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「あなたは人生の主役だが、世界の中心ではない」を解説。

今日はお題の通り、人生の主役と、世界の中心との違いをお話をします。

わかっていそうで、わかっていない。この言葉。

一般的な言葉に言い換えると、

「自由に生きなさい。でも、わがままはいけないよ。」
では、ないでしょうか?

自分を大事にすることと、自己中心性の境目が難しいです。

どうしたら、境目を見つけることができるのか。

私の見解をこれから書きます。

結論を先にいいますと、

「あなたはあなたの人生において主役であるが、他者の人生においては脇役であることを受け入れなさい。」

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解説に続きます。

人生の主役とは

人生の主役とはどういうことでしょうか?

映画の主役、舞台の主役、アニメの主役。

主役が中心に物語が進んでいきます。
その人物のための物語というべきでしょうか。

そう考えると「あなたは人生の主役」は納得できる言葉です。

あなたが中心で物語が進んでいき、あなたのための人生です。

ただし、ここでしっかりと理解しておくことは、

主役は”物語”の中心である。

です。

世界の中心とは

それでは、世界の中心とはどういうことでしょうか?

世界の中心はどこにあるかご存知でしょうか?

世界地図を広げると、日本が中心に書かれていますね。
でも、これは日本を中心に書いた地図であって、アメリカ大陸が中心に書かれている世界地図もあります。

もし、あなたが日本が世界の中心だと言った時、いったい何人が賛同してくれるでしょうか?

また、誰かが日本が世界の中心だと言った時、あなたは賛同できますでしょうか?

ここからわかることは、世界の中心は好きに選ぶことができる。しかし、一人の解釈にすぎない。ということです。


では、ここまでの考えからまとめると、

「あなたはこの物語の主役である。しかし、あなたが世界の中心になることは賛同されない。」

と解釈できます。


アラジンで例えると

もう少しわかりやすく「アラジン」を例にあげます。

ある日、アラジンはパン屋のパンを盗みました。
当然、パン屋の店主は怒り、アラジンを追いかけます。
逃げ切ったアラジンは、パンを落ち着いて食べようとすると、飢えた子どもたちがパンを物欲しそうに見つめています。
アラジンは、子どもたちにパンを譲りました。

アラジンは、優しい人でしょうか?
飢えた子どもにパンを与えるなんて優しい人。
と思った人もいるかもしれません。

では、この話はどうでしょうか?

トムは毎朝のように日課のパンを焼いていました。
もうすぐ2人目の子どもが生まれようとしています。
新しい家族の分も、今まで以上に頑張ろうとトムは張り切っていました。
そんな時、アラジンという若者が大切な店のパンを盗んでいきました。
トムは必死で追いかけましたが、逃がしてしまいました。
トムは落ち込みました。
家計は決して楽ではありません。
盗まれたパンだって、トムが眠い目をこすって早朝から仕込みをして焼いた大切なパンです。

どうでしょうか?アラジンは優しい人でしょうか?

ここで考えてほしいのは、この2つの物語は同じシーンであることです。

同じ時間軸に2人の物語があり、2人の主役が存在しています。


見解と解釈

2つの物語は、主役以外のシーンはカットされています。
主役だけがスポットを浴び、他者に光はあたりません。

これが世界の中心になる。という考えです。


しかし、私たちの生きる世界に、世界の中心はありません。

アラジンの世界ではないのです。

私たちの世界では、

アラジンもパン屋のトムも主役なのです。
私もあなたも、彼も彼女も、見知らぬ人だって主役なのです。

あなたの人生では、あなたが主役です。
他者は脇役になるのかも知れません。

しかし同時に、
他者の人生では、あなたは脇役のひとりにすぎないのです。



あなたは他者の人生において、
脇役であることを受け入れられますか?



他者を自分勝手に評価したり、他者を思い通りにコントロールしたり、他者を批判したり、また自分を過大に見せたり、自分を誇示したり、、、

それはすべて、他者の人生でも、自らが主役になろうとする行為です。

これが、世界の中心になる。という考えです。


まとめ

あなたは他者の人生では脇役です。

決して主役の座を奪ってはいけません。

あなたはあなたの人生で主役を演じれば良いのです。


さて、冒頭の言葉と私の解釈をもう一度書きます。

「あなたは人生の主役だが、世界の中心ではない。」

「あなたはあなたの人生において主役であるが、他者の人生においては脇役であることを受け入れなさい。」


私の大好きな言葉を引用します。

もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているわけではない」のです。

『嫌われる勇気』より

自らの人生を大切に生きなさい、それと同じくらい他者の人生もまた大切にしなさい。

後半の一文に自分も他者も大切にするという深い人類愛を感じます。


それでは、ごきげんよう。

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