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「今でもなお、まちに名は残るのだ。この先もずっと。残るものを誇ってはならないし、過去を自慢してもそれは慢心というものだ。“実るほど頭を垂れる稲穂かな“我々日本人の謙虚な姿には美しさすら感じるし、僕はそれがとても好きなのだと思う」

「今でもなお、まちに名は残るのだ。この先もずっと。残るものを誇ってはならないし、過去を自慢してもそれは慢心というものだ。“実るほど頭を垂れる稲穂かな“我々日本人の謙虚な姿には美しさすら感じるし、僕はそれがとても好きなのだと思う」


タイトルは長いが、この記事はそういう記事である。

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僕はこのまちの、政治の家に生まれ育った。(ご存知の方も多いだろう)。

身内には2人の市長がいる。

旧浦和市(現さいたま市)市長、旧新南陽市(現周南市)市長である。

どちらも本田という姓である。


こんな田舎町から(旧)浦和市の市長が出たというのは途方もない話に思える。
僕がまだ子どもの頃、すでに引退していた爺さんは、長期休みのたびに帰省していた。
よく一緒に風呂に入っていた。
田舎の少年にとっては、とてつもなく都会的で気品あふれる上品な人であった。(著書を読むと、わりとやんちゃな方だったよう)

僕の中学の卒業式には、現役の新南陽市長であった爺さんが、来賓として出席、祝辞を読んだ。変な気分である。


今は合併して周南市となり、新南陽市という新しくできたまちは、短命のうちにその歴史の幕を閉じた。


合併したとはいえ、当時の足跡は残されている。


市の施設や公園には、設立時などにできた記念碑のようなものが残っていて、そこには確かに市長の名前が残されているのである。

それらを目にするたび、政治に関わる人、まちを担う人の、その責任の重さを感じるのだ。

重要な役割を担うことは、こうして後世にまで名前が残る特殊なことである。


だからこそ、それを自慢するようなこと、手柄だと叫ぶようなことは、明らかに愚かなこととなろう。


何より、「名前は残る」のである。


あなたが叫ぼうが、自慢しようが、嫌だと言おうが、名は残るのである。

もしそれを手柄のように誇るのであれば、それはただの慢心でしかない。

むしろ、そのコトの大きさに、その重圧に、『畏れ』こそがあるべきで、恐れないこと自体が、大きな勘違いであり、慢心としか言えないのである。

“実るほど頭を垂れる稲穂かな“


懐古主義に走るつもりはない。
しかし先人たちは美しい言葉を残したものだと思う。
謙虚、という言葉を強引に用いることも好まない。
時代に合わない言葉かもしれない。
謙虚さを若者に望むわけではない。

それでもなお、美しい言葉だと思う。
誇るべき姿勢だと思う。

強大なものへの怖れ、得体の知れないものへの畏れ。

畏怖。

責任ある立場にあるものほど、畏怖を感じることのできるだけの感度が必要なのである。
徳に生きるというような心こそが必要なのである。

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我々は生かされている。

その役割もその立場も、その地位もその名誉も、
あなたの特別な才能や天才性ゆえにもたらされたものではなく、ましてや、あなた個人が獲得した成功ですらなく、
それは、ひとりの生かされた者として、ただ生かされるがままに、あなたに訪れた何かなのである。
たまたま呼ばれた何かだというような。
英語で言うcallingのような何かである。


翁たちの名が記された碑を見るたびに、
あぁこうして名が残るのだ、ということを考えさせられる。

そしてそこにある重圧も…。

これはそういう記事である。

「今でもなお、まちに名は残るのだ。この先もずっと。残るものを誇ってはならないし、過去を自慢してもそれは慢心というものであろう。“実るほど頭を垂れる稲穂かな“我々日本人の謙虚な姿には美しさすら感じるし、僕はそれがとても好きなのだと思う」

(2人の市長、故人に捧ぐ)

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(すべての画像/えんとつまち旧新南陽市・現周南市、2020年撮影)


−おわり−




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