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震災から10年 被災地にて考える②

3月8日(月)、日記形式なのに昨日はまとめすぎたので今日はあっさり書く。

現在の避難地区の状況

改めて見返してみる今回は南相馬市、葛尾村、楢葉町あたりを回りたいと思っている。ちなみに小高区は南相馬市の南の端っこ。

https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/list271-840.html
避難指示区域の現状

小高の町を歩く

 町を練り歩いてみて、きれいさっぱり空き地になったところと、新しくなった家の二極化が明らかだったけど、実際被災した際はどんな風景だったのだろうと思いを馳せる。で気になって過去の写真を見てみるとこの辺は「地震」での被害で倒壊した家屋が多いことに気が付いた。津波と原発事故のイメージばかり先行していたが、東日本大震災が大地震だったという事に改めて気が付いた。

津波の被害マップ、今いるところは小高駅に西側エリアでギリギリ津波被害が少なかったようだ

海岸沿いは地震&津波だけれど

駅前の当時の写真、泥が流れ込んでいる

同じ場所の現在

小高区の市街地は実は地震被害が大きかった様子

小高小学校、小高区にある4つの小学校から生徒が集まる。全校生徒63名

人工芝の遊び場、まだ開館前かな?

近くの高校と合併した商業高等学校

要所要所に放射線量計がある

改めて見返すと新しい家と空き地に当時の風景を見れる

あとちょっと市街地から離れると目立つのは恐らく管理されていないであろう田んぼの跡地、広大な敷地がそのまま残っている所が多い。ただ大規模に農業を始める予定なのか整地されている所もあった。

小高の飲食店を巡る

地元の方女将が再開した双葉食堂はお昼時列が出来ていた

中華そば大盛り750円

ちょっと足を運んだ温泉施設ゆっさにて

更紗さん、ランチ営業もやっている居酒屋でお酒も地酒からカクテルまで、居酒屋で頼みたいメニューが大体そろっている、なんでも出しますよと言っていたがほんとになんでも出してくれそう

試しにメニューにはない馬刺し定食を頼んでみた、會津の地酒も。

 更紗のオーナーは30代くらいのとても気さくな方だったので、何となく現状についてお話を聞いてみた。オーナーは避難指示解除されて結構すぐに帰ってきて、母親のスナックの場所をリノベーションし、今のお店を始めたとの事。ただ現在3700人程度だけれど増加傾向はそろそろ打ち止めで、実際戻ってきている人も年配の人が多く元気になったとは言い難いという様子でした。あと復興の取り組みの先端は徐々に双葉町の方に移ってきている様子。ただ今はやっぱり何もないけれど都会みたいに人でにぎわってくれたらいいなとは切に思うとの事でした。

小高区の避難指示解除について

 福島県南相馬市小高区は、地域の大半が東京電力福島第一原発から20キロ圏内にある。そのため、原発事故後、区内の大半の地域が居住制限区域および避難指示解除準備区域に指定された。震災から5年が経過した2016年7月12日。南相馬市の居住制限区域および避難指示解除準備区域が解除された。震災前に約1万3000人だった南相馬市小高区の人口想定を5000〜6000人としているが、3700人程度で現在停滞している。

昨年までは増加傾向だが、最近は停滞している
https://www.city.minamisoma.lg.jp/material/files/group/11/kyojyujinnkousuii_030131.pdf

今日行ったとこ
双葉食堂:https://tabelog.com/fukushima/A0704/A070403/7005353/
新田川温泉ゆっさ:https://yussa.jp/
南相馬市 消防・防災センターhttps://www.city.minamisoma.lg.jp/portal/safety/bosai/5111.html
更紗:https://tabelog.com/fukushima/A0704/A070403/7014034/

 なんか結局ちゃんと書いてしまった。明日は南相馬市歴史資料館と中央図書館へ行ってみようと思います。

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