血の通った人形 1

〇あいさつ

 
 今回の記事は、これまで書いた事のないジャンルの物語を書いてみましょう。という事で挑戦した物語となります。
 物語の内容は全て空想です。
 流血表現などはありませんが、一応、ホラー作品のつもりで書いたものとなりますので、そういった作品が苦手な方はブラウザバックをお願いいたします。
 また、この物語は一万文字以上あるため、6回に記事を分けております。その為、読みづらい部分もあると思われますが、何卒ご容赦ください。

 暑くなってきたし、ちょっと怖い話を読んでみたいな。という方は、どうぞ、ごゆっくりとお付き合いくださいませ。

〇血の通った人形

 十四歳の誕生日を前に、従妹が失踪した。
 私は故郷の田舎を離れて以来十七年間、自分からは一度も連絡を寄越さなかった兄から、受話器越しにとんでもない話を聞かされた。

「娘が失踪した」

 挨拶もせず、兄は第一に言った。その声は言葉に反して冷静であり、淡々としたものだ。と、までは言わないが、呆気ないほど落ち着いていた。

「なんだって? どうしてそんなことが」
「分かるものか。定期健診に出かけたきり、帰っていないんだ」

 定期健診という耳馴染んだ言葉が、酷く厄介な物のように感じられる。

「定期健診? 兄さん。娘さんは、どこか悪かったのか?」
「いや……。別に、どこが悪い。と、いうわけでは、ない。ただ、年頃の娘。と、いうのは、予防接種や身体測定などで何かと、そう、何かと。病院の世話になるものだろう。そういうものだ」

 兄の言葉は歯切れが悪い。言葉の端々に混ざるおかしなイントネーションが、事情を説明する段階になると酷く耳障りに聞こえた。
きっと、兄の声の後ろから響く、兄嫁の奇声と皿を割ったような雑音が原因に違いない。
 私は兄夫婦が暮らす都会の街並みを夢想し、様々な地域から人が出入りする都会での暮らしは、人に言葉を忘れさせてしまうのだ。などという、馬鹿馬鹿しい噂話を思い出した。
 首を横に振る。人が言葉を忘れるなんてことはあり得ない。ただ、通じなくなるだけだ。
 元々、都会で暮らしていた兄嫁の言葉は、私たちとは異なっていた。兄嫁のそれは私たちのものとも、海を渡った先にある国のものとも違う。最早、兄嫁の言葉は、兄嫁国語と言っても差し支えない。ひらがなカタカナは勿論、アルファベットや神聖文字でさえも、彼女の言葉を正しく表記することは不可能だ。酷く耳に残る兄嫁の絶叫は、不協和音のコマーシャルよりも邪悪な敵意を持って、兄の言葉を遮ろうとしていた。
 私は受話器を耳から遠ざける。
 兄は、時折くぐもった怒声を響かせながらも、懸命に説明した。

「電話も通じず、一週間以上も帰っていない。私も、妻も。病院に行って来るという事以外、何も聞かされていない。部屋には、服も、鞄も、何もかもが、残されたままだ。同級生や知り合いの誰もが、彼女の行方を知らないし、心当たりもない。と、首を傾げていた」

 よもや、従妹は何らかのトラブルを抱えており、家出したのではないか。大人に言わせれば些細なすれ違いが原因であったとしても、年頃の少女にとっては天変地異のそれに匹敵することが多いものだ。
 私は声を和らげ、出来る限り平静を装った。

「病気の類いではないとしたら、他に何か、思い当たることはないのかい? 例えば、友だちと喧嘩をした。とか、急に成績が落ちた。とか、何か思い悩んでいる様だったとか」
「そんなものあるはずないだろう!」

 途端、兄が食って掛かる様に叫んだ。瞬間、酷い耳鳴りが私に襲い掛かった。受話器を遠ざけていなければ、きっと鼓膜を傷つけられていただろう。
 沈黙の後、兄の鼻息がスピーカーを震わせる。彼は続けて、小さな声で謝った。

「すまない……。お前に八つ当たりするような真似をしてしまった。だが、私の気持ちを察して欲しい。お前には言うまでもないことだろうが、彼女は高名な企業創始者の隠し子だ。彼の所にも、娘は来ていないという。もし、人に攫われでもしていたら、今に、恐ろしい額の身代金を要求されるかも、しれない」

 四十を過ぎて結婚した兄夫婦は、子どもに恵まれなかった。これは私の勝手な推測だが、きっと、兄は子どもを授かろうという気持ちが無かったのだろう。
 そこで、二人は兄嫁の父親から従妹を譲り受けた。その筋では高名な企業創始者の隠し子。そこには創始者は厄介払いができ、兄夫婦は子どもを授かるという、一見、お互いに損のない関係が成立していたのだ。つまり、従妹は兄嫁の異母姉妹であり、里子でもある。と、いうわけだ。
 しかし、真実がどうであれ。一度世間様が知れば、間違いなく面白おかしく厄介な事態になり、そして、二日酔いが醒めた後の様に綺麗さっぱり忘れられるに違いない。
 そのように数奇な生い立ちのせいか、従妹は少々、俗世離れした発想をする子だった。
 だが、年相応に無邪気で、新しい物好きな子でもあったのだ。
 たかだか十四歳前の少女が本当に困った時、頼れる存在は片手の指で足りるほどしかいないだろう。行政や公共団体も、手を伸ばしさえすれば助けてくれる。
 もし、従妹がそれらに頼れなかったとしたら。とても信じがたい事だが、彼女を取り巻く事情を知る者が犯人だとすれば、身代金目当ての誘拐に遭った可能性もあろう。まったく、被害妄想、見当違いも甚だしい。年頃の娘一人が帰らないというなら誘拐よりも、まずは家出を疑うものじゃないのか。
 兄の言葉に続いて、兄嫁の絶叫が響く。

「あなたにとっては恐ろしい額かもしれませんね! でも、お父様にとってはどうせはした金だわ! あのロクデナシが見つかりさえすればいいのよ!」
「黙れ! お前は黙っていろ!」

 私は、がなり立てる兄嫁と、兄の喧騒を遠くに聞きながら、一つだけ訊ねた。

「それは……、さぞかし心配だろう。警察には連絡したのか?」

 すると、兄嫁が兄に代わって叫んだ。

「警察ですって? 警察に連絡したのかですって? したに決まっているでしょう! 十三年間も養ってあげた恩を忘れて、娘が居なくなった。あの子が誰に何をされていようと構わないけれど、私のお父様に迷惑がかかるのは嫌。あんたなら分かるでしょう? ああ、腸が煮え繰り返す痛みに耐え、警察に縋ったというのに! その警察から一切連絡がないから、恥を忍んであんたに連絡をしたのよ。ええ。病気が怖いからって下のものを全摘出したくせに、未練がましく精子は冷凍し、まともな仕事をしていないくせに、生活保護を貰わないで暮らしている。そんな胡散臭いあんたに連絡をしたのよ。どうせ時間があるでしょう? 恥知らずな娘を見つけなさい。お金なら払うわ」

 私は溜め息を隠さなかった。
 兄嫁は、世界が自分を含めた五人程度で出来ているとでも考えているのだろうか。その歪さは、まるで、鎖帷子を着ながらゴボウを振り回す世紀末の貴族だ。自分の理解が及ばない出来事を、まともじゃない。と、思っている狭量さは、今知ったわけではない。彼女が言うように私は生殖器の病気で、下のものを全摘出している。仕事はフリーのカメラマンである為、時間の都合がつけやすい。全て事実だ。
 だとしても。デリカシーに欠ける。些か気分を害された私に、兄が代わって、兄嫁を怒鳴りつけた。

「お前も私も、すっかり老いたな! 昨日の晩飯どころか、人にものを頼む態度さえ忘れてしまったらしい! すまない。弟よ、これのことは、恨んでくれ。ただ、私からお願いする。気にかけてくれるだけでいい。似た子を見かけたら、声をかけてくれ。お前はあの子を、自分の子どもの様に、深く慈しんでくれた。あの子はいつも、お前がカメラを携えてくるのを、楽しみにしていた。きっと、あの子もお前になら、安心して話せると思う」

 私は、兄の弱った姿を想像し、耐えかねてしまった。
 思えば、兄ほど憐れな人もそういないだろう。長男というだけで両親の遺した借金を背負い、家財を差し押さえられながら五年間も返済に奔走した。束の間、休息を楽しみに出かけた旅行先で、兄嫁に目を付けられたのが運の尽きだ。彼女の生家が有り余る財産で借金の全てを返済し、兄を恩でがんじがらめにして連れ去ってしまった。私からの電話は兄に繋がらず、使用人とやらを介して言伝を頼む日々。当時、私にもっと財産があれば、兄が苦しむことは無かったかもしれない。
 私は目の下を膨らませた涙を溢れさせ、つい、安請負してしまった。

「分かった。分かった。兄よ、他でもない私の兄よ。必ず、心に留めておく。見かけたら、声をかけよう」

 私は受話器を置き、棚に収めた無数のアルバムから、一冊を取り出して開いた。
 こういう時、スマートフォンやタブレットは便利だ。こんな分厚くて重たいものを、わざわざ棚まで取りに行かなくても、さっ。と、その場で欲しいものが手に入る。
 ただ、スマートフォンやタブレットを、仕事用の道具と割り切っている私には、大切な思い出と関心もない仕事内容を、同じ空間に仕舞う感覚が無い。それだけの理由で、私は未だに、分厚くて重たいアルバムを棚から引っ張り出していた。

「従妹のアルバムはこれだ。我ながら、まめにしている。従妹の進級祝いの時が、一番新しいはずだ……。うむ。可愛く撮れているじゃないか」

 写真に写る従妹の姿は、自惚れるほど良く撮れていた。彼女はつやつやとした頬を赤く染め、スカートの裾を軽やかに翻しながら、はにかんでいる。


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