教祖なんていない

わたしには自分のことを唯一全て話せる親友がいる。

この歳になると親に話せない話が増えてくる、特に自分のセクシャリティーについて、わたしはバイセクシャルだが、ほぼレズビアンに近いと思っている。(なぜなら、、、(この話はまた別の機会に))

わたしのこのセクシャリティーを知っている唯一の人がこの親友であり、彼女を好きになったこともあった、わたしはつい口が滑りカミングアウトと同時に告白をしてしまい、彼女は丁重に告白を断ると同時に本当のわたしを受け入れた。

そしてその出来事があってから数年経つが、関係は変わらず私にとってなんでも相談でき、頼りになる親友として関係は続いていた。

そんなある日、遂に彼女に久しぶりの彼氏が出来た。
彼女はその彼と付き合う前からわたしに「最近デートによく誘われる人に告白されるかもしれない」と喜びを隠せず電話をかけてきた。
とても嬉しかった、彼女の魅了はわたしが1番知っているし、何故世の男はそれに気が付かないのかとムカついた事もあった、だからやっと彼女の魅力に気づいたセンスのある男が現れたんだと。

しかし、段々とこの喜びが悲しみに変わっていくのを感じた。

私はやっぱり彼女のことをまだ忘れきれていなかったのか?いや違う、わたしは彼女に依存してたのだ、今までわたしは彼女の他の人とは違う考え方、服装、髪型に対し、尊敬の様な念を持ち、何か自分の悩みが出来ると彼女に相談し、助言を求め、その助言にしがみついてきた。

しかし、彼女は彼氏が出来た途端あからさまに機嫌が良くなり、「キスっていつするのかな」なんてわたしに聞いてきたりもした、
そしてわたしは気づいた
「あぁ彼女も皆んなと同じじゃん」と。 

わたしはようやく長い夢から覚めた気がした。 
彼女は全く悪くない、悪いのはわたしで、
彼女を自分の中で教祖化しすぎてしまったのが原因だ。

言い訳が言えるのなら「だって誰かの言うことを聞きなさいって子供の時から大人が教えてきたんだもん」とでも言っておこう。

そしてまた同じタイミングでもう1人のわたしの教祖であった母親と踏ん切りをつけた。

わたしは進路の事で母親にここ一年ずっと相談をしているが意見が合わず、全く話が噛み合わなくなった。
そしてとうとう母親を客観的に見てしまうようになり、彼女の人生を尊敬できなくなってしまったと同時にそう感じてしまう自分に怒りが湧いた。
だが、如何頑張ってもわたし達の間に生まれた僅かな溝は決して軽い物ではなくなっていた。
そんな時にふと数年間音信不通だった親戚の人が数年振りの再会で「家族だって所詮他人だ」と言い放った言葉が脳裏によぎった。
「あの人が言ってた事はやはり本当だ」
一瞬この親戚の人をわたしの新しい教祖にしようと思ったが、それは辞めておくとする。

このような形でとうとうの野に放たれたわたしはもういい加減、自分で立たなければならないのだ。これからは自分の責任の上で自分で道を切り開かなくてはならないと分かった時、やっと自由になったとも感じた。

ps.正直この先の親友とその彼氏との夜の行く末を考えるとやっぱり全く良い気はしない。

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