20代は自己肯定感なくて当たり前だよね。って話。
先日、友人と長電話になったテーマは生き方だった。
私はふと独り言のように、
『20代のころはなんであんなに自己防衛的だったんだろう。自信がなかったと言えばそれだけなんだけどさ…』
と、つぶやくと、友人はその話題を拾ってくれた。
「なんだかんだで年齢は関係してると思うな。うちの新入社員もやっぱり自分は悪くないって言い訳してしまってるし。あぁ俺もそうだったなって暖かく見てるけどさ。」
『やっぱり年の功ってやつなのかな。若い人で自信がある人って過去に何かしらの実績出してる人がほとんど。でも実績に裏打ちされた自信ってすごく脆いんだよね…』
「たしかに。実績出せなくなったときはドン底を味わうし、こんなはずないって自己否定になったりする。若いうちに実績出してしまうとそれに固執してしまう恐れがあるよな。
その時うまく自己消化できていないと、俺の若い頃は〜って言うおじさんになっちゃう。下を叩いて自尊心を得るみたいな…あれはやったらあかんなってわかってても、たまにやってしまってるわ。」
『あの誘惑みたいなのは、なんなんやろな。なんか20代の時は野心的で、「世界を変えてやるんだ」みたいに思っててさ、』
「うん」
『それをハイハイって知ったような顔でなだめてくる大人がすごく嫌いだったんよ。』
「あぁ、お前そういうとこあるよな。」
『うん。そういう大人たちのことを諦めた大人って正直見下してんだと思う。』
「うん」
『でもそれって今思うと、自分に自信がない証拠でさ、自分は何かでっかいことをやらなきゃ価値がないって、平凡じゃダメなんだって強迫観念みたいに感じてた。結果を出さなきゃ価値がないって。』
「うん」
『でも30代になると、そんなことは本当にどうでもよくて。成果を出そうが出さまいが人間の差なんてほとんどない。学校の成績が、会社の成果になっただけでシステムは何も変わってない。』
「そう、そうなんだよ。良い実績出しても期末テストの点数が良かったってぐらいしか思わないわ。3年で卒業じゃあるまいし。」
『成果を出してない人でも自分を捨てて家族とか守る姿とか、歯を食いしばって、我を殺して利をとるってカッコいいなって思ってきて。
それって他人からの評価は下がってもいいから、守るべきものを守るってことやん?諦めた人じゃなくて、諦めることを選んだ人もいるって知らなかったわ。』
「うん。」
『自己犠牲は悪って風潮もたしかにわかるんだけど、守るべきものがあるってそれはそれで、ものすごく強い支えになるよな。』
「そうやな。」
『俺はまだ守るべきものが自分の中にあるから、責任の重さで言えば一人分なのかもしれないけど、お前は奥さんと子供二人の三人分を抱えてるんだよな』
「なんや、今日はやけに持ち上げるな。」
『まぁ、余計なものを背負うってリスクの側面もあるけど、それに支えられる強さも手に入れてるなって思って。』
「まぁそうかもな。」
『ということで自信は年の功かなって思ったって話。だからもう若い人に自信出せって言葉は使わないわ。』
「そうか。年齢というか長い時間生きてれば、いろんな人と出会えるしそれのおかげだと俺は思うな。
20代は自己肯定感なくて当たり前で、だから野心抱いて大きく見せたり、実績を出して自信を求めてしまう。もうそれは通過儀礼みたいなもんじゃないかな。」
『厨二病みたいなもんか』
「そうかもなぁ、そもそも学校出て数年のうちに人間性で勝負しろはさすがにきつい。その割に周りは自信よりも実績を求めるからね。もう矛盾してんのよ。
あれだよ。小学生までは夢を持てって言っていたのに、高校に入ると夢みてないで現実見ろっていう、あのご都合主義。」
『あれホントひどいよな。あれで虚無感を植え付けられる子供多いと思うわ。』
「そして20代は実績を求められて、30代からは人間性を求められる。パニクるわけだよ。」
『小学校はかけっこ速い奴がチヤホヤされるけど、高校あたりから頭の良さにシフトしてくる的な』
「ほんとにな、男は女に騙され続けてるわ。笑」
『確かに。男は女で変わる。』
「まぁ結論は人間性磨けばいいって俺は思ってるわ。」
『シンプルでいいな。』
「ちなみにお前が変わったのは、絶対あの大恋愛のおかげやな。」
『そうやと思う。』
「もう9年片思いしてるとかピュアすぎだろ。」
『あ、はい。』
「なんか進展あったら教えてくれ。」
『了解』
「そんじゃまた。」
『また』
ガチャ
まとめ
20代は自信なくて当たり前。
20代は成果。30代は中身。
男は女で変わる。
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