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『サヨナラのメロンパン』(2000字のドラマ応募作品)



 秀人が突然転校したから、僕らのバンドは呆気なく解散した。
「あいつ、なんで福岡に行ったんだ? 俺理由すら聞かされてねえよ」
 気が立っている成典は、左手でおにぎりを持って食べながら、左手でドラムのバチを持って頭を掻いている。今はドラムじゃなくてあいつを叩きてえよと呟く。上手いこと言ったと褒めてやりたいが、今はそれどころではない。
「僕は聞いたけど」
「そうなのか? なんだよ理由って?」
 あれは確か二ヶ月前のことだ。紅葉シーズン真っ只中に、秀人が僕を自宅に呼び出した。箱状の段ボールが床に転がっている状況の中、彼は無表情で「俺、転校することになった」と告げた。
「なんで?」
 当然、僕は聞き返した。すると彼は唇を噛みしめ、どこか悔しそうな顔をしていた。
「いや、言えないなら言わなくてもいいけど」
 だけど、秀人は最終的に口を開いた。
「母の実家に帰るんだ。最近、両親が離婚しちゃったから」
「ああ、そうなんだ。でも残念だよ。三人でずっと一緒にいたから」
「ごめん。バンドも解散になっちゃう」
 秀人は申し訳なさそうに眉尻を落とし、僕に深々と頭を下げた。
「いや、謝る必要はないよ。しょうがないことだから」
「うん」
 僕の話を聞いた成典は、「家庭の事情かあ」と諦めたように言った。
「それじゃあ、俺たちにはどうしようもできねえな」
「うん。こればかりは誰を責めることもできないよね」
 しかし少し経って、成典が首を傾げた。
「でもよ、どうして俺には教えてくれなかったんだ? ますます訳が分からねえよ」
 彼の苛立ちは余計に募ってしまったようで、僕は真実を話すか迷った。正直、この真実を彼に伝えてもどうにもならない気がする。火に油を注ぐ結果になってしまうかもしれない。だけど、言わないで胸の内に閉じ込めておくのは何か違う気がする。
 僕は再び、過去の記憶を蘇らせる。
「どうして成典は呼ばなかったの?」
 僕が尋ねると、秀人が露骨に顔をしかめた。一瞬で目にあった光を曇らせた気がした。
「だって、あいつ……」
「あいつ?」
 秀人は少し声を震わせ、喉から精一杯の声を出した。
「パン派の俺を馬鹿にしたから」
 え? 僕の頭の上には、大きなはてなマークが浮かんでしまった。
「覚えていないか? ちょっと前に三人でお昼ご飯を食べていたとき、メロンパンを食べていた俺に対して、成典は『いつも思うけど、主食でパンはないだろう』って、嘲笑うように言ったんだ。それがショックだったんだ。昔からパンが大好きで、俺の人生はパンと共にあったからさ」
「でも、そのときに怒ったりしなかったよね? 言い返せばよかったのに」
 だが、秀人は「それはできないよ」と言った。
「怒りの沸点が低いって思われるのは癪なんだ。それに、あのときはもう転校することも決まっていたから、ここは怒りを沈めて時間が解決してくれると思ったんだ。でも、ダメだった。時間が経つほどに、自分が好きなものが馬鹿にされたことが悔しくて、耐えられなかった」
 ここまでの経緯を成典に伝えると、彼は口をぽかんと開けて、理解不能を顔で表現していた。
「それだけ?」
「うん。それだけ」
「マジかよ。それで最近一緒に飯を食わなくなったのか」
 成典は斜め上の真実を受け止められるのだろうか。ただ、意外にも成典は呆気なく「俺が悪いんだろうな」と非を認めた。
「俺は根っからの米派だから、パンばかり食べるあいつを見て、つい突っ込んじゃったんだ。悪気はなかったぜ。でも、傷付いたのなら謝るしかねえよな」
「うん。そうだね」
「しゃあない。電話するか」
 成典は携帯電話で秀人にコールする。すぐに応答があった。
「俺、成典。お前、俺の発言に怒っちまったみたいだな。マジで悪かった。反省してる。うん、うん。え? 償いをしてほしい?」
 なんだ、償いって。
「お前が一番好きだったメロンパンを食べろ? いや、俺甘いもの好きじゃないからなあ」
「そんなこと言っている場合じゃないでしょう」
 僕が指摘すると、慌てて「分かった。食うから」と秀人に言った。
「分かった。伝えておくよ。じゃあな」
 成典は電話を切って、「とりあえずパン屋行くか」と僕に言った。
 僕らは近所にあった老舗のパン屋に入り、偶然残っていたメロンパンを一つだけ買って店を出る。店の向かい側には公園があり、僕らはベンチに座ってメロンパンを半分個にした。
「メロンパンなんて久しぶりだなあ」
 成典はしみじみと言って、ジロジロと眺めた。
「ここのメロンパン、サクサクで美味しいよ」
「へえ。じゃあ早速いただきますか」
「そうだね」
 僕らは元気よく生命に感謝して、メロンパンにかじりつく。
「うん。美味しい」
「甘いけど、これは悪くねえな」
 それから僕らは黙ってメロンパンを食べ続ける。お互いに、福岡へ行ったダチを思い出しながら。
「あいつさっきの会話で、三人でいた時間が楽しかったって言って、電話越しで泣いてんだよ。これからも連絡取り合おうって」
「うん。それがいいね」
「なんだかんだで仲良かったよな、俺たち」
 成典の声がかすれているように聞こえて横を見ると、少しだけ頬が濡れていた。
「また、きっと会えるよ」
 サヨナラのメロンパン。また逢う日まで。


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