見出し画像

普通とは、なにか。なんでも、ない。 あるがまま

 こどもの頃から、目立たぬように、静かに片隅に、
 そんな感じで暮らしていた
 なぜかわからない
 そういう風に育てられたのか
 必然があったのか
 強く生きる意欲に欠けていた
 時折、これだってものがあったこともあった
 それが過ぎると、元へ戻って、ただ時間だけが過ぎていく
 そんな人生、でも後悔も反省もしていない
 たとえば散髪にいったとき
 私のいま通っているところは、5年にもなる老若男女、混合
 ただ安いだけではなく、時に、5000円支払っている人もいる
 私は、サービスタイム690円
 いまさら1500円の男だけの散髪屋にはいけない。
 理容師さんに、いつも聞かれる、「どのくらいにしますか。」
 特に、希望もないから、「普通に。」って
 困るだろうな、どうしたらいいのかと思うだろうな
 でも、顔色も変えず、「じゃ、このくらいで。」と調髪開始、いつも
 自分のなかに、何人もの魂が、そのときそのときで、変わって出てくる。
 しかも、私は、それをわかっている。それが怖い。
 なにか別の存在が、なんとなくコントロールしているみたい
 折衷案で、了解する。
 そんな主体性のない生き方を続けてきた。
 それでもいいかと思うけど。
 脳が体全体を統括しているのか、ただ流されているだけか、
 それでも外面的には、ひとつの存在なのだ。
 国も同じだろう。
 結果的、ひとつの意思をもっているようだけど、
 ただ流されているだけなのだ。
 いろいろなことを考える
 テレビのニュースを見て、そのテーマ自体が気に入らないと、
 さっとチャンネルを変える。
 次の放送局は、まったく別のテーマ、
 さっきのニュースは、存在しなくなった。
 結局、どうでもいいんだ。
 みんな自分のことで忙しい。
 統一教会も国葬もロシアのウクライナ侵攻も、全然、どうでも
 いいんだ。
 自分が生きたいように生きるんだ。
 他人からお仕着せで生きている人、それはあやつり人形
 どうでもいいのか、そんなに大事なのか
 何をやるべきなのか
 踊らされているだけなのか
 テレビに出ている人を見て、そう思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?