タイでのエピソード・その75
私は今、大阪に滞在している。
3回目の在タイを2年で終え、大阪に帰ってきてからその後、実家に戻り…おふくろの最期を看取った。
それから死後の整理をし、完全にボケてしまった親父を兄貴や親戚、包括の人たちに半ば強制的に任せて…
私はすっかり、大阪の住人となった。この記事を書いている頃にはもう、移って半年ぐらいになっている。
実は大阪に行く前、例の場所に「参拝(3Π)」しつつ、私に会いにきてくれたフォロワーがいた。私と同い年の男性だ。
それ以降そのフォロワー(以下、カナヤン)とすっかり仲良くなり、そのツテもあって大阪に住む事にしたのだ。
カナヤンとは大阪の街でしょっちゅう飲み歩くのだが、そうしているうち、「一緒にタイにでも遊びに行こうか?」という話になった。
話によれば、彼は留学生としてタイのバンコクに行った事があるらしい。それは今から25年ほど前のこと。
25年もの歳月は当然、街を変化させる。私のバンコクの体験談を色々聞いて、彼は現在のタイに興味を持った。
合法となった大麻、恐ろしく大きくなったデパート群、入り乱れる各国の料理、日本よりずっと分かりやすく整った電車網、夜の魅惑、爆上がりした物価…
そういえば、大麻が合法になってから私も行ってみたいと思っていた。私はタイに「住む為に渡った事」しかない。つまり、純粋に「旅行するために渡ったこと」は無いのである。
初の「旅行」で行くタイ…それも悪くないな…。
意気投合した我々は、一緒にタイに行く約束をした。
カナヤンは在日の韓国人だが、3世という事で、まぁ日本人のようなものだ。もちろん韓国語も話せるが、日本語の方が得意。
彼はこう見えて某企業の代表である為、私と違って自由に動く事ができない。
「9月に3日間ほど休みを取れそう」との事で、なかなかキツキツのスケジュールになるが、3泊4日でタイ・バンコク行きのチケットを取る事にした。
最初は実感が湧かなかったが、日にちが近づくにつれ、徐々に楽しみになってきた。
——あの頃の思い出が、鮮明に思い起こされる。
ハビトモールは今、どうなっているのだろうか。話によると、立地的にはお世辞にも便利とは言えない為、住人も減り、その規模は徐々に縮小傾向にあるのだとか。まぁあの区画に引き篭もる事は出来ても、オンヌットの駅までが遠いからね…仕方ないのかもしれない。
他にも拾いたい思い出が色々ある。
ラチャダー通りは今、どうなっているのだろうか。
相変わらずのソープ街だろうが…また行ってみたい。
コロナの影響で鉄道市場は無くなったらしいが…それに代わるかのように、多くの屋台が復活したとのこと。
今では「ザ・ワン・ラチャダー」に名前を変え、姿はそのままにその活気を取り戻したらしい。
まぁーーー行ってみてもいいけど、正直なところ男2人で行くところじゃないかもね。何よりもクラブミュージックがガンガン鳴っていて、非常にやかましい。私もカナヤンも、そういった雰囲気が苦手だから…ここは遠慮しようかな。
それより、この3日間の間に会いたい人物がいる。
一人は何と言っても、Sさんだ。
既に連絡を取り合い、快く会う約束をしてくれた。久しぶりに話をしてみたい。
もう一人は、私が家庭教師をやらせて頂いた時、お世話になったそのご家族の奥さん。
彼女は私のことをめちゃくちゃ可愛がってくれた。ただ、最後に別れた時に私はパニック障害を発症していたので、何というか…変な別れ方になってしまっていた。
そこに多少の後悔が残っていた為、その「しこり」を取りたいと思っていた。彼女もまた、私に会うことを快く了承してくれた。
初めて渡タイしたのがもう14年ほど前になるから…彼女ももう60歳近くになるはず。元気にしてると良いのだが…。
後日、カナヤンと連絡を取り合い、チケットとホテルの予約をした。
「都合決まった?」とメールしたら、「あ、すっかり忘れてた」と返ってきた。おい!(笑)
選んだのはピーチ航空。連休というのもあり、安いチケットはそれしか残っていなかった。
彼の仕事の都合との兼ね合いもあり、初日は日本時間の夜に出発し、タイ時間で夜中の0時に到着。ホテルにチェックイン出来るのは、恐らく1時半か2時頃といったところか。
帰りはタイ時間で夜中の1時頃に出発し、到着が日本時間の朝9時頃…という、完全機内泊のなかなかにハードなスケジューリング。
今回はそこまで時間的余裕も無いので、青い海や寺院を見るといった旅ではなく、主にバンコク市内をぶらぶらする感じになるだろう。
カナヤンは「マサヤンの都合に合わせて歩く。ろくに観光出来なかったとしても、のんびり滞在できればOK」と言ってくれた。
そんなこんなで、私の初の「タイ旅行」が決まったのである。
3年以上の経験があるのに、旅行が初とはこれいかに(笑)。
…一緒に行こうな、母さん。
どうやら私の「タイでのエピソード」は、まだまだ続きそうである。
—その76へ続く—
もし私の研究に興味を持って頂けたなら、是非ともサポートをして頂けると嬉しいです。サポート分は当然、全て研究費用に回させて頂きます。必ず真理へと辿り着いて見せますので、どうか何卒、宜しくお願い致します。