が、もちろんマイナスをゼロに戻すという面もありますが、同時にゼロをプラスに働かせる作用も存在するのです。それに気が付いた時、僕はもっと勉強したいと思うようになりました。

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前回の記事に書きましたが、僕は今年で38才になりました。
今まで何をやってたんだろう・・・という後悔の念がないと言えば嘘になります。でも!!その後悔が何かを効果的に作用するかと言えば、答えはNOですね。自分を落ち込ませて行動を止める作用はあったとしても、そのほかには何の意味もないものですね。

気が付いた今が一番若い!

そう思えるとこれからの日々をより大事に生きていけるので、後悔なんかするよりもこれからの日々をより建設的に生産的に、丁寧に大事に生きていこうと思えるようになりますね。

自分一人が変えたところで、世界は変わらないかもしれない。
でも、世界が終わってしまうかもしれない日が訪れてしまったときに
僕はそれでも自分を変えたという自負を持っていたいと思います。

僕は、勉強しよう!と決めた時に、基礎的な本から学ぶということをしません。なぜなら、基礎的な本はつまらないからです。学校の教科書は得てして退屈でしたよね。あれがおもしろければ、僕はもっと勉強ができたと思います。

興味を持てる本から、手当たり次第読み漁る。

わからない場所があってもとりあえず読み進める、というのが僕のやり方です。何冊も何冊も読んでいると、点と点と線で繋がるように、知識がつながる瞬間があるのです。そのつながる瞬間が快感です。あ〜そういうことか!というもの。そういうふうになってから、基礎的な総論的にまとめてある本を一気読みすると知識が定着します。個人的な経験によるものなので、他の方にも当てはまるかは不明なのですが。

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僕は世界情勢のことを勉強したいと思うとき
高城剛さんを読みます。高城剛さん、日本のくだらないワイドショーのせいで、「変な人」という印象を多くの人が持っているかもしれませんが、僕は彼の著書の大ファンです。こういう人をジーニアスというのだろうなと思います。

彼の著書による現状分析、未来分析はときに突飛なものがあり、眉唾かな?と思う部分もあるのですが、過去の著作に遡っていくと、現在の世界を取り巻く感染症も「起こる可能性のある」ことして著述してあり、その先見の鋭さには驚かされます。さらに、僕が彼の書物を信用している点は、個人の経験、感覚に基づいて書かれている著述も多くの研究結果あるいはその分野の第一人者に話を聞きに行くことでエビデンスを得ている点です。

よく個人的な見解を無責任に連ねている本があり、そういうものに関しては辟易してしまうことがあります。「エビデンスが1の雑魚は黙っていろ」とある人が言ってましたが、本当にその通りです。世界中ではそれを専門とする研究家がたくさんいるのですから、それをメタ分析せずにして語られるものに関しては少し抵抗があります。多くの場合、個人的な見解を語る人間が責任を取らない傾向があるのが、僕には解せないのです。

スペクタクルに未来を分析し、それを踏まえ現状の語る高城さんの著書は、それだけで面白いので「勉強」なんて堅苦しい言葉を使うまでもなく、自然に頭に入ってきます。

以上の3冊は、世界の過去、現状、未来を垣間見るのに、とても有益で面白いものです。僕は、この3冊で気になった部分をさらに深掘りして、他の本を読み漁りたいと思います。

「世界を変えるために何かをしたい」という至極青臭く、稚拙な想いからのスタートした僕の新たな勉強生活です。ダサいかもしれませんが、でもいいじゃないですか。勉強するだけでも、結構刺激的で面白いものです。少なくとも、何もしないよりもマシです。

僕自身、昨日より、今日。今日より明日と進化していきたいですからね。

世界と繋がって仕事するというのが、masuocafeの大きな目的でもあります。より素敵な世界を目指して、それを創っていけたら最高ですね。

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