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ふわっと口語で愉しむ『言志四録』 今週の言葉「170 主観」+chat「主観的に生きる」

170 主観

ものごとを正しく知ることは、
どうすればできるのだろう。

自分が進むべき道を進み、

つづきは↓
ふわっと口語で愉しむ『言志四録』まとめ

chat「主観的に生きる」 

 当然ですが、私たちは主観に基づいて生きています。客観的に生きることはできません。しかしながら、社会では主観ばかりでは対立が増え、結論に至りにくくなることもあり、そのために客観的なデータやエビデンスが求められます。したがって、例えば「それはお前の主観だろ」という批判や、「もっと客観的なデータを提示せよ」という要望が一定数存在します。
「誰かの主観で決められたことに従うのは嫌だけど、客観的に導き出された結果には従う」と考える人もいるでしょう。
 現代において、主観は必要以上に忌避されているように感じられます。これでは、主観的に生きることは許されないような気さえします。しかしながら、主観のない人生は、いったい誰の人生なのでしょうか?

 ChatGPTに質問すると、こんな考察を提示してきました。
「主観と客観は、知識や情報を評価する視点やアプローチの違いを表し、客観性は客観的な事実や現実に基づき、主観性は個人の経験、感情、意見に基づくものとされています」。
 さらに、主観と客観については「両方の視点は重要であり、一方が他方を排除するものではありません」とも述べ、「客観性と主観性は互いに補完しあうもの」とします。

 理想的には、主観を持ちながら(哲学的に探求すれば、主観は本当に主観なのかという議論になりますが)、客観性も持つことが望ましいでしょう。
 他者の主観についても理解を深め、共に生きていくことが求められます。しかしながら、このような理想はほとんど達成できず、達成したとしても一時的なものになりがち。
 自分の主観と他人の主観が一致しないため、対立や衝突が起こりやすくなります。その結果、自分の主観を強く持ちながらも、他人の主観に寛容になれる人はなかなか存在しないため、社会は住みにくく、人生は生きにくくなっていくのではないでしょうか。ただでさえ衝突がなくても、十分に住みにくく生きにくい状況が起こり得ますけども。

 主観と主観のぶつかりに対して、ChatGPTは次のような建設的な方策を提案してきました。

・コミュニケーション……対話を通じて話し合うこと。仲良くなれるかもしれません。
・共通の目標を持つ……これにより客観的な視点が加わりやすくなり、協力関係を築けるかもしれません。
・第三者の意見……第三者の考えを聞くことで、客観性が増すかもしれません。
・妥協……お互いに何か妥協できる点を見つけること。折り合いを探ります。
・相互尊重……お互いに相手を尊重し、敬意を持つことで、理解を深める姿勢も強化されるでしょう。

 主観と主観のぶつかりを解決するには、ある程度の時間が必要です。したがって、時間的余裕がない場合には、激しい衝突を経て遺恨を残すことになるかもしれません。
 主観的に生きるには、時間的余裕を持つことが伴うのではないでしょうか。そして主観的に生きにくくさせているのは、時間の不足が原因ではないでしょうか。