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燃え殻がいいよと息子は言った


妻に何か買って帰ろうと未来屋書店をぶらついていた。彼女が新作を読みたいと言っていたカズオ・イシグロの単行本を手に取る。しかし今の妻にこの分量の小説を読む時間が捻出できるのだろうか。逡巡している僕の目に入ってきたのはさくらももこの昔のエッセイ本。ひとつの話が数ページで読み終わるエッセイ集の方が現実的かも。さくらももことカズオ・イシグロを手に取り考えこむ僕の背後に長男がピタリと貼りついていたようだ。気づいていなかったので「ようだ」としか言えないが。


ママの本を探してくるからここらへんにいなさい。僕の指示に素直に従い、ついさっきまでマンガコーナーにいたはずの息子は、人知れず僕の背後に立ち、僕を監視していたらしい。僕の手にあるカズオ・イシグロとさくらももこを目視した上で、父親の間違いを正す義務感に襲われたのであろう息子は結構な大声でこう言った。


「ママは燃え殻が好きだよ!」


燃え殻?あぁそういえば妻が定期的に図書館から仕入れてくる本の山に彼の著書が混ざっていたことがあったね。何度かあったよ。やはり時間の無い彼女にはエッセイがいいのかな。


息子は物わかりの悪い父親に向かってもう一度言明した。


「燃え殻がいいと思うよ!」


そして静かにコロコロコミックコーナーに向かった。燃え殻か。小3で「殻」って漢字読めるんだ。妻に教わったのか。


それ以前に「燃え殻」と呼び捨てにしてもよいのだろうか。


「さくらももこ」や「カズオ・イシグロ」を呼び捨てにしても抵抗は無い。勿論、直接ご本人と話をするのであれば「さん」も「Sir」もつけるけど、著名人に関して言及する際、僕は基本的に敬称略だ。


しかし「燃え殻」。この名前は少し悩ましくて燃え殻と呼び捨てにすると心苦しくなるのだ。まるで人をモノ扱いしているみたいでさ。そもそも燃え殻はモノだから余計にややこしいのだけれど。


どの「燃え殻」かは文脈で分かるだろ、考えすぎだ。そう思う方もおられるだろうが世の中そんなに簡単でも無いよ。例えば、この場でこんなこと書くのもアレだが「note」と言っても知らない人は大勢いるわけで。


「ネット関係ですか?ツイッターとインスタやってますね。あと note 書いてます」


こう答えると、最後の「note 書いてます」で反応が微妙になる。老若男女問わず結構な割合でだ。「なんでそこで帳面の話が出てくんの?バカなの?」といった空気が相手の顔に漂うので「ブログの一種でして」と説明しようかとも思うのだが、面倒くさいから結局バカなまま帰ってくる。僕の周囲の人たちだけをサンプルにすると体感的に七割は note を知らない。僕は少なくとも周囲の七割にバカだと思われている。七割で済むなら御の字ともいえる。


燃え殻さん(←悩んだ末、さん付けにした) はとても人気のある書き手だが、ネットを日常的に使う層と頻繁に使わない層とでは、認識の差が大きい人にも思える。呼び捨てだと作家名と思われず何かの燃えさしの話だと思われる可能性は否定できない。


コロコロコミックコーナーを覗くと息子の姿が無い。もしやと思い振り返ると息子は僕の背後を取っていた。背後から僕の利き腕の逆側に移動した息子は相変わらずの大声で聞いてきた。「燃え殻みつかった!?」


「何冊か見つかったけどね。ママが読んだこと無いのがどれなのか分からんのよ。」


「そっか。ママに LINE したら?」


「ママに聞いたらプレゼントにならないでしょ。あと、今日からは燃え殻さんって呼ぼう。」


「わかった!」


妻へのお土産と自分用の漫画を手にしレジに向かった。燃え殻さんの著書は彼女の誕生日にでも。今年の母の日はそんなかんじ。














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