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ホンダアツシの【読むべし!】vol.1/内田樹さん「教育についての『いつもと同じ話』」

あなたに是非読んでいただきたい必須の記事、文章を紹介します。

今回が、vol.1です。


危機感をもって書かれた内田樹氏の記事をご紹介します。

ブログ記事より。

内田樹の研究室
『教育についての「いつもと同じ話」2020-03-03 』
http://blog.tatsuru.com/2020/03/03_1212.html


内容は教育についてです。


今教育で起こっていることは一体何なのか?
今なぜ声を上げるのか?


すでに長く話されてきたことですが、
その危惧していたことが、
もう完全に現実のものになったと言って良いし、
多くの人は、今の現状に対し、疑いすら持たなくなっています。


僕自身も、地域教育カフェやひとりライブ配信で、このあたりについてはかなり話してきている内容です。こちらをあわせてご覧いただくと理解が深まります。

すでに現実化してしまい、かつ固定化されつつある、危機、そして悲劇です。

以下に、鍵になる文を引用転載しますが、是非全文を読まれてくださいね。

また、興味の湧いた方は、内田樹さんの書籍を読み解かれることをお勧めします。

   


以下、引用・転記 

私が言い続けてきたのは
(1)学校教育をビジネスの言葉づかいで論じてはならない
(2)学校教育の受益者は集団全体である
 という二点に尽くされる。
だが、子どもたちが消費者気分で学校教育の場に登場すると、学校教育のあり方は一変する。
これからは「売れる商品」が「よい商品」だとルールが変更されたのである。
だから、これからは子どもたち(と保護者たち)は学校にいったい何を望んでいるか? それが最優先の問いとなる。
親たちは同じ教育商品を提供する学校が複数あれば、その中で最も学費の安いところを選択するだろうし、同じ理由で、子どもたちは親が選んだその学校を最少の学習努力で卒業しようとするだろう。
ここで言う「学習努力」には勉強だけでなく、教員に敬意を表したり、校則を守ったり、級友たちと適切なコミュニケーションを行うなどの「学習環境を整える」すべての努力が含まれる。
だから、消費者として学校教育の場に登場する子どもたちが学習努力を最少に抑制しようとすると、まじめに授業を聴き、教師に敬意を表し、校則を守り、級友たちと穏やかな友情を結び、親密なコミュニケーションを立ち上げるインセンティブは損なわれる。
市場原理を学校教育に適用すれば、学校はできるだけ教育をせず、子どもたちはできるだけ勉強しないように努力するようになる。よい悪いではなく、「そういうもの」なのである。
もう一つ言いたいのは、学校教育を「実務」に即してと主張する人たちが脳内に描いている「実務」の具体的なイメージが工場での製品製造プロセスだということである。
ともあれ、当時の子どもたちは自分のことを「どんなものに結実するかわからない何か」だと思いなすように訓練されていた。
今の学校で子どもたちの自己イメージは「種子」ではなくて、「消費者」である。消費者は登場した瞬間にすでに完成している。変化しないことが前提なのである。
今、教育関係者が口にしている「ビジネスの言葉づかい」なるものはすでにずいぶん時代遅れのものである。それが無効であることは、日本の学校教育の壊滅的な現状を見ればわかるはずである。
第二の論点は駆け足で述べる。それは「学校教育の受益者は個人ではなく、集団全体である」ということである。
そのときに「なるほど、受益者負担の原則に基づけば、学校教育に税金を投じるのは間違ってますね」ということで国民的合意が成っていたら、今でもアメリカは文字が読めず、四則の計算もできない貧しい国民を大量に抱え込んだ「後進国」だっただろう。

さいわいそうなっていないのは、口うるさい納税者たちを黙らせて、「学校教育の受益者は個人ではなく、集団全体である」と言い切るだけの常識をアメリカ市民が具えていたからである。
子どもたちに生きるために必要な知識と技能を教えるのは集団全体の義務である。


内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/2020/03/03_1212.html
『教育についての「いつもと同じ話」2020-03-03 』


(おわり)




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