食事と言葉に隠れている「愛」
食事と言葉は似ているような、似ていないような。
「共通点がある?」と聞かれると「ない」と答えがちだ。手で持てる食事と、形のない重たい言葉。実は影に隠れた共通点がある。忘れがちで深く考えないけど、それは確かに存在している。食事と言葉には「愛」がある。
生まれてからずっと手を繋いで最後の日まで支えてくれるものは?
考え出したら何の支えがあるのかすぐわからなかったけど、やっとわかった!分かった途端そのシンプルさに驚いて、シンプルなことから難しい動きが始まると改めて思った。
わかったのは「体は食事で作られて、心は言葉で作られる」。当たり前なことだけど、文字にすると自分の生き方が変わってくる。食事を大切にして、心のバランスを守るために言葉を深く考えることになる。言葉の隙間まで入って感情の感じ方は倍になって、感情に新しい「愛」と出会える。最低限の料理もやる気がない料理も、その思いやりと行動の奥に新しい「愛」がある。
食べる時の音、丁寧に活かした言葉。その隙間にも「愛」がある。
食べる時の言葉、喋る時の感覚。その隙間には「感情」がある。
食べた後の行動、1人の時の言葉。その隙間には「大切さ」がある。
食事に繋がる感情と執筆と会話をした後の気持ちは、日常生活の力になる。わかりやすく例えると、イタリアの文化では「食べる」「歌う」「愛」というキーワードが1番大事で、自分の周りまで広がる。仲間と食べるとより美味しくて楽しい時間になる。会話の量も多くてテンションが上がる。高級感より特別感の空間から、人間らしい愛情も溢れる。
みなさんからいただいたサポートを、次の出版に向けてより役に立つエッセイを書くために活かしたいと思います。読んでいただくだけで大きな力になるので、いつも感謝しています。