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天才の妖精はそっと肩にのる。

天才はつくれる。

もしそれが本当ならどうしますか?

いつだって人を魅了する天才といわれる人物。

「できることなら私だって天才になりたい」そう思ってしまいますよね。

そんな願いを叶えるお手伝いができればいいなと思い、この記事を書きました。

それではいってみましょう。

※ただし、スポーツの天才は当てはまりませんのでご了承ください。


天才とは何か

はじめに、天才とは何かを紹介します。

一般的に天才とは「天賦の才能」であり、個人に起因するものだと考えられています。

なので、天才は生まれながらにして天才だと言われます。

しかし、昔はというと別の考えが主流でした。

「ジーニアス」という言葉をご存知でしょうか?
英語で「天才」をさしますが、由来はというと…

ジーニアス(genius)とは、英語で「天才」を意味する。ラテン語で「守護霊」や「守護神」を意味するゲニウス (genius) が語源 。(Wikipediaより)

もともと天才とは「精霊」や「神」といった個人ではないものに与えられた称号だったのです。

つまり、昔の天才は「彼に神が憑いた」と表現されていて、天才の称号はあくまで「神」であり個人ではなかったのです。


この表現は現代でもよく使われています。

某ドラマで「文字の神様が下りてきた」というセリフが使われたり、
有名な作曲家は「曲が降ってきた」といい、
また、詩人は「詩が私の体を通りぬけていった」と表現します。

神憑(かみがか)っている。なんて言いますよね。

これを読んでいるあなたも、もしかしたらこの感覚を味わったことがあるかもしれません。

そして驚くことに、このセリフに「そんなことあるわけないやろ」とツッコむ人はほとんどいないということです。

ここで、ひとつの仮説がたてられます。

この神憑り状態は、無我や無心・没頭といえる状態です。まさに「天才」とは”憑いている状態”なのではないでしょうか?

天才の性質

さて、次は天才の性質について考えてみます。

ここでひとつ質問です。
(ちょっとだけ、考えてみてください。)

「天才」を決定づける要因は何でしょうか?

私の答えはこうです。

⇒ 偉大な結果

結果を残していない天才はいません。天才には偉大な結果が必要不可欠です。

偉大な結果を出したからこそ、人は天才と呼ぶのです。


天才といえばアインシュタイン。彼の成果といえば相対性理論でしょう。

しかし、彼は量子力学では思うような実績を残せませんでした。

『相対性理論が頭から離れなかった』というようなことを言い残しています。

本当にアインシュタインという人物が天才なら、量子力学でも偉大な成果を残せたと考えられませんか?

アインシュタインが相対性理論を解くときはジーニアスが憑いたが、量子力学では憑かなかったと言えます。


ここでも天才は個人の称号ではない。と言えます。

つまり、偉大な結果を出すことができれば、誰でも天才になれると言えます。


そうはいっても、その偉大な結果が難しいんじゃないか。という方もいるでしょう。

おっしゃる通りです。

でも、脳科学が進んだ今、偉大な結果を出す方法はよく知られています。

想定外を発生させる

偉大な結果というのは想定外でなければいけません。予測できる範囲や想定内の結果ではダメなのです。

想定外を発生させる方法なんてあるの?
ちょっと頭が混乱しそうですが、
想定外を引き起こす方法はあります。

偶然に頼ることです。

なんだそれ。とツッコミたくなると思いますが、ちょっと聞いてください。

偉大な結果には偶然の力が必要不可欠なのです。

インスピレーションや着想、思いがけない発明はいつも想定外なのです。

偶然が生み出した偉大な発明はいくつもあります。そして、偶然を生み出すには、計画や目的を頼りにしてはいけません。

身近な例で言えば、ポストイットやチョコチップクッキー。

ポストイットは失敗作の接着剤から発明されたものです。計画通りの接着剤にこだわっていると、この発見はなかったでしょう。

同じくチョコチップクッキー。チョコクッキーを時短のためにチョコチップをそのままオーブンで焼きましたが、結果はチョコが溶けませんでした。これも計画通りではありません。

こういった例は調べてみるとたくさんあります。計画を頼りにすると、ジーニアスのしっぽすら掴めないことが理解できます。

想定外には、視野を広げ、視点を変え、ジーニアスの作品を見つける必要があるのです。

偶然の力こそ、ジーニアスの力であり、天才の種なのです。

まとめ

天才は無心になったとき、偶然の力によってつくられる。

偶然の力に頼りましょう。

管理や計画、目標はあくまで向きを決めるぐらいに考えておき、そのプロセス、実験、発明、遊びといった創造性にジーニアスは力を与えます。

作家や作曲家、クリエイティブな仕事をしている人たちには、このジーニアスを出迎えることを意識している人がたくさんいます。

とある作曲家は、運転中に曲が降ってきたとき、空に向かってこう叫んだそうです。

『おい、今運転中なんだ!今来てもらっても困るんだよ!俺に作って欲しかったら20分後にもう一度やって来い!』

ジーニアスにそう伝えるのです。
面白いですよね。

創造性ってこういう扱いなんです。生産主義に染まってると、なかなか受け入れることができません。

重要なポイントは結果を自分で決めつけないことです。

あなたはチョコチップクッキーを生み出せたと思いますか?
もし同じような状況にいたら、チョコクッキーの失敗作として、焼き直ししたり、捨てたりしていなかったでしょうか?

私のバイブル『仕事は楽しいかね』にこんな一文があります。

もし宇宙が信じられないような素晴らしいアイデアをくれるとして、きみはそれにふさわしいかね?

天才には、ジーニアスの作品をうけとれる器量や度量が必要です。

常に想定外が起こることを想定しましょう。
計画通りにいかないことを想定します。

そして計画や目的通りにいかなかった時は、
これは失敗だ。修正だ。と判断する前に、
一度じっくり眺めてみてください。

もしかすると、ジーニアスがあなたに憑いたからこそ、その結果になったのかもしれません。

待てよ。これはジーニアスの仕業か?と。

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