信用はゴミ箱に捨てました。

前回の話で
人生に一貫性は取らなくていい。
という話を書きました。

しかし、
一貫性に欠ける人は、
信用を失います。

これは覚悟しなければなりません。

大人になると信用というものを
大切にしなさいと教わります。

私も信用を大事にしてきました。

でも、
時に失ってしまうこともあり、
その都度、
もっとちゃんとやらないと…
と、自分を責めてきました。


でも、
いまは違います。

誤解をおそれずに言うと、

信用なんか考えなくてもいい。
失っても大した問題ではない。
ゴミ箱に捨ててもいい。
とさえ思っています。

今回はそんなお話です。

ではいってみましょう。

信用って何?

信用とはいったい何だろう。

アドラー心理学で
有名な著書『嫌われる勇気』の中では、

信用とは担保で信じること。
と表現されている。

お金を借りたりする時に
家を担保にしたりするアレだ。

要は、
●●をしてくれたら、いいよ。
●●をしてくれるから、いいよ。
といった条件付きの関係を指す。

もう少しわかりやすくいうと、

これをやったのだから、
やってくれるだろう

これをしたのだから、
してくれるだろう

この相手のだろう予測
私がハズした時に信用を失うのだ。

言ってしまえば、
他人の勝手な期待である。

ここは勘違いしやすい。

私の中にあったものが無くなるのではなく、
失っているのは相手なのだ。

強いてあげるなら、
そんな相手との関係が
なくなるかもしれない。

大事なポイントなのでもう一度言う。
信用を失ったのは相手なのだ。

たしかに、
期待に応えることはやりがいもある。
誰かを喜ばせることは嬉しい。

しかし、
すべての期待に応えることはできないし、
すべての期待を叶えることもできない。
私はしがないひとりの人間だ。

だから、
信用を失ってしまっても
仕方ないと考えるようになった。

それに、失うかどうかは相手次第。
私ではどうすることもできない。

私ができることといえば、
相手の信用回復を手伝うか、
そのまま信用できない人という
レッテルを受け入れるかだけなのだ。

*

私は他人の期待に応えることを
重く考えすぎていた。

今では、
信用してくれるのはありがたいが、
失うのはあなただからね。
ぐらいの距離感がある。

そんなことをしていると、
信用できない人という
レッテルを貼られることが増えた。

でも、私は信頼回復を手伝わなかった。
不名誉なレッテルを受け入れることにした。

最初は苦しかったし、寂しさもあった。

でも人間関係が薄くなったかというと
そうではなかった。

私は信頼できる人
付き合っていたのだ。

信頼に担保はいらない。

信頼できる人は私に期待しない。
でも、私を好いてくれている。

私も相手に期待していない。
でも、相手を好いている。

とても、とても大切な人たちだ。

私の人間関係はこれでいい。
これがいいのだ。

だから私は信用をごみ箱に捨てたのだ。

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