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一般的に、日本人はアピールするのが、苦手だと言われます。
もちろん例外の方もおいででしょうし、若い方で自分の意見を堂々と発信される方も多くなってきたとは思いますが。

これは、私が弊社ウェブサイトに約10年前に投稿したテーマです。

10年経過しても、大きく状況は変わっていないように感じます。

日本人は、建設的に意見の相違を明確にしたり、相手の意見の弱点や欠点を
指摘するのが苦手で、やったとしても、指摘されたほうも、少し感情的になってしまったり。

ラグビー選手が、試合中は流血するほど、ハードに戦っても、ノーサイドと呼ばれる、試合が終われば、ニコニコ笑顔で勝者も敗者もなく、握手しあえるような関係と程遠いものがあるように感じます。

書いている私自身も、その要素は完全に消去できずに、持ち合わせているのを自覚することが、よくありますが。

これは、日本人特有の民族性もあるように感じます。

長く、稲作を中心に、集落全員で協力して農作業をしているうちに、共同体意識が強く芽生えて、アイコンタクトで十分に意思疎通ができ、あえて言葉で説明しなくても、相互理解ができる。もっというと、話さなくても分かり合える。

そうすると、わざわざ、意見の違いを生み出すようなコミュニケーションスタイルは要らない状態で数千年も経過してきたのかもしれませんね。

ところが、いつのまにか、全員一致だと思っていた住民間の相互理解が、グローバル化という広がりと、日本国内でも個人の尊重による多様化が発達して、国内、国外に関係なく、「私はこういう理由でこう思いますが、あなたはどうですか?」と、口論ではなく、極めて普通のコミュニケーションをとる必要が出てきているのに、対応が追い付いていないのかもしれません。

たとえば、私の数少ないアメリカでの経験を、ご紹介しますと。

4,5人のグループで終業近くまで、仕事をしていた時のこと。
あらかじめ、そのうち2人は、仕事終わりにどこかでご飯を食べる予定をしていたようなんです。

日本からの出張者の私は、当然声をかけてもらえるだろうと待っていても、一向にそんな素振りも見せません。

「ま、いっか?」
と、一人でホテルに戻ってから、夕食のことを考えようと思っていました。

すると、メンバーのある一人が、「どこかへ二人で行くの?」とストレートに質問しました。

2人組の答えは、「○○の店に行こうと思ってるんだけど、一緒に来る?」。

で、私、「俺も一緒に行ってもいいかなあ?」
「もちろん、歓迎! 場所は○○だけど、大丈夫?」。

何てことなく、その時いたメンバー全員で、夕飯を食べに行きました。

声をかけてくれるだろう。
2人だけで行くのを邪魔しちゃ申し訳ない。
出張者に、もう少し気を使えよ!

なんか、余計なことを考えすぎてたんですね。

もちろん、向こうから声をかけてくれるケースもたくさんありますが、個人の自主性を尊重して、必要以上にウェットに関わるよりも、健全な距離感を保つ部分が、日本人には仲間外れにされたと感じるのかもしれません。

口数が少ない、上品な人よりも、オープンにコミュニケーションをとるほうが、いろんな文化や国の人と接するときには、健全なのかもしれません。

プチ「引きこもり」から出てみると、爽快かもしれませんね。

下記は、私の専門分野の一つである、財務管理(フィナンシャルマネジメント)の視点から、10年前に書いたBlogです。

よろしければ、お読みください。


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