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【読書メモ】「ナイショの関係」に感謝する〜『なんでも見つかる夜にこころだけが見つからない』(後半)

「シェアの関係」と「ナイショの関係」について考えている。

休職と家庭保育期間が連なり、ひとりの時間を確保しながらも、娘と一緒にいる時間が増えた。
娘との日々のコミュニケーション、印象的な出来事などに思い巡らす。
仕事のある日常の中では、彼女とのやりとりが何だか気もそぞろで、早急で、私自身の感情に左右されることが多かったのではないか…


バーンアウトして、休職期間の最初の1週間くらいはとにかく体調が悪く、しょっちゅう寝たり、横になったりと、まずは体調不良を何とかすることで精一杯だった。

その後は生活リズムを正すために、朝夕の運動と、夕方の半身浴を日課にした。

体が元気になってきて、食欲も正常にもどったところで、今度は自分自身の内面のことを見つめ直さざるを得ない時間がやってきた。

心理学の本を読んだり、心理士の方と継続的にメールをしたり、クリニックに通院を続けながら、自分でできることを探し続けている。

その一貫で、今の職場だけでなく、これまでの職歴の中での周囲とのやりとり、そして夫や娘とのコミュニケーションについても考えてみるようになった。

夫と娘の「ナイショの関係」に、いつまでも甘えているわけにはいかないと、この本を読んで思った。
そのうえ、ナイショの関係は、距離が近いだけに時に傷つけあったり、その時々の状況によって、距離感も調整していく必要がある。
私が変化していくのと同じように、家族も変化していくわけで、家族の誰かが弱ったり、他の家族を頼りたくなったり、反対に思春期や反抗期の時などは、ある程度距離を置きたいと思うかもしれない。

そんな時にいちいちショックを受けて頑なになったり、自分の方が不安定になってしまったり、不自然な距離まで詰めて状況を悪化させてしまわないように、まずは私がいち個人として、両足でしなやかに立っていなければなと、そんなことを思った。


娘との時間が増えていくなかで、私も徐々にキャパシティオーバーになる前の自分がどんな感じだったかを思い出していた。
そして、娘とのコミュニケーションを新しい目でも見られる時間が増えた。

娘をいち個人として尊重すること。具体的には本当に細かいアクションになるのだけど、常にいつか社会に出ていく存在として、でも大切な家族の一員としてのコミュニケーションをしていきたいと強く思う。

夫にも、いつもとりとめのない話を聞いてくれてありがとうという気持ちをしっかり伝えよう。
そして、私の胸に留めておいた方がよい些末な出来事や感情(特にネガティブなもの)は、夫に手渡すことを時にガマンすべしと自戒した…


「シェアの関係」をもう少し活かしたり、頼ったりしても良いのかもしれないと思う一方で、私には恵まれた「ナイショの関係」があったから今までやってこられたんだと、改めて感謝している。

ここから、「シェアの関係」を改めて見つめ直してみて、さらに自分自身の内面を変容させていく契機にしたい。


アイディアを形にするため、書籍代やカフェで作戦を練る資金に充てたいです…