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オンライン授業/教育と教育の行方その1

教育と学校。その1。

この状況下で、オンライン授業といいながら、
アーカイブでよい(ライブでなくてよい)ものの制作を、今更始める必要はない。

一方通行でしか成立しない一斉授業を垂れ流すのも、そもそも労力の無駄だ。


冷静に、また客観的にならねば、先生は目の前の授業に溺れる。
なぜならそれが先生という職につく者特有の我欲であるからだ。
自己満足は今は必要とされていない。

なぜオンラインで画面が見にくいのに、わざわざ一斉講義型をやろうとしてしまうのか。
なぜオンラインで音が聞き取りにくいのに、カメラと距離を取った板書授業を行なってしまうのか。


一般の方には理解しがたい領域。
そしてそれは我欲のあらわれ。
同時に、その型でしか教えることのできないスキルの低さ。
すでに多くが露わになり始めている。


せっかくライブ授業をするのであるから、双方向であることの意義を改めて確認する必要がある。


そもそも、普段からコミニケーションをとっているつもりで、相手の話を聞くことなしに一方的に話しているかもしれない可能性を疑った方が良い。普段、相手の話を聞く、受け止める、コミニケーションができていないとしたら(現状手遅れではあるが)、うちでご相談に乗れるかもしれない。


あわせて、学校や先生が、子どもたちや親御さんに求められていること、最も力を発揮すべきところは何なのかについて、考えねばならない。


時間も労力も、これはいつだって限りがあるわけだから、より必要性の高いところに力を注ぐべきだろう。
(これも必要ならご相談に乗れるかもしれない)

オンライン授業は、テクニカルなことと、授業そのもの、これらかなりかけ離れた二つのスキルを併せ持っていると強い。
(これも必要ならご相談に乗れるかもしれない)


デジタル系は、地方では想像を絶する次元で遅れているということがどうやら判明したので、ここは踏ん張りどころかもしれない。できない理由をすぐに見つけて、逃げだす人が多すぎるのだ。


簡単な初心者用zoom利用講座(一般の方用)と、
zoom初心者用オンライン授業講座(先生用)が、やれるといいなとは思ってはいるのだが。  

まあ簡単には空き時間がないので、
僕は自分のところの子(生徒ね)たちに全力を尽くす。
体弱いので限界は早いが。


関わってくださる方に感謝しつつ、 
関わってくださる方のいる身近な領域で、まずは全力を尽くそう。

あとはもう少し学校の方向性が見えてこないと、子どもたちも僕もがんばりようがないので、そのあたりも何かしら見えてくるとよいのだけれど。


(おわり)




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