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小学校で習った最大の教え。

小学生の頃、
担任がいつも口にしていた教えがある。

それは私にとって人生最大の教えになった。

きっと死ぬまで忘れられないだろう。

M先生、大切な教えをいただき、
本当にありがとうごさいました。


『わからない』って言わないこと。

先生が口癖のように言っていた言葉。

わからないって言うな。

算数の授業であてられたとき。

国語の授業であてられたとき。

道徳の授業であてられたとき。

決まって先生は言うんです。

『わからない』って言うな!
1でも2でも"あ"でも当てずっぽうでもいいから、
なんでもいってみろ!

そうなんです。
わかりません。って言わせてくれませんでした。

多くの生徒は、
えぇ…って
後退りするんですけど、
何でも言ってみるんです。

すると、先生は、
『よし、よく言った!』
って続けて言うんです。

発言に対して、正解か不正解ではなく、
やったか、やれなかったかで評価するんです。

当時は嫌だなぁとか、めんどくさいなぁ、
とか思ってましたけど、
大人になって本当に大事なことを
教わったなぁって思います。

間違って恥をかいた、間違ってバカにされた、
そんな経験から100%正解じゃないと意見を言わないってマインドの人はたくさんいます。

だけど、
社会に、
仕事に、
人生に、
正解がないことはもう誰もが知ってるはずです。

もう誰かと答え合わせをするのはやめましょう。

私はこう思う。
と自分の意見を言うんです。

もちろん、正解か間違いかを判断してくる人もいます。

でも、そういう人は正解しか口にしてはいけないと思い込んでいる人たちです。

間違いを指摘するのは簡単です。
正解を導くことよりも100倍簡単です。

だけど、
様々な経験や挑戦をしてきた人は知ってます。
大事なのは勇気なのです。

人が称賛したり、心を動かされるのは、
勇気を出したことのみなのです。

先生も知ってたんでしょうね。
正解か間違いかは大した問題ではない。
自分の意見を言えなくなる方がよっぽど問題だと。


それからの私は『わかりません』と口にすることはありませんでした。

もちろんその弊害として、
適当なことを言うな!とか、
わからかったら聞け!とか、
自分1人でやるな!とか、
お叱りを受けたことも多々ありました。

自分の意見に固執したり、
自分は正しいんだと頑なになったり、
間違った解釈をして、この辺の対人関係で本当に苦しみましたけど…


ちなみに、
わからないことをわからないって言うことも必要って言葉もあります。
これもまた勇気がいる言葉だからです。

勇気のいらない、知らんぷり。
勇気のいらない、知ったかぶり。
はここでは当てはまりません。

大人になった今ならわかります。
先生の言いたかったこと。

『わからないって言うな』は、

『わからないで終わらせるな。
自分なりの答えが出るまで考えぬけ。
そしてその答えを勇気を持って口に出せ。』

そんなことを伝えたかったのだと、
私は思います。

本当に大切なことを教えていただきました。

小さい頃の良い思い出はあまりありませんが、
M先生が担任だったということは、
私にとっての幸運です。

今はもう教壇に立っていないM先生。
教師という職業柄、正解を教える教育やテストで点数を取る教育、それらを求められる立場だったのではないでしょうか?
でも先生は非合理な行為だったにも関わらず、
大切なことを教えてくれました。

大人になった私は先生の勇気と志に胸を打たれました。

先生と同じ社会人になって改めて思います。
私はその教えを教壇で伝えることは叶いませんでしたが、今の自分の仕事を通じて伝えていこうと思います。

わからないで終わらせず、
自分の答えまで考えぬき、
そしてそれを勇気をもって口に出す。

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