みしん

歌うたう/撮ってもらう/精神疾患奮闘中/服狂い/未届の夫と黒猫アムと灰猫ブリショミルと…

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歌うたう/撮ってもらう/精神疾患奮闘中/服狂い/未届の夫と黒猫アムと灰猫ブリショミルと暮らしています

最近の記事

ねえ、おとうさん、どうして。

昔、おとうさんが時々散策に行く森で、クマに遭遇したことがある。 それは私にとっては痛烈な恐怖で、その後おとうさんに、もうなるべく森には行かないで、行ったとしてもすぐに帰ってきてねとくちぐせのようにうわごとのように話していた。 それなのに、ある日おとうさんは、森の管理者、クマの飼育員の仕事を始めた。 他の仕事ではだめなのかとわなわな震えながら言う私に、お給料も良いし、この仕事なら◯◯と居られる時間が増えるんだと、のっぺらぼうみたいな顔で言った。 おとうさんが、クマの匂いを

    • 楽しくてもだめなんかい

      1月末の数日間、突然調子が下がってしまって、というか転落してしまって、やばかった。 普段幸せを願っているやわらかい景色が様変わりして、お願いだからその光を私に向けないでくれ消えてくれ、と本気で思うようになってしまうのが毎度毎度心底ふしぎ。 勝手極まりないし、人間ってほんとに気分で出来てるんだなと、沼から這い上がった後に思い知らされる。 今回の原因はたぶん、このところ楽しく充実していたから。 いろんな人と会えたし、去年から準備している音楽のことも前進してわー良かった!とはし

      • うちのかぞく/そのひとの本質

        いま思えば 帰る場所がほしいほしいとずっとずっと言っていたのは、安心できる家がほしいと同義だったのだと気付く。 だから、そういう場所ができて、今の私はすこしだけ耐久性があがった。 うちのかぞくのことを書きたい。 夫である見届さんは、文字通り我が家の見届人。 誤解を恐れずいうのなら、恋人だった瞬間など一度も無く、かといってパートナーとも言い難い、正直に言えば養父のような立ち位置。 私にとって、彼は、繭。 シェルターや籠などの、安全だけれど仄暗さがただようものではなく、静謐

        • 2024

          2024年、あけましておめでとうございます。 昨年も気にかけていただき見守っていただき、大変お世話になりました。 年越し初詣にて、参拝しおみくじを引き茅の輪をくぐり、全力で(おもに音楽関係の)良いご縁をお願いしておきました。 おみくじでも、言葉の本質を捉えなさいとのアドバイスが。うう…しみる…… 今年はこれまで以上に 心と身体と声に向き合って、派手じゃなくても真摯に邁進していきたいです。 そしてみなさまも穏やかに充実していたら、それらと縁が繋がっていったらさらに嬉しい。

        ねえ、おとうさん、どうして。

          今年のかんじ

          今年もあと◯日ですね〜! と、 ほぼ毎日夕方のニュースでカウントダウンをきいている。 今年は珍しく家に居る時間が多い、ゆったりとした年末年始。 ・ 今年を振り返ってみて、私の2023年の漢字は『調』とした。 自分にくわえて、他者の体調や心調によって選択を変えた時期があったり、全体的に自身を整える・調えることに重きを置いた一年だった。 これまでのやり方では立ち行かない関係や状態に幾つか出くわして、ああ人生のステージが変わりつつあるのかしらーと、観念して改めて向き合った結果

          今年のかんじ

          追記

          下記、一週間くらい前に書いた、前記事の続きのような独りごとです。 現在は少し冷静になって、今やれることをやって内側から満たしていくしかないなという結論まで来ていますが、この気持ちはどこかに残してあげたいとなんとなく思ったので、ほぼ推敲せずに載せます。 ・・・・・  その人に担ってもらっていた部分があまりに、想像以上に大きくて、 今の私は存在が脅かされている 依存していたとも違う、 私の心の中で磨き続けて星のようになっていた存在が、 見上げては励まされていた、 当たり

          ミューズを失くす

          ブログに書いたあの話は、私にとってつまりミューズを失う大事件だったのだと後から実感が湧き、そこには単なる失恋以上の変革があった。 現実的でない妄想も含めれば、自分の今後の設計の大部分を組み替えなければならず(身体の人生においても、音楽の対象の一部においても)、そこに向き合い言語化できるに至るまで、吐きそうなのに吐けない時のような、煮え切らない気持ち悪さを抱えていた。 毎日胃のあたりが重くて、目が霞んで、眠くて眠くてたまらなかった。 しかし一ヶ月も経つとさすがに落ち着き、そ

          ミューズを失くす

          ドライフラワー/怪物たちに見つかりませんように

          見届さんが法事の際にお花をもらってきてくれた。 現在の我が家は、猫の手が届かないところに飾れる場所が無いためよくドライフラワーにする。 ドライフラワーというモチーフが昔から好きだ。 死に切ってしまう前に形を留めてしまおうというスタンスがなんとも共感できる。 歌詞も書いておいたけれど、形にする前に優里にとられてしまったのでお蔵入りにした。 言い訳だな、音楽業界は早い者勝ちだ。 最近、昔好きだった人とまた連絡を取るようになり、やっぱりどうしても心揺さぶられることが多い。このあ

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          ドライフラワー/怪物たちに見つかりませんように

          6月

          6月終わるの早すぎませんか? びっくりというか、ぽかんとしています 今月は、前半がっつり体調を崩し 後半たくさん人と会っていました 合間にギターの練習や読書をちょこちょこ それにしても毎度毎度、 いけるぞー!ってはりきった直後に体調崩すので これはそういう仕組みなんだなとやっっっと気付き始めました… はりきるとハイになって、睡眠不足になったり不調のサインを見過ごしてしまう、 んである日突然動けなくなる笑 (最近軽躁状態なので漢方も追加しました。 抑肝散、 気分穏やかにな

          音楽やアートから晩ごはんのおかずまで

          このところ展示やライヴを見に行くことが続き、私の心はふくふくしている。 なんならふくれて溢れ出し、涙になって一日数回ぽたぽた落ちている。 自分のなけなしの創作も含めて感じること。 それは崇高な音楽やアートから 晩ごはんのおかずまで同じ構造、 創ることにどれほど時間や労力をかけても、 受け取る側の心にいつまでどこまで残るかは 全く保証されないということ。 一瞬で消費されるものも数々あれば、 人生の糧として残り続ける一作(一品)もある。 創る側からしたらかなしいおそろしい話

          音楽やアートから晩ごはんのおかずまで

          ギターはじめました/とても遅い

          2ヶ月前からギターレッスンに通っています。 今更感すごいよね。我ながら。 専門学校時代にアコギを買って以来 何度も挑戦しては瞬時に挫折していたんですが、 なぜか今なら弾くイメージがついたからです。ふわっとした直感。 初めてみるとその通り、今まで躓いていたあれやこれやをすらすら超えて、練習するのが楽しいです。 これまでに巧い人の演奏を近くで沢山見させてもらってるから感覚を掴むのも早いみたい。(見よう見まねで吸収するタイプなので、これまで出会ってくれたギタリストの皆さまとても

          ギターはじめました/とても遅い

          天国と地獄

          私は現在 天国の地獄にいる 地獄の地獄に心奪われていたころからすると夢のよう 食べられて 眠れて 歌えて 生活の確約 代わりに心を差し出している 少しずつ心を削っている 誰にでもない 目に見えないものに だから天国の地獄 わたしが決めたことだけど なんにも分かっていなかった 一人きりじゃないというものがどういうことか 反対に 地獄にも天国がある 仄暗い階段を降りた先 地獄の中の台風の目で 忘れられない君を喰む 心を差し出す相手が分かっているから 地獄の天国 **

          天国と地獄

          海と高速道路

          2月は、一年の中で最も負担がかかる月。日記なんかを見ても、毎年決まって一番荒れている。 日照時間やら寒さで不調状態がデフォルトになってしまうのと、お国に申請している諸々が2月更新なので、苦手な書類や役所と格闘しなければならない(そしてそのやりとりで自分の至らない状態を更に突きつけられる)のが大きな理由だと思う。 特に今年の冬は、いよいよ午前中に起き上がることが出来なくなってしまったため、自由に活動できる時間がとても少ない。その中で猫を限界まで吸う事、未届さんに食事を世話

          海と高速道路

          祈り

          昔の自分だったら祈るといえばお仏壇の前か行きたいイベントの当落くらいだったけれど、このところ、日常のなかでぼんやり祈ることがとても増えた。 あの案件うまくいきますようにとか、 あの人元気でいますようにとか。そういうもの。 年齢だろうか。年々苛烈になっている災害やコロナ禍の影響だろうか。 どちらにせよ自分の力だけでは叶わないものがあまりに増えて、祈るだけしかなくなってしまったのかもしれない。つまり悪く言えば他力本願になったともいう。 (昔は自分がなんでもできると思っていたの

          健康-年始

          前記事の余談?ですが、年末に地元の祖父がコロナ陽性になってしまい、その関係で今年はお正月帰省ができませんでした。 幸い両親には感染しておらず、おじいちゃんも重症化せず治ってくれたことにはほっとしたけれど、旅行が気分転換にならない性分としては負担少なく外泊できる帰省をすこぶる楽しみにしているもので、新年早々コロナを心底憎みました。一か月前から予定空けたのに。帰ったら父とドライブしたり母とお買物したかったのに。 とはいえ、自分も年末はギリギリの体調でやり過ごしていたので、年始

          健康-年始

          健康-年末

          昨年は、私だけでなく家族の健康も危うい場面が多く、色々考えさせられた年でした。 父に癌が見つかったり、未届さんが原因不明の目の病気に罹ったり。 父は手術して経過観察中。 未届さんは夏頃に突然右目が見えづらいと言い出し数ヶ月にわたって検査を受けたものの原因が分からず、今も右目が使えない状態。失明はしていないけれど、明るさしか認識できず物が見えないらしい。 片目しか見えない状態でも生活を支え続けてくれて、本当に頭が上がらない。ずっと甘えっぱなしだから、私に出来ることを模索して

          健康-年末