変わり続けられる自分でいることで希望をつなごう
「ママ、仕事中だから、ごめん、あとでね」
3月から子どもたちに何度こうやって返しただろうか。
キラキラする瞳で、描きたてのイラストを持ってくる娘に。
困り果てた顔で、苦手な歴史の質問を持ってくる息子に。
親子在宅ワークのリアル
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、私の所属する企業は、2月下旬からリモートワーク推奨、3月からは原則リモートワークとなった。
我が家の子どもたちの中学校は今もなお、休校が続く。
この軟禁状態の親子在宅ワークのしんどさは、このツイートと、そこに続くスレッドについたコメントが的確に表現していて共感の嵐だった。
我が家の子どもたちは、ふたりとも中学生。自分で着替えて、食べて、お風呂も入る。学校の課題も、それなりに自ら進められる。ちょっとしたお手伝いもやる。休憩でお互いのあつ森を行き来したり、好きなYouTuberやアニメを勝手に見つけて視聴もできる。
保育園や小学生のいる家庭に比べて、ずっと負担は軽いはずだった。
それでも。
子どもたちの呼びかけに即答できないこと。
そのたびに集中が途切れること。
給食がなくなった代わりに普段の1.5倍キッチンに立つこと。
担任の先生の代わりに進路選びや学習のサポートをすること。
気分転換にちょっとしたカフェや外食やお出かけにいけないこと。
新型コロナウイルスが猛威を振るう現状の親子在宅ワークを、より難しくしているのは、感染予防の観点から、親族やご近所にも、家事や教育のアウトソースができないことだ。
閉塞感のある居室空間内での世帯内課題解決がマストという制約下で「普通にもう無理」の気持ちに、何度もなった。
親が、じゃなくて家族で乗り越えるとき
シングル家庭でもある我が家では、こんな家族会議を開いた。ありのままに、フラットに。
今のままではママのお仕事に支障が出ます。
お家の仕事は家族全員の仕事です。
ママが得意だからとか、早いからといって、全てを今までの配分でママがやるのは、もう無理です。すぐにできないこと、わからないこと、ママより時間がかかるとわかってることをやるのはしんどいこと。だけど、いまはこれまで以上に、少しでもできることを増やして、家族が協力することが必要。
続けて、家族で話した論点はこんなこと。
1.この「コロナ休み」にかなえたいことは何か?
2.1ヶ月後、2ヶ月後、どんな状態になったらワクワクするか?
3.今のピンチやリスクは何か?
4.どうすればそれらを回避したり乗り越えられるか?
5.そのためにどんな風に協力したいか?
6.自分が果たしたい役割は何か?
7.その役割を何と呼ばれたいか?
プロセスを踏んで、6まで話したとき、
「僕は、週2回の夕食作りとお風呂洗いをやる」
「私は、朝のゴミ捨てと、洗濯乾燥機と、トイレ掃除をやる」
子どもたちのそれぞれの得意なことで手が挙がった。
7については
「お風呂当番は”フロッシャー”!」
「ゴミ捨て当番は”ダストリア”!」
思い思いの称号のアイデアが出た。
この家族会議のピークはそのタイミングだった。称号に対する子どもたちの盛り上がりを目の当たりにしたことで、ふっと私の肩の力は抜けていった。
「ああ、親だけで課題を抱えるんじゃなく、こうやって子どもたちに状況や課題を共有して、ソリューションのアイデアも委ねて、やりたい方法で解決していいんだ。もう、じゅうぶんに、小さなプロジェクトオーナーを任せられるようになってたんだなあ」と。
変わり続けられる自分でいることで希望をつなごう
「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」
とっくに聞き飽きたこの言葉を、いまいちど自分に引き寄せてみる。もとはカナダの精神科医エリック・バーンの言葉だそうで。
今回のことで、私が変えたのは「家族の課題解決を親がリードしなきゃ」という思い込み。子どもたちを守らなきゃ、助けなきゃ、のような保護者としての立場で抱え込みすぎていたマインドの部分だ。
親だからといって、常に最善の策を考えられるとは限らない。ましてや「家事の分担」のような、主体性が必要な課題ならなおさら。
誰が何をするか、話し合って決める。やり方も任せる。困ったときだけフォローする。もう、それができるほど、子どもたちが成長していることにも改めて気づいた。
今回のこのnoteは、私が「書く」ことを楽しみ続ける基盤として参加しているオンラインコミュニティ「sentence」の企画がきっかけだった。
新型コロナウイルスの課題に向き合い、『希望』をテーマに有志のメンバーでリレー形式でコラムを書いている。
私の前のコラムのせとあやなさんのnote
"それぞれができることを誠実にやり続け、つながりあうこと、共感し連帯を持つことは今の私たちにとっては力強さとなる。"
この一節のバトンを受け取って書いてみた。
それぞれができることを誠実にやり続けることはとても大切なこと。できることを、今までと変えるべきこともある。
ただでさえ環境や働き方や過ごし方の変化にストレスフルな現状。変化を恐れる現状維持バイアスは普段以上に強く作用してしまう。それもあたりまえのこととして受け止める必要がある。
変わることは怖い。誰もが今までと変わらないでいることを選びたくなる。
それでもなお、まずは自分から変わることができれば、周囲も自ずと響きあう何かがある。
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企画のW参加で恐縮だけど、このnoteは 私の参加する企業で、GW中に有志が集まって行なっている #リブセンスnote100本チャレンジ にも参加とさせてください。
タグ一覧。
この #リブセンスnote100本チャレンジ ではじめてnoteを書く人の多いリブセンスの人には、私が書き続けられる「まさよふ」になれるきっかけとなった sentenceの活動 を知って欲しくて。
sentenceの方にも「それぞれの想いでGWに100本のnoteを書こうとしている」チームリブセンスの存在や、想いのあるnoteたちを知ってもらえたらうれしいなと思っています。
私にできることは、周囲と共感し、響きあって、何か少しでも「自分と未来を変えたい」人たちとともに背中を押しあって、その点を線に、線を面にして、輪っかを広げてゆくこと。
これからもそうあり続けられるように、まずは自分から変わること、変わり続けられる自分でいることで、周囲に希望をつなぐ。そんな風にこの未曾有の危機に輪っかを広げながら、立ち向かっていく。
家庭では、頼もしい”フロッシャー”や”ダストリア”に支えられながら。
文中でも触れたように、このnoteは「書く」を学び合い、「書く」と共に生きる人たちの共同体『sentence(センテンス)』にて実施中のコラムリレーに参加しています。今回のリレーテーマは「希望」。希望をつなぐ次なる走者は あくつさとし さんです。お楽しみに!
#書くと共に生きる #sentence #希望
おしまいまで、読んでくださってありがとうございます✨ あなたの明日が、ちょっとステキになりますように。