何も為さずに35になった
35歳といえば、働き盛り、子育て盛り、女盛り、などなどと言われがちないわゆる人生の華的な年齢と思われる。
そんな中、私は一年半以上のパワハラからの鬱発覚で治療に入ったため、特に何を成してるわけでもないが35歳になった。
10年前の尖った自分は、結婚して子育てして、小説家になっていると思っていた。
そんな夢想してた私も10年経てば現実とはこんなものよな、とフゥと息を吐いたりする。くわえ煙草とか出来たらカッコいいが、気管支が弱いためタバコの煙を吸おうものなら途端に咳き込んで涙が止まらなくなる。
弱くなった。確実に、脆弱な体になったなと思う。
夢も叶っていない。昔私をバカにしたり、虐めてきた年上のババアが先日どこかの文学賞を取ったSNSが教えてくれた。
何かを成したかと問われると、何も成してない。
人として、まだ未成熟で人に話せる事は何もない。
だが、私はそんな凡庸な自分を認めることができる人間になって良かったと思った。
痛みを知らなければ、私という人間は、人間の形を作ることさえも出来なかったからだ。
今日も相変わらず母親とは話が合わないまま別れた。家に帰れば誰もいない。
明日から会社復帰し、一つの歯車としてお金を稼ぐ日々が始まる。
それでも私は小説を書き、懲りずに文学賞に応募するのだ。
何もなす事はないのかもしれないし、このまましぬのかもしれない。
だが少なくとも、私は誰も責めず、虐めず、卑しめず、人として生きている。
ケーキを食べ過ぎたな、ウップと吐き気を抑えながら人として形を成している自分を褒めてあげようと思った。
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