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(Clubhouse小説) Your Song

本エントリーは、小説、それも、Clubhouse 小説を書こうと試みたものです。

1月24日の午前9時に以下のエントリーを書きました。

COVID-19 禍において再び注目されつつある音声メディアについて述べたもので、その中で、去年2020年のロックダウン中に西海岸で話題であった Clubhouse についてその特徴をその後の展開を含めて解説しました。この記事のエントリー後の、1月24日午後、そして1月25日から、日本におけるClubhouse の利用が突如として広がっていき、あれよあれよという間に、今や日本では、83万以上のダウンロードがされるにいたりました。私自身の記事が直接的な原因でないにしろ、Clubhouse がバズるその始まりの一端となったのは不思議な感じがします。

新しいつながりの時代を私たちは生きていますね。その後、ClubhouseにていくつかのRoomで喋り、また有名人や知り合いのRoomを聴いて、この独特の空間を楽しみ、味わい、色々考えさせられました。そして、このシークレットな部屋のような雰囲気といいますか、思わず自らの話を語ってしまいそうな空気といいますか、離れていてもつながっている感覚といいますか、そこに、ふと思い立って、この小説をあげてみようと思ったのです。

普段は、DX、AI、5G、IoT、データサイエンス等のトピック解説を書いているので、いつもと全然テイストが異なりますが、お暇な時に、楽しんでいただけましたら幸いです。長いです。読むと30分~40分かかるのではないかなと思います。

(書いてみたら、ほとんどClubhouse は関係ない感じになりましたが、ご容赦いただけましたらと。。Clubhouse のFOMOにならって、この小説もひっそりと数日で非公開にしてしまうかもしれません。)


* * *

* * *


 Your Song


 歌が聞こえた。そして、それにあわせて口笛が聞こえた。

 ふと生じた沈黙の向こうから微かに流れてきたそれは、どこか懐かしくてまたどこか新しい雰囲気もまといながら、心の中にすっと入りこんでくるような、でも、それでいて、儚く静かに消えてしまうような、とても惹きつけられるメロディだった。

「歌、聞こえますね」

「あ、聞こえてた? ごめんね。ちょっと今、スピーカーから流れちゃって。私も、口笛してたね」

「大丈夫ですよ、そういうの、ありですよね」

 僕はそう答えた。ちょっと待ってね、という言葉とともに立ち上がる音、足早に歩く音が続いた。

 僕は話をするのがあまり得意ではなかった。人といてもどちらかというと静かにしているのが好きで、だから、アヤカさんと自分の間に流れた沈黙と、そして聴こえてきた歌はとても心地よかった。

 開始予定時間よりもまだ早く、もちろんオーディエンスはまだ誰も来てなかった。そして、メインのスピーカーの人も現れていなかった。

「ごめんね。ボリューム、小さくしてきた」

 アヤカさんがそう言った。僕はこの小さなアクシデントの中で、彼女の話を聞きたくなっていた。なんだか聞いてみたい、そんな気分だった。

 僕は見えないことを知っていながらも、椅子に座り直して、そして、何気なく彼女に、人前でアガっちゃったことはありますか? と訊いた。

 アヤカさんのアイコンの縁が瞬間光って、そして静止した。沈黙の向こうで質問の内容を咀嚼しているような雰囲気があった。

「話、とんだね。なんで?」

 と彼女は逆に尋ね返してきた。

「なんで、そんなこと訊くの?」

 その声の調子は普段の彼女らしくない、強いものだった。虚をつかれたというような一瞬の停止。驚き。僕は慌てた。

「いや、えーと、なんとなく訊いちゃったんですよ。アヤカさんていつも物怖じしない感じで、すごいなーと思ってて。Clubhouseでのセッションでアドバイスを聞いてみようというのも僕は初めてだったので」と僕は答えた。アヤカさんは「・・・そっか」と言った。いつもの穏やかな声に戻っていた。

 それは本当に何気ない質問だった。別に深い意味なんてないはずだった。話の流れから、ちょっとだけ詳しく聞きたいと不意にわいた衝動が、そんな質問をさせたのだ。

 そんなことないよー、とか、すぐに否定して質問は終わるかなと思ったのだけど、回答がないまま妙な空気ができてしまったようなので、僕は話題を変えることにした。そういえばこの前、アヤカさんがinstagramにあげた建物の写真、すごく「いいね!」がついてましたね。あれはどこかのBarでしたっけ、なんかすごい好評でしたよ、と。彼女はありがとうと言った。ふふっと微笑んで、ん~という考えているような声が続いた。なんとなくそわそわとし始めたようでもあり、落ち着きのない様子でもあった。何かを話したがっているような、そんな風にとれた。

 僕がそもそもそんな質問をしてしまったのは、アヤカさんが高校生の頃にバンドを組んでいたという話をしたからだった。メインスピーカー待ちの手持ち無沙汰な、なんともなく何もすることがない間の、ほんの些細な会話のやりとりをしているうちにそんな話になったのだ。今は全くやっていないが、高校生の頃は毎日数時間はギターの練習をしていて、週末はバンドの仲間と音をあわせ、月に一、二回はライブハウスで演奏をしていたという。もう何回ライブやったか、わかんないな。小さいパーティーを含めると二十回ぐらいはいったと思う。と彼女は言った。僕はそれを聞いて、とても意外な気がした。

 彼女は、スタートアップ支援を行っている、あるコンサルティングファームで働いているシニアコンサルタントで、僕たちが会社を立ち上げたばかりの頃からずっと親身になって話を聴いてくれて様々なアドバイスをしてくれている。今までにもピッチの内容や事業計画の精緻化、ユーザーを増やすためのマーケティングで直接多くの助言をしてくれて、とても助かっている。

 アヤカさんはエレキギターを弾くような、しかもロックやパンクをやるような人ではなく、普段はクラシックを聴いたりピアノを引いたりして、もしかしたらお花とかお茶とかもやりながら育ったんじゃないか、と僕は勝手に想像していた。現に、彼女は温厚で、物静かで、穏やかで、まっすぐな人だった。いつも冷静・沈着で着実かつ的確に僕たちのだめなところを指摘してくれて、複数のエンジニアたちが離脱しそうになったピンチのときにも、エンジニアたちの不満を聞いて問題解決を行うことを一緒に手伝ってくれて、僕たちはいつも感謝しっぱなしだ。噂では、他のクライアントの評価も高く、「激しい交渉が必要な案件でも相手と穏やかかつ論理的な駆け引きをこなすことができるクールでスマートな知性派」という同僚の方の評判も聞いたことがある。

 つまりは彼女は所謂、誰もが認めるできるコンサルタント、なのだと思う。でも、それ以上に、「静けさと共にある人」だった。どんな事態になっても、どんなことが突発的に起きても、彼女はそのクールさを失わず、やるべきことを静かにこなす人だった。だからこそ、そのような人物がギター、ロック、パンクとどういうポイントで結びついたのか、僕には皆目検討がつかなかった。もしかしたら、バンド仲間につきあって一緒にやっていただけで、黙々とギターを弾いていただけだったのかも。いたって冷静・沈着に。そう想像して、アヤカさんはバンドでライブをやっていたときとかも多分アガったりはしなかったんだろうなと勝手に連想し、僕はふとそんな質問をしてしまったのだ。

 僕たちは、金曜日の夜にRoomを開いて、スピーカーの方を待っていた。アヤカさんが、僕たちの事業のさらなる成長のために、VCの方を紹介してくれると言ってくれていた。その方は若いながらもこれまでにも複数のスタートアップをイクジットに導いてきたと評判の人で、彼女の古い知り合いとのことだった。Clubhouseでも引っ張りだこで、金曜日の夜は、複数のRoomをはしごしたり、掛け持ちしたりしているが、アヤカさんがその人にお願いしたところ、「話を聞かせてほしい」と言ってくれたらしく、Room イベントの合間に30分だけ話ができることになっていた。約束している開始時間まで、あと10分というところだった。

 僕は、自分の部屋の窓から外を眺めた。コロナ禍の金曜の夜はとても静かで、ゆっくりと時間が流れていた。僕は、スピーカーからAirpodsに切り替えてキッチンに向かい、お湯を沸かすことにした。

「アガったことはないよ」

 アヤカさんは唐突に言った。僕はコンロの火をつけようとしたのを止めて、アプリの画面を見た。彼女のアイコンの縁が光った。

「一度しかね」

「一度しか?」

「私ね、生まれてからずっとアガるとか、経験したことないの。特にバンドをやっていた時期は、アガるとか、緊張するとか、本当になくて、自分たちが最高の音を作っているんだから、みんなにそれを聴かせたい、ってことだけを考えてた」

「へー、最高の音を作るなんて、なんか熱い言葉ですね」

 僕は多少驚いた。

「でも正直に言うと、一回だけ、ライブ中にすごくアガって、何も弾けなくなったことがあるの」とアヤカさんは言った。「高校二年のクリスマスの頃のライブで、仲間と自分たちのオリジナルの曲を作って初めて披露するっていうときに、まるで弾けなくなってね。でも、なんだろう、その時ちょっと家族とうまくいってなかったとか、まあ、あと色々あって情緒が不安定だったから、アガったのはしょうがなかった面もあったと思うの。ただ、まあ、いざ弾こうとしたとき、自分がとてつもなく大それたことをしようとしているように思えてきて、足がガクガク震えて、指が全く動かなかったの。もうテンパってて、何も覚えてなくて、気がついたときには、私がほとんど弾いていないのに、曲は終わってた。ボーカルとドラムがすごく頑張ったんだよね」

 アヤカさんがバンドを始めたのは、元々彼女の父親がミュージシャンで、子供の頃からギターを弾いていたということに起因しているらしい。高校一年生の頃に、ギターの腕を見込まれて軽音楽部に入れられ、先輩たちと意気投合してバンドを結成したのだという。バンドはアヤカさんがギターを担当し、他、ドラムと、キーボードと、ボーカル兼ベースの4名構成で、流行の曲から入りながら、70年代や80年代の、クラッシュやクイーンの曲等を中心に演奏していた。

 実は彼女はバンドをやるつもりはなかった。子供の頃、父親にギターを教わったから意外と弾けたということだけで、最初は気が進まなかったのだが、軽音楽部の先輩たちと週末映画を見たり、スポーツをやったりと、一緒に遊んでいるうちにお互いの気心が知れるようになった。そして、軽音楽部の、トークンというあだ名の男の先輩が、彼女が入学する前の年に結成していたバンドをもう一度復活させたいと彼女に強く頼み込んだのもあって、とりあえず始めてみるかという気になった。

 しかし、実際に始めてみると、他の先輩たちの演奏技術の水準が思いのほか高く、難しいロックやパンクの曲もバンドで演奏できることがわかってきた。彼女もそれまでバンドをやったことがなかったため、自分たちで知っている名曲がバンドで演奏できるという事実に心惹かれていき、結局バンド活動にどんどんのめりこんでいった。毎日数時間はギターの練習をして、エディ・バン・ヘイレンのライト・ハンド奏法のような高度な技法のマネごとも多少できるようになって、彼女の実力とともにバンドのレベルも上がっていき、弾ける曲のレパートリーが増えて、ライブハウスでの演奏もするようになった。

「私がバンドにのめりこんだ理由は、バンドには、音楽には包容力があるからなの。包容力が私を受け入れたの。本当は、それに比べたら、人前でアガるとか、うまく弾けないとかは、些細なことでしかなくて、どうでもいいことなんだよね。そういうのはただの結果に過ぎない。結果というか、表面的な現象かな。うまく弾ける日もあれば、そうでないときもある。アガるときもあれば、そうでないときもある。でもね、音楽がもつ包容力を解っていれば、たとえうまく弾けなくても、音楽を楽しむことができる。どんな人だって最初からうまくは弾けないし、どんな曲もうまく弾けるわけがないの。弾けない曲だってある。どうしてもそれはある。大事なのは、曲を弾こうとすることそのものを楽しむということ。うまく弾けても弾けなくても、音や旋律を味わうということ。私にとってバンド活動は、まさに純粋な楽しみ、喜びだったの。バンド活動をしていることがそれだけでもう楽しかった。もちろん目標みたいなのは掲げて、みんなで日々練習していたけど、でも、練習そのものがもう楽しかった。日々が楽しかった」

 彼女はやや興奮気味にそう語った。そんなアヤカさんの様子を聞くのはもちろん初めてだった。

「音楽には包容力があるの。音楽には自由があるという風に言い換えてもいい。基本的には演奏の仕方とかに絶対があるわけじゃないから、自分のやり方で自分のやりたいようにまず演奏してみて、そこからこういうような音を出したいとか、こういうようなリズムを追求したいとか、表現したいように表現する。試しに無理をしてチャレンジしてみたりすることもすごく大事。失敗とか成功とかを超えて、多様な結果をうまく取り入れて表現を作りあげていくの。そういう自分の創造性を受け入れてくれるところが音楽にはあって、それはバンド活動が私に教えてくれたことの一つだった」

 アヤカさんはそこまで喋った後、しばらく沈黙した。

「私、昔を思い起こすことはしないのね。どちらかというと今に集中して日々暮らしているから。それに、本当はこの話はあまりするべきではないのかも、と思っている」と彼女は言った。「本当は高校生の頃のバンド活動は、手放しに楽しかったといえる単純なものでなくて、山あり谷ありで、しかも谷の部分は結構、それ以前の色々な思い出につながっていて、つらい部分もあるの。でも、後悔はしていない」

「あ、」と彼女は声を出した。「高石さんからメッセが来てる」

 僕は壁にとりつけている時計を見た。彼女は続けて、「前のRoomで質問が殺到してて、時間が押しているみたい」と言った。紹介してくれるといったVCの方の名前だ。あ、そうなんですか、と僕は答えた。

「盛り上がりすぎてて収拾つかなくなっているんだって。また連絡すると言っているから、しばらく待ちましょう」

 そこまで言って、しばらく彼女は沈黙していた。僕はコンロに火をつけてお湯を沸かした。カップを取り出し、コーヒーフィルターを取り出した。すると、うん、と頷く声がAirpodsから聞こえた。

「時間できちゃったね」

「はい?」

「さっきの続きよ。Clubhouseだし、たまには話せるだけ話してみるのもいいかもしれないな」

 自分のことを話すのは久しぶりだと、アヤカさんはオーディエンスのいない中、おもむろに話し始めた。


 ● ● ●


 高校時代のバンドの話だというのに、なぜか話はアヤカさんの幼少時代から始まった。

 アヤカさんにギターを教えたのはシンガーソングライターだった父親だった。彼は世間的に有名ではなかったが、曲は売れていて収入もあって、そこそこの人だったそうだ。彼は彼女の前ではよくロックを弾き、歌ってくれていた。とても子供が聴く歌ではないように思えたが、子供の頃のアヤカさんはその声に調子を合わせて歌いながらギターの弾く真似をしたそうだ。

「家族は近所迷惑だってよく言ってた」と彼女は言った。「母はお堅い人だったし、兄も姉も品行方正な優等生で、ロックなんかに関心はもっていなかった。だから、父は家族にも疎んじられていた孤独な、寂しそうな人だった。私はお父さん子っていうのかな、父親を慕っていて、いつも一緒に歌っていた。

 私の6歳の誕生日に、父が誕生日にプレゼントの代わりにギターを弾きながら歌ってくれたことがあったの。歌い出した父に他の家族はまたかと辟易した顔をしたけど、私はその声と演奏にびっくりしていた。なんていうんだろう。それはね、私の知っているいかなる音楽とも違っていた。

 その声に目を閉じ、次に目を開いた時には、私はまるで別の世界にいるような感じだった。こんなこと言うと不思議に思われるかもしれないけど、温かい空気の流れと花の匂いを感じた。風を感じて、なんだかまるで体が上昇していくのを感じて、私は想像の中で、自分の体が地上を離れ、天へ向かってつきぬけようとしているような錯覚に捕らわれていた。

 空を飛んでいるようだった。自分が、飛行機か、ロケットか、何かになって解き放たれて空を飛んでいるようだった。

 雲をぬけ、空間をつきぬけて、星々の流れを横目に、いつの間にか私は宇宙を飛んでいた。間違いなく飛んでいると思った。

 その歌は、本当は大人のただ低い声の連なりで、ただのギターの旋律だった。それは解ってる。でもね、その歌声と旋律の中には、子供ながらそれまで私が欲しかったものや、漠然となくてはならないと感じていたものが、リアルに存在しているんだってことが解ったの。

 父は歌うことでね、私に教えてくれたの。音楽という、素晴らしい自由がこの世にあるということを」

 アヤカさんの声はとてもリラックスした雰囲気だった。遠い昔を懐かしんでいるようだった。僕はそんな彼女の声を聴きつつ、コーヒーを一口すすった。

「当時ね、私はもの覚えの悪い子供だったんだけど、そんな子供にも、もちろんどんな子供にも平等に音楽という素晴らしい世界がちゃんと開かれているってことを知った。当たり前のことなんだけど、それは当時の私にはとてもすごい発見だった」

 そしてね、父が私にエレキギターを渡した。ギブソンのギターだった。父は私に弾いてみろと言った。

 父の歌に合わせて、小さい私はギターを弾いた。でたらめに弾いたんだけど、初めての音にとても感動した。こんな音があったんだって。

 その日の終わり、ベッドに入って横になっていた私は、すごく幸せを感じていたんだと思う。そのとき私は、そのギターと歌と、幸せな気持ちとなんだかあったかい感覚を抱きしめながら、生まれて初めて次の日の朝の訪れを待ち焦がれた。新しい朝が来るということが嬉しいと初めて思った。

 まあ、それで、その日から毎日毎日子供ながらギターの練習をくりかえして、演奏の真似事をした。毎日毎日、何年も。日々そのときそのとき目標を定めて、一日でもはやく、父みたいにギターを演奏できるようになりたいと、思って、そして父が誕生日に弾いてくれた曲を、自分で弾けるようになりたいと思っていたの」

 「でもね、」と彼女は言った。「私が小学五年生の頃にね、父親が家を出てっちゃって」

 ええっ、と僕は驚いた。

「失踪? ですか?」

 うーん、うん、そうね。と彼女は頷いた。

「蒸発、なのかな。まあ、家を出ていっちゃって。理由はよくわからなかったのだけど、あまり売れなくなってきていたらしくて、色々プレッシャーを感じていたのかもしれない。

 家族は悲しんでた。母や姉は泣いてたし、兄は憮然としていた。家の中はなんかがらんとしちゃって。

 父がいなくなっただけで、それまで明るく楽しく過ごしていた家の中も、室内とかインテリアとかもまったく違うように見えるんだよね。何か欠落した物体のように思えてきて。なんて表現すればいいのかな。喉がざらざらしてるみたいな。

 父親は私にギターを教えてくれる人だったので、父がいなくなって、私はギターを弾くのを止めてしまった。というよりも、音楽に触れること自体を止めてしまった。ショックだったのだと思う。

 それからは音楽には興味をもたず、しばらくはほとんどの子供と同じようにただ学校に通って、塾に通っての毎日をすごした。家庭の方針で中学受験をすることになって、私立を色々受けたけど落ちて、地元の市立中学に進学したの」


 ● ● ●


「受験に失敗したこともあって、居場所を失ったというか、家にいずらくなっちゃって、当時は。兄や姉は成績優秀な優等生だったし、比べられるとつらいし、私は父親っ子だったから、喪失感もあったかもだし、で、まあ、あっさりと落ちこぼれました。

 中学生の頃は、友達をつくる術とか知らなくて、群れることもせずに、人間関係というのが苦手だった。結果、そういうものに興味をもたなくなって。どちらかというと『群れて何が楽しいの?』みたいに思っちゃったりして、クラスの友達に対してもそんな態度で、クールな自分を貫き通しているようなつもりだったの。

 それで、やっぱり学校が面白く感じれなくなって、時々無断欠席をするようになった。

 家族に見つからないように夜な夜な遊び回ったりしてた。でも、東京じゃないし、あまり遊ぶ場所は限られていたしで、地元のクラブによく出没するようになった。リアルClubhouseだね。

 そこで色々な人と知り合ったんだけど、中学三年生のときに、ある女性に知り合った。千香さんっていう女性で、高校生だった。

 派手な人ではなくて、背が高くて、長い黒髪が印象に残る、まっすぐで知的な人だった。

 憧れてた。

 人の話を聴くのが上手な人で、よくお酒を飲みながら朝まで話明かした。コミュニケーションのセンスがあって、チャーミングで、仕草も素敵で、歳が3つだけしか離れていなかったのにとても大人びていた。

 『あなたの話を聞かせてよ』というのがその人の口癖で、私は色々その人に自分のことを話した。子供の頃ギターやっていた話、今は音楽に興味がないとか、家族の中で浮いているとか、学校になじめないとか、色々話を聴いてもらった。いやな顔を一度もせず、いつも彼女は聴いてくれていた。

 親身に話を聴いてくれたせいもあって、私は彼女のことが段々と好きになって、毎日のように彼女に会いに行った。

 話を聴くだけでなく、彼女は私に色々教えてくれた。ファッションや映画や文学について詳しくて、色々教えてもらった。一緒に服買いに行ったり、映画を見に行ったりもした。服を買うときも、私の悩みを聞いてくれて、私にあうパンツとか靴とか選んでくれたし、映画を見に行った後も私のつまらない感想をよく聴いてくれた。『あなたの話を聞かせてよ』って言われるたびに嬉しかった。

 彼女からは教わったことは多いんだけど、私がエレキギターをやっていたので、70年代や80年代のロックとか、ポップスを聴くことをよく薦めてくれた。彼女は洋楽に造詣が深くて、あまり当時音楽を聴いていなかった私にガイダンスしてくれた。PV動画やアルバムをたくさん紹介してくれた。

 まずマドンナやシンディ・ローパーのポップスから入って、ボン・ジョヴィとか、ジミヘンとか、ビリー・アイドルとかにいって、それからエアロ・スミスとか、レッド・ツェッペリン、ガンズ・アンド・ローゼス、メガデスとか。千香さんは、更にはメジャーじゃない、マイナーのバンドや楽曲でいいものをいっぱい教えてくれた。彼女に薦められたり、自分で選んだりして、百枚近くアルバムを聴いたかな。彼女は曲の細部を聴き、そこから受ける感覚を味わうのがいいよとよく言っていた。旋律の一つ一つ、パートの一つ一つに耳を澄まして音の細やかさまで気に配り、その一つ一つの音が与えてくれた感覚を味わう、浸るように私も聴くようになった。ただ聴くだけだったけど、完全に洋楽にどっぷり漬かった。

 洋楽とか音楽に限らず、どんなものでもそうなんだけど、詳しい人のさりげないガイダンスがビギナーには重要だと思う。広大なその世界をどう歩くかのヒントってとても貴重で、千香さんは私にロックへの道を開いてくれた人なの。

 単純に音楽の知識だけじゃなくてね、ロック・ファッションとか、ロックの思想性とかも彼女から学んだ」

「思想性ですか?」と僕は言った。「反逆心みたいなやつですか? アンチ体制とか」

「そう。反骨精神とか、闘争心とかね、そういうやつ。

 既成のルールとか、前例主義とか、社会に迷惑を掛けるとか、それはそれでもちろん大事な考え方なんだけど、ときにそういう概念が無意識のうちに過剰な形で自分の中にこしらえられちゃって、自分の可能性を狭めることがあるっていうことを彼女は教えてくれたの。それをときには破らないといけない。自分の中で。

 そういう自分の潜在性を束縛するものたちから、本当は自由であるってことを彼女は教えてくれて。そうか、自由なんだって。別に家族とか、学校とか、クラスの友達とか、そういうものから本当は私たちはみんな平等に解放されていて、自由なんだって、それこそがロックの精神だって知ったの。ロックって素晴らしいって」

「その千香さんって人は、高校生だったわけですよね」

「うん」

「すごいですね。高校生でそこまで考えているっていうのは」

「そうね。確かに、そうかも。 でも、どうだろ、みんなもそうだと思うよ。誰もが高校時代は、テーマは違っても同じように深く感じたり、知ったりするものなのかも。

 まあ、彼女は実はベーシストでベースがうまかったらしくて、また、ボーカルもやっていて、そういうのもあって、造詣が深かったんだとは思う」

 僕はいたく感心のあまり、ほーっと嘆息した。「その彼女は、歌もうまかったんですか?」僕がそう訊くと、アヤカさんのアイコンはしばらく反応しない状態だった。

「アヤカさん?」

「あ、ごめん。ちょっと思い出してた。うーんとね、うまかったよ。歌はとても上手だった」

「ライブとか、行ったんですか?」

「うーん、実はね、私、聴いたことはあるんだけど、ライブに行って直接リアルに聴いたことはないの」

「ん? なぜですか?」

「ある日、彼女が大きなライブハウスで前座をするから聴きに来てって誘ってくれて、一番自分の大好きな歌をうたうからって言って、私もこれで千香さんの歌が聴けるってすっごく期待したんだけど、結局その日は来なかったの。彼女がね、交通事故にあって、亡くなってね…」

「…そう、なんですか」

「詳しくは知らないんだけど、事故があったことを共通の知り合いから聞いて、もちろん、初めはそんなこと信じられなかったんだけど、いつも必ず来ているクラブに彼女が全く現れなくなって、どんなに彼女を待っていても現れなくてね。ああ、本当にそうなんだなって、亡くなったんだなって、実感したの。

 彼女が亡くなったのを実感した日に、彼女がすすめてくれた洋楽のPVやアルバムを全部、自分の部屋に閉じ篭って、ずーっと、一日中、見て聴いていた。悲しいというのか寂しいというのか、何と言うのか、正直よく解らなくて、ずっと彼女のことを思い出しながら、曲を聴いてた。

 『あなたの話を聞かせてよ』って彼女は本当によく言ってた。でも、もう聞かせてあげることはできなくなった。いっぱい話したいこととか、いっぱい聞いてもらいたいこととかまだまだあったんだけど。

 それから何日も虚脱状態が続いて、死ってなんだろう? とか、別れってなんだろう? とか、毎日毎日、ずっと考えていた。

 今でも薦めてくれた動画のリンクとか取ってあるんだけど、聞くとそのときの感情がよみがえってきてつらいときもあるかな」

 そう言って、アヤカさんは息をついた。

 僕たちの間にやや沈黙が流れた。窓の外から車のクラクションが聞こえてくる。僕はコーヒーカップを取って、コーヒーのおかわりをポットから注いだ。

「一年ちょっとの付き合いだったのだけど、私は彼女から深く影響を受けた。ずっと一緒にいられると思っていたし、彼女も、私たちはずっと一緒だから、離れることはないから、と言ってくれたこともあった。

 だからこそ、私は彼女がいなくなって、どうしたらいいのか、自分の気持ちを誰に伝えたらいいのか、どこに持っていけばいいのか、全くわからなくなった。クラブに行くのも楽しくなくなって止めた。

 何をする気にもなれなくて、彼女に励まされたり、諭されたりしてたので受験勉強はちゃんとやっていたから、高校には無事に受かったんだけど、だからといって喜べなくてね。本当に何もする気にはなれなかった。

 しばらくは、夜の街をね、あてもなくブラブラしていた。彼女っぽい人を見かけたりすると、走って近づいて行って、彼女ではないことを確認して、そうだよね亡くなったんだし。と再確認していく日々だった。

 今でも時々、歩いている人の後姿を見るとドキっとするよ。背が高くて、髪の長い人を見ると、ハッとする。10年以上経つけど、なかなか忘れないね」

「つらいですね」

「うん。そう。つらいかも。確かにつらいんだけど、今は別の気持ちもあったりする」

「それは、どんな気持ちですか?」

「それはね、これからの話をきくとわかるの」

 と彼女はいたずらっぽく言った。


 ● ● ●


「それで、まあ、高校に進学したんだけど、中学に進学したときと同じように、私、当時、何もやる気がしなかったの。

 学校も抜け殻のように通っていた。入学式が終わって一週間ぐらい経つと、仲良しグループができて、登下校はみんな一緒になっているものだけど、私はどこのグループにも入らなかった。無気力だったから。

 そのときから、よく不思議な夢を見るようになったの。

 長い夢で、気づくと、自分が暗い世界にいるのね。
 辺りが真っ暗な世界で、光がなくて、辺り一面闇、360度真っ暗。
 上とか下とかも暗くて、上下左右の感覚とかなくて、ぐるぐるぐるぐる世界が回転しているような感じもするんだけど、
 また、完全に静止していて、一ミリも微動だにしないような感じもするの。
 暗いだけじゃなくて、静かで、音とかもなんかあまりしなくて、無音で、
 気づくと、私その世界の中で寝てるの。ずっと。微動だにせずにね。
 ただ時間が意味もなく過ぎ去って流れていくんだけど、私はずっと寝ている。
 そしてなんだか、私の身体も一緒に、その世界に同化していって、黒くなっていくのね。でも、私は気づかずにただ寝ているの。どんどん身体が黒くなっていくというのにね。

 切なくなるような、寂しい変な夢で、本当によく見てた」

「不思議な夢ですね」

「でしょ。理由はわからないけど、よく見たの。毎週のように見てた」

「あの、アヤカさん、」

「何?」

「なかなか、バンドの話にいきませんね」と僕は思わず口にした。

「これからだって」と彼女は答えた。

「入学して数週間経ってからの、あれは、放課後だったかな、お昼だったかな。多分、放課後だと思うけど、校舎内を探索していたのね。まあ、友達いなかったし、やることもなかったから。

 よくワックスのかかった廊下を歩いていて、今でも鮮明に思い出せるのだけど、茶道室、会議室の前を通り過ぎて、音楽室のところで足を止めた。ドアに『音楽室の無断使用禁止』って張り紙がしてあった。

 音楽室は広く、人はいなかった。床にはカーペットが敷かれていた。生徒たちは上履きからスリッパに履きかえる決まりになっていたんだけど、私は上履きのまま、音楽室に踏みこんだの。教卓はなく、代わりにグランドピアノが置かれていて、隅の大きな棚にはクラシックギターが沢山並んでいた。エレキギターやアンプもあった。

 エレキギターは、ストラップが擦れていて、ちょっと傷んでいた。ところどころ塗装がはがれていたりしたんだけど、ヘッドのナットはしっかりしてるし、弦の張りも大丈夫だった。すっごく手入れがよかったのね。で、あまりギター自体には詳しくなかったのだけど、そのフォルムがとても滑らかで私は好感をもった。

 私はギターを手にとって、音楽室だから防音だし、大丈夫だろうと思って、曲を弾くことにしたのね。ローリング・ストーンズのナンバーをいくつか。そのとき、自分でも驚くぐらい不自由なく指が動いたの。指がまるで独立した生き物のようにどんどん動いて、難しいフレーズも弾き抜けたのね。もう、ギュイギュイと音程を操って、ピッキングも勢いよくて、演奏できたの。

 そしたら、バンって音がして、私はびっくりして振り返ると、音楽準備室に通じるドアが開いて、数人の男女がわっと出てきたのね。なんだ、なんだ、みたいな感じで。多分、彼らも突然のギターの音にびっくりしたんだと思う。

 私もびっくりして、ごめんなさいって謝って、音楽室から逃げ出したの。まさか人がいるとは思わなかったから。ちょっと恥ずかしいことをしたと思った」

「ようやく、ギターが再登場ですね」と僕はふざけた風に言ってみた。

「長くてごめんね。色々話したいことがあるのよ」

「Clubhouseですからね」

「金曜の夜だし。

 そんなことがあった次の日、お昼休みに一人で屋上でお弁当を食べてたの。

 天気のいい陽気な日だった。前日に久しぶりにギターを弾いたから、なんだか心なしか興奮しててね、ニヤニヤしていた。

 そうしていたら、『おい!』って女の子に声をかけられてね、顔を上げたら、瞬く間に数人のクラスメイトに囲まれてしまった。

 『なに?』私は訊いてみた。そしたら先頭をきった目の鋭い女のコが、ある男子の名前を挙げた。もう憶えてないけど。

 彼女が『一昨日ずっと一緒にいただろ?』って訊いてきた。

 私には心当たりがなかったのね。まあ、恐らくその男子の彼女が、私がなんかしたと誤解したとか、そういうことなんだと思うんだけど」

「で、どうしたんですか? それは」

「えーと、そのときの私は誤解をとくのも面倒くさいみたいに思っているタイプだったので、『それがどうかしたの?』とか問い返しちゃったのね」

「それは、すごいですね」危ない、と僕は思わず言っていた。

「うん。確かに。どうかしてたのかもね。

 そんな挑戦的に問い返したら、いきなり頬へ平手打ちされた。さすがに突然だったのでまともに受けてしまって、弁当箱はそのまんまひっくり返って、めちゃくちゃに痛かった。

 私が頬をおさえてうずくまると、女の子たちが、ふざけるな、とか、いいかげんにしろ、とか言いながら次々と蹴ってきた、靴底をぐりぐり押し付けたり。数十秒ぐらい踏まれ続けて、疲れたのか気がすんだのか、彼女たちはそのまま屋上から校内に入っていって消えてしまった。

 しばらく床の上でうずくまったまま、呼吸を整えて、私は、憶えてろとか殺すとか彼女たちを罵りながら歯軋りした。そして、起き上がって、ほこりを払っていると、『大丈夫かよ』って声が聞こえて、顔を上げた。

 男子が立っていた。その彼が、なんかあったのかよ? って訊いてきて、私は、関係ない、って答えた。

 そうして歩き去ろうとしたんだけど、彼は、大丈夫かよ、ってもう一度訊いた。『気になったんだよ。殺すなんてさ、物騒で』と。

 どうでもいいでしょ、って言い返したら、彼は、どうでもいくはねーよ! と怒鳴った。

 私はムッとしてね、なんなのあんた? って言ってやったの」

「そうしたら…」

「そうしたらね、彼は神妙な顔になって黙った。そして言ったの。『とても気になったんだよ。お前の表情がさ、すごく張り詰めてて』って。

 はあ? って私は一瞬静止して彼をまじまじ見たの。そして、思わず吹いて、笑ちゃった。大声で笑っちゃったの。

 だってね、よく見ると、その人、すごい格好だったの。

 金髪でドレッドヘアで、肌が小麦色で、首にはドッグタグみたいなネックレスしていた。でっかく『LOVE IS THE WORLD』って文字が入ったTシャツ着て、両手の指すべてに金色の指輪のアクセサリーをしてたのね。なにそれっていう感じで」

「10年近く前ですよね」興味がそそられた僕は、メガネを外して椅子に座った。

「そうよ。それぐらい。えーっと、10年以上前になるの、か、な、」

「すごい格好ですね、時代錯誤的な」

「そうなの。ほんと、ありえなくて。校則って言葉知らないでしょ? って感じで。そんな奴が生真面目に人に怒ったりしたから、可笑しくなって笑っちゃった。

 実はね、後で判ったんだけど、彼はケンカっぱやい人で、他校の人たちと暴力沙汰みたいなことをしていたちょっと怖い人だった。確かに、そのときもTシャツの下は筋骨隆々なのがなんとなく見て取れたんだけど、そのときは、本当に吹いちゃった。不器用な優しさを感じたのかもしれない。

 そこでお互い気づいたんだけど、その彼は、私がギター弾いたとき、音楽準備室から、真っ先に飛び出してきた人だったのね。彼がトークンっていうあだ名の一学年上の先輩で、軽音楽部の部長だった。

 そのトークンに、ギターの腕見込まれてそのまま準備室につれてかれて、部員たちに紹介されて、そのまま入部させられたのね。勢いで、あっさりと入部しちゃった」

「なるほど。そこで、バンド組んだんですね」

「うん。そうなんだけど、実はすぐにはバンド組まなかった。

 もともとやる気のない集団だったのね。軽音楽部は。

 かつてはカリスマ的な先輩たちがいて、その人たちと、他校の生徒とも一緒になって、いくつもの伝説的バンドを組んで盛んに活動していたらしいんだけど、それが卒業していなくなっちゃってて、まともに活動もせずに、単にお昼休みや放課後につるんでいる集団ってだけだった。

 うん、そうね。単に集まってだべったりしていただけだった。ファッションやコスメにくわしい女の先輩とか、対戦ゲームにやたら強い人とかいて。あと、トークンも…部長も、哲学とか、クラシックとか、60年代~70年代ポップスとか、色々なことに詳しくて。

 毎日放課後、それとなく使用禁止になっていた音楽準備室に集合して、他愛のないおしゃべりをしたり、ゲームで白熱したり、音楽準備室の機材使って、映画鑑賞したりとかして、過ごしてた。音楽準備室は普段はあまり使われていなかったので、自分たちの本や雑誌やマンガ、服、ゲームを大量に置いていて、私たちはお互いの好きなものを紹介しあったり、交換しあったりしてた。洋楽や邦楽のビニールレコードもいっぱいあって、お薦めを言い合った。そういえば、トークンとは、洋楽の好みというか、聴いていたものが私と一致していて、話をするのがすごい面白かったな。

 他にもメンバーの一人が動画撮影に凝っていて、自分たちで撮ったやつとか、ライブハウスのセッションを撮ったやつとかも、大量に準備室に設置されていたPCの中にあって、時々そういうやつの鑑賞会なんてのもしていた。

 思い出した。そういえば、みんなで、川原で野球やったりとか、サッカーして遊んでいたこともあった。軽音楽部としての活動よりもそういう類の活動が最初の方は多かった」

「遊んでばっかりですね」

「まあね。よくまあ、あれだけ遊んだなと思います。

 それからしばらくしてから、バンド活動を始めるんだけど…。確か…」

 やや黙止した後、彼女はぽんと拍手した。

「そうだ。そうそう。

 言っていなかったけど、私、誕生日が7月にあって、誕生日にトークンと軽音楽部の仲間が歌をうたってくれたのね。練習してくれたらしく、ベースとキーボードとドラムで、それなりにちゃんとした演奏だった。

 誕生日に歌をうたってもらうなんて久しぶりのことだったし、私も正直嬉しかった。だから、お返しに、ギターを弾いたの。それが今までにないぐらいうまく弾けてね、調子にのってエディ・ヴァン・ヘイレンとか、ジミヘンのパフォーマンスの真似してあげたの」

「パフォーマンスの真似ですか」

「歯でギター弾いたりとか」

「すごいっすね」

「で、そんな演奏が、なんだか、トークンのハートに火をつけちゃったらしく、次の日、彼が『事業企画書』と書いた紙を私に見せて、バンドやろうぜ、と言ったの。

 事業企画書には、新しいバンドのコンセプトと構想が語られていた。冒頭では、『個性を結集させて、目指したい高みを目指し、新しいオトを創造する』と宣言されていて、妙に熱い内容だった。何にもないはずの行間にすらなんだか情熱が埋め込まれているような感じだった。スタートアップだ、と何も知らないのに私はそう思った。

 トークンがね、先輩たちがいたときみたいにもう一度やりたくなったんだ、伝説を作れるようなバンドを、と言った。『前のバンドは途中で終わっちまった。不運もあったし、俺たちにもそこから立ち直れるだけの力はなかった。今もあるかどうか不安だけど、やりたいんだ。前に誓ったんだ』と。『最強のバンドで最高の音を作るって。だれててずっと止まったままになってたけど、またあのときのエネルギーを思い出した』ってね。『つまりは、お前にほれたんだ』とも言ってたな」

 いいですね、と僕は感嘆の声を出した。

「最強のバンドで最高の音を作るか。いいすね。情熱的だし、若さですね。スタートアップに通じるものがありますね。僕も参考にしたい」

「まあ、トークンの発言は、みんな信じてなかった」とアヤカさんはふふっと笑った。「みんなが言うには、トークンは単にカッコつけたいだけだってね。そうやって、モテる男になりたいだけだって。

 確かにトークンは無骨だったからあまり格好よくなくて、色々な女の子にコクってはふられているっていうのを繰り返していてみっともなかったところもあったんだけど。

 でも、私も、みんなも、トークンの企画書というか、ピッチにのったの。『最強のバンドで最高の音』それ、いいじゃない。やりたいと思った。企画書には、私がリードギターを担当すると書かれていた。ギターなら構わないと思ったし、それに誕生日で火がついたのは、トークンだけでもなかった。

 その日から、音楽室を使って私たちはバンドの練習をすることになった。あまりお金はなかったし、前にトークンたちが軽音部としてバンド活動をしていたこともあって必要な楽器や機器が整備されていたから。

 構成は、私がリードギター。トークンがボーカル兼ベース。男の先輩一人がドラム。女の先輩一人がキーボード。そういう感じだった。

 練習は順調に進んだ。流行りのバンドをコピーして、有名な曲やら、当時まさにチャートインしている曲やらを練習していった。音楽室を私物化していることを、教師たちに見つかり咎められるのではないかと心配してたけど、防音が完璧なのか、教師たちが現れる気配はなかったので、私たちは気が済むまで練習した。

 何日も、何週間も過ぎると、私たちもお互いの呼吸のようなものがつかめてきて、ぎくしゃくすることなく曲を弾け始めるようになってた。

 うまく弾けるようになってからは、スタジオとかも借り始めて、音合わせをやるようになった。

 トークンは中学生の頃から、様々なバンドに参加していたらしくて、顔が広かった。だから、スタジオもトークンの知り合いの人に安く使わせてもらっていた。

 毎日毎日練習したよ。なんかそのときは、練習するのが楽しかった。

 みんなの演奏が見事に合致するときが最高だった。ドラムがいいリズムを出して、私のピックがギターの弦の上を走って、トークンの太いヴォイスがかぶる。キーボードの上に指が滑らかに流れていくのがわかる。

 演奏が重なり合って、同調し豊かに響き合って広がりながら進んで行くような感じ。私の奏でる音の波がみんなの波と重なり、どこかへと向かっていくようなそんな気がしていて、練習のたびにまるでトリップしているようだった」

 アヤカさんはだんだん楽しそうな調子になってきた。多分、昔の楽しかったときの思い出が数多くよみがえってきているのだろう。僕はまたコーヒーを飲み干して、ポットからさらにおかわりを入れた。いつもよりはっきりとコーヒーの味がわかった。

「アヤカさん、リードギターって結構大変だったりしませんか?」

「うん。まあ、それなりに大変だった。でも、やっているときはあんまりそう思っていないものなんだけど」

「アヤカさんは、歌はうたわなかったんですか? ボーカルとか?」

 そう尋ねると、彼女は、いやあ、と間をおいた。

「歌はねー、歌はあまりうたわなかった。

 バンドはもっぱらトークンが熱くシャウトしてただけで、時々、他の女の先輩が歌ったぐらいかな。私も、よくみんなから歌え、歌え、って言われたけど、それだけは勘弁してって頼んだ。

 子供のころは歌うの好きだったけど、高校生の頃は苦手意識持ってたから、頑なに歌うのは拒否してたよ。

 今考えると、もったいなかったかもしれないけれどね」


 ● ● ●


「バンドも練習だけだともちろんつまらなかったので、ライブをやろうということはよく言っていた。私は、半分冗談で言っていると思っていたんだけど、ある日、唐突に、私たちのバンドの初ライブ日程が決まった。

 トークンが以前、アルバイトしていたこともあるという知り合いのライブハウスでライブをさせてくれることになった。大学生のサークル主催のイベントでパーティーが開かれることになっていて、それにちょっと演奏をしてもいいということになったの」

「ライブハウスですか。最近は閉じちゃうライブハウスも多くなってきましたけど」

「そうね。つらいよね。

 ライブハウスといっても、地元の駅前商店街のメインの通りから奥まったところにあるクラブっぽい感じのする、雰囲気のあるところで、私たちが演奏当日に初めて行ってみると、中の雰囲気の大人っぽさに少し舞い上がったのを覚えてる。

 ライブの手はずは全部トークンが整えてくれたので、私たちは当日に機材搬入するだけでよかった。搬入を終えて、リハーサルの準備を始めて、音を合わせて、店員と打ち合わせをして。トークンはアルバイトをしていただけあって勝手知ったるように動き回って、店員たちに色々挨拶して回って、話し込んだりしていた。その日、リハーサルをしたのは私たちと大学生のバンドの二組だけだった。大学生のバンドはやはりそれなりにうまくて、流石だなと感心した。

 夕方から夜になるにつれ、少しずつ人がライブハウスに入ってきて、私は人が増えるのを見て不思議だなと思った。普段は自分が歌を聴いたり、お酒を飲んだりしている場所に人が入ってきて、演奏する場所に自分がいるなんて、不思議だな、と」

「初めてのライブは緊張しなかったんですか?」

「うん。そうね、全くしなかった。

 特に何も感じずに、人がどんどん増えているのを眺めて、感心していた。すると、トークンが、どかどかと近づいてきて私の前にグラスを差し出し、『景気づけに』と薦めた。何も疑問をもたず、了解、と渡されたドリンクを一気に飲み干した。他の仲間が、ああ、と悲鳴をあげたのも遅くて、瞬間、顔が火照り、カーっと燃え上がるような熱さが体を貫いたの。すごく強い酒で、頭がくらくらした。

 ふらふらしていると、小さい拍手があった。

 みんなで円陣を組んで、いくぞっと叫んで、私は意識が揺れる中、みんなに指図されるがままにステージを歩いた。

 ステージと思われる場所には、ドラムやスピーカー、アンプが狭苦しくも整列させられていて、何かの操縦席のようだなと思ったの。窮屈に機材や楽器が並ぶステージが、コンピュータ制御の船や飛行機の操縦席のように見えた。

 ギターのストラップに首を通し、音の確認をしつつ、スタンバイする。みんなも準備が完了していた。

 トークンがマイクを掴んで、みんなに挨拶をして、私たちは演奏を開始した。

 みんなのリズムと音があって、ビートが走って、つかみは上出来だった。ギャラリーは最初から歓声をあげてくれた。背骨が痺れて、体がまるで太陽みたいに燃えて、汗が顎先から落ちた。

 トークンが頭を観客に向けて突き出してマイクでシャウトしたら、言葉の塊みたいなものがライブハウス中に響いた。私はギターを早弾きしながらドキドキした。オーディエンスとは違って私は真横から彼の顔が見えていた。普段の格好悪い彼とは違って見えて、なんだか興奮した。

 オーディエンスがみんな手をあげて熱く振ってくれた。弾いている私たちと聴いている彼らの区別がつかなくなるくらい、みんな何か曲にひとつになっていって。トークンがジャンプして声を張り上げた。私はギターを弾きながら前にせりでて、ピッキングを披露した。みんなのそれぞれの呼吸や、表情や、仕草が全て見渡せて、まるで手に取るようにわかったの。

 はじめてのライブは、まるで幻想的な体感だった。それは例えるなら、過去と未来を同時に体験しているかのような濃縮された感覚だった。

 言いかえると、早送りと巻戻しが同時に行われているような感じかな。途切れることのない轟音と共にいくつもの光の束が目の前をかすめ、通り過ぎていく。

 あふれるエネルギーと、光と響きが洪水のようで。

 まるでライブハウスが動き出して、加速していって、どこかへ推進しているんじゃないのかと錯覚してしまう感じで、ジェットコースターに乗っているみたいだった。

 初ライブは大成功だった。

 演奏は好評を博して、店員さんたちもみんなよくやったと言ってくれた。興奮しきった私たちは、そのまま打ち上げにいって、飲み明かして、徹夜して、全員次の日学校を休んでしまったぐらい。

 その評判がよかったおかげで、何回か、そのライブハウスでは、パーティーにまぎれこませてもらったりしてプレイさせてくれて、私たちは腕を磨いて経験を積むことができた。順調に、とんとん拍子にいって、私たちのスキルもぐんぐん伸びていって、一体感もどんどん高まっていって、なんだか毎日夢のようで楽しかった。

 バンドとして弾く醍醐味は何かというと、団結して瞬間に集中できる気持ちよさみたいなところにあるんだと思う。自分のギターをみんなの演奏や歌とあわせ、リズムに乗り、弾きぬく。考えとか感覚とか気持ちとか身体の動きとか、あらゆることが演奏している今・ここのリアルに統合されていくのね。ちょっとでも気を抜いたらバンド全体の演奏はバラバラに分裂してそのまま四散しちゃう。すごいスリル。一瞬たりとも気の抜けない演奏には興奮してくせになりそうな感じだった。

 バンドとしての活動が生活の中心になって、みんなとの連帯が強まってくると、少しでも時間があると音楽準備室にたむろして、バックに映画流しながら色々なことを話したり、曲の練習をしたりしていた。

 精神的なつながりみたいなのも強くなっていって、バンド以外のこともよく相談しあっていた。

 例えば、恋の相談をしたり、とか、新しいアプリの話とか、稼げるバイトの話、とか、知り合いがドラッグをやっていてどうしようか、みたいな話とか。シリアスな相談ごともあった。

 トークンは、自身はあまり誰かに相談とかはしなかったけど、みんなの相談事や話をよく聞いていた。『お前の話、聞かせろ』『相談に乗ってやるよ』みたいな横柄な態度だったんだけど、それも実は照れ隠しで、本当によく聞いてくれていた。

 彼は中学の頃からバイトも他バンドへの参加も手広くやっていて、色々な経験が豊富だった。だから、ドレッドヘアみたいな外見に似合わず内省的なところも持ち合わせていて、一本、しっかりと線が通っているところもあって、人の話を受け入れてアドバイスするみたいなことをよくしていた。

 そうだ、えーと…。

 私、夢の話はしたよね?」

「え? えーと、あれですよね、真っ暗なところに寝ていて、アヤカさんの身体がどんどん黒くなって同化していくっていう夢」

「そうなの。バンド活動は楽しかったけど、ずっと同じ夢は見続けていたの。

 長い夢で、自分が暗い世界にいて、静かで、身体も一緒に、その世界に同化していって、黒くなっていく。

 なんか切なくて、どうして見続けるのか不思議で、みんなに相談した。

 みんな、疲れているんじゃない? とか、SF映画とかマンガとかのイメージが無意識に投影されているんじゃない? とか言っていたけど、トークンは確か面白いことを言ってくれた」

「どんなことですか?」

「トークンは最初、大丈夫だ。そんな夢はそのうち見なくなるさ、とだけ言った。

 でも、私はそのとき言い返した。でも、そうならないかもしれないじゃない、と。ずーっと見続けるかもしれないじゃないか、と。その夢を見ているとき、私はなぜかとても切なくなる。なんだか自分が消滅しちゃいそうで、大事なものがなくなっていきそうで、とても切なくなる。この切なさはずっと終わらないんじゃないかと感じるんだ、と。

 私がそう訴えると、トークンはしばらく沈黙していた。そして、その気持ちはわかる、と一言いって、またちょっと黙ってから口を開いた。口を開いてから言葉が出てくるまで妙に間があったことを覚えてる。彼は言った。『本当は、切なさに始まりも終わりもないんだ。始まるとか終わるとかはただの幻想で、本当はずっとそこにあるんだから』

 彼は言ったの。『切なさというのは、自分の一面のことだ。自分には様々な面があるんだ。切なさも嬉しさも常に持っているコインの表や裏みたいなものだ。今、アヤカは切なさの面を見てるのさ。だけど、ずっとその面を見続けていたら、目をそらさずに見続けていたら、自然と違う面を見たくなって、気づいたらコインを裏返しているものなんだ。終わったわけじゃない。違う面を表にしただけさ。そして、どちらも一面でしかない。面に気をとられることはもちろんある。でも、それは面なのだと気づくことが大切だと思う。本当の自分は表でも裏でもなく、コインそのものなんだから』」

「……」僕はアヤカさんの言葉を、正確には、アヤカさんの語ったトークンという彼の言葉を、頭の中で反芻した。「表でも裏でもなく、コインそのもの。面白い…ですね。意味深だ。なんとなく言わんとしていることは解るような気もします」

「その言葉は私にとって本当に意外で、そんなことを言ってくれた人は今までにいなかった。

 私が、そんなわけわからないこと言えるの、トークンだけだよ。と答えたら、彼は笑ったのを覚えている。

 彼は情熱的な人で、よく人を盛り立てたり、励ましたりする熱い言葉を口にするのだけど、時々、妙に理性的なことを言う。彼は考え方の枠組みが感情や気持ちに強く影響を与えることを心得ていて、そういう人とは違ったアドバイスができた。

 そうね、カリスマだったのかもしれない。

 快感原則を追いかけるための音楽をやるとか、快楽の質を追求した度量の広い歌を作るとか、時々みんなに語ったりしていた。言葉はよく解らないことがあったけど、論理的でなくて思いっきり矛盾していることもあったけど、彼が、私たちの普段している考え方とは違う枠組みで、何かを言おうとしていることは、なんとなく解った。

 不器用で、わかりにくくて、告白してはふられてばかりだったし、なんか彼も悩みを抱えてたみたいだったけど、みんな、知らず知らずのうちに彼の言葉に惹かれていた。

 言葉だけじゃない。思い起こせば、トークンはバンドでの、ステージでの存在感も強かった。MCもパフォーマンスもすっごい巧みで、オーディエンスを沸かしていた。彼の弾くベースにはパワーがみなぎっていて、身体に重低音が響いた」

 今もあの音の響きを思い出すよ。アヤカさんは、そう言って少し黙った。僕はアヤカさんのアイコンを見つめた。

「まあ、そんな感じで、私たちはどんどんお互いのなんか結びつきみたいなものを強めていった。いつも一緒に行動して、バーベキューしたり、釣りに行ったり、スノボに行ったり、コンサートに行ったり、花見をやったり、ライブに行ったり、あ、そういえば、演劇を見に行ったりもしていた。トークンが前衛とか好きでもう、すごい演劇を無理やり見に行かされてたな。

 バンドもどんどんうまくなっていった。

 エレクトロニカをとりいれたロックとか、ラップを取り入れたアレンジとかにも挑戦した。一回だけハウスっぽい曲調にしたこととかもあったな。

 ライブを重ねていくと、他の高校の同じようにバンド組んでいる人たちと知り合って、一緒にセッションをもったりとか、お互いに教えあったりもしていた。

 友達が増えて、弾けるレパートリーも増えて、遊び方も色々覚えて。

 毎日毎日が積み重なっていっていて、常に何か着実に進んでいるという実感が私たちの中にあった」

「楽しそうですね。バンド、うまくいってたんですね」

「うん。そう。楽しかった。

 でも、内心私はずっと不安を抱え続けていた」

「それは、なにか理由があるんですか?」

「それはね、同じ夢をずっと見ていて、それが変わらなかったから。

 ずっと、あの全てが真っ黒になってしまう夢を見ていた。
 ずっと、常に見続けていたの。
 自分が周りと一緒に真っ黒になってしまう夢。

 それで私、何かいやなことが起きそうで、そのいやなことが、全てを台無しにしてしまうんじゃないかと思っていて、実は内心とても怖かった。多分、この不安は現実になるだろうと感じていた」


 ● ● ●


 僕の会社の人間がオーディエンスにいた。「アヤカさん、ミノルが来てますね」「ほんとだ」

 と思ったら、ミノルはRoomから出ていった。不穏な空気を感じたのか。それともスピーカーにあげられることを恐れたのか。またオーディエンスは無人となった。行っちゃったね。アヤカさんの声は柔らかかった。

「私が、唯一のアガりを経験したのは、バンドの解散ライブだった」

 とアヤカさんは言った。

「いつ頃、バンドは解散したんですか?」僕は訊いた。

「私が高校二年生だった頃の十二月。だから、私たちのバンドは結局、一年半ぐらいしか活動しなかった。みんなで世界を変えようとしていたから、濃密な一年半ではあったけど。

 主にやっていたのはクイーンだったんだけど、色々なバンドのスタイルをまねたりして、自分たちのスキルをあげていこうとした。ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、マーク・ボラン、セックス・ピストルズ、クラッシュ、デヴィッド・バーン、ケイト・ブッシュ、果てはクラフトワークまで。手当たりしだい、ジャンルもこだわらず曲を聴きまくって、耳コピを試したり、それぞれのテクニックを真似たり、技巧的なフィルインやハードな早弾きをこなしていたり、私たちのテクニックは一年を経過したあたりでとんでもないレベルに到達していた。何でもそうだけど、瞬間瞬間の感覚を味わい、わずかな変化や試行錯誤すらも楽しむことができるとき、人の創造性はどんどん発揮されていってパフォーマンスは最大になる。私たちは自分たちの技術が洗練されていき、明らかに違う次元へ行き始めているのを感じていた。

 ある日、いつもの音楽準備室でみんなでSF映画を見て、誰かが、オリジナルの曲を作ろう、って言った。SF映画にインスパイアされたの」

「SF映画って、『2001年宇宙の旅』とか、ですか?」

「おしい。『ソラリス』だよ、見てたのは」

「『ソラリス』って、ソダーバークとジョージ・クルーニーのやつ、でしたっけ?」

「それは時代が違うよ。ロシアのタルコフスキー版『ソラリス』」

「ああ! 見たことあります。未来都市という設定で、日本の首都高が出てくるやつですよね。赤坂交差点上の」

「それそれ。よく知ってるね。

 ソラリスという惑星はただ主人公の心を映していただけで、あの、解決のないストーリーとか、そのままなんか登場人物の気持ちも見ている方の気持ちも何もかも全部包んでくれるような雰囲気。

 あの美しい音楽と静謐な映像と、映画全体に流れる憐れみに似た美しさみたいなものがね、私たちの心に、すっと入ってきた。

 妙にインスパイアされちゃって、鑑賞後に、まず私がリフを思いついて、30秒の曲を書いたのね。

 そのまま、全部の楽器分作って、で、トークンも30秒曲を作って、他のメンバも作って、全部5つぐらいをつなぎあわせたのね。

 それが面白くて。どのパートもそれぞれがインスパイアされたままの直観で書いたものだから、それもほとんどBGMのない、静かな映画を見て作ったものだから、パワフルというよりは情感豊かな、広がりのある曲ができていったのね。

 これぞ、バンド活動の面白さ、醍醐味。みたいな感想をみんなで持った。

 曲をある程度作ったところで、トークンが、俺に預からせてくれと言って、編曲を彼に任せることにした。

 数日後、トークンは自分のスマホを高く掲げながら、準備室に現れた。

 彼は、みんなが注目する中、スマホをスピーカーにつなげて、流した。私たちはカーペットの上に思い思いに座って、スピーカーから流れてくる音に意識を傾けた。

 静かな出だしだった。沈黙の中から小さなメロディが聞こえてくる。暗闇の中に射す一筋の光を思わせる旋律だった。そして、歌が聞こえた。囁くような声で、トークンの声だった。

 聴いていると、段々音量が上がってくる。とてもメロディアスな歌で、みんながリズムをとってた。

 何かが羽ばたいているような感じで、飛んでいくような感覚。

 メロディアスな歌声は、途中からラップ調になってメッセージ性が強くなる。でも、また間奏をおいてメロディにしたがった歌に戻る。

 なんだか、ハウスを連想させるメロディアスさだった。とても安定していて、色っぽい響き。

 ラップのところはやや乱暴な雰囲気があったけど、またそこがかえって温かみを感じさせた。でも、それだけじゃなくて。なんか懐かしいビブラートだった。

 気が付いたら私も口ずさんでいた。上半身でリズムを刻みながら、唇の動きを楽しみ、その感触を味わうみたいにね。

 想像してなかったアレンジで、みんな興奮した。みんなのインスピレーションから生まれたジャンルにとらわれない歌になってた。

 トークンが、カテゴライズされないようなやつを目指したんだ、って言った。

 ギターがメインで、でもギターがメインじゃないような音楽みたいにして。ボーカルも単調じゃなく、ノリだけじゃない。ガンガンとリズムを押し付けるだけの歌じゃない。ゆらぎがあって、幅があって、聴く人それぞれの気持ちになじむような、その人のリズムをこっちが逆に受け入れていくような、尊重できるような、インタラクティブな歌にしたい。じっくり聴いても遜色ない歌にできるはずだって。

 彼の言うように、アレンジによって分類不能で比較不能な曲になってた。それだけでなくて、命名すらも不能なように思わせる曲だった。でも、めちゃくちゃとかいうわけではなくて、とても自然な、自然発生して自然にそういう形になったというような雰囲気のメロディだった。まるで芽が出て茎が伸びて、そしてそのまま花が咲いたというようなイメージ。よく産みの苦しみって言うけど、そういうものを全く感じさせないナチュラルな仕上がりで、これはいい曲になるってみんな思った」

「すごそうですね、ラップ&ロックみたいなやつなんですかね、それともだいぶ先進的な曲だったんですかね」

「そうね。今から考えると無理に背伸びしただけなのかもしれない。今ではあまり珍しくもない感じの曲だとも思うけど」

「初めての曲だったんですよね」

「そう。初めてのオリジナル曲だったから、気合入れた。

 曲の仕上げまでみんなでディスカッションを重ねて、アレンジし続けたから、手作りしている感覚があって、楽しかったよ。

 ライブとかでもオリジナルの曲を作っていることをアナウンスしていて、私たちのことを知っている人たちが早く聴きたいといってくれてやる気はわいていた。

 うん。

 そこまでは順調だったんだけどね。

 だったんだけど、

 とはいえ、楽しいことばかりでもなくて。

 そのころ、私はバンドに熱中するあまり、成績が悪くなってた。資金のためにバイトもしていたし、全くと言ったら言い過ぎだけど、勉強なんてしていなかった。

 先生に呼び出されて、注意されたりしてた。半年後には三年生になるんだから、ちゃんと勉強しておけよとか。

 成績が悪くなると、母の目も厳しくなって、小言を言われることも頻繁になった。

 家族は私が音楽をやることに反対だった。父の失踪の件もあったし、私もほとんど家に帰っていなかったから、娘までどっかにいっちゃうんじゃないかと心配していたのかもしれない。

 ある日、家族みんなと私はケンカして、子供の私が口汚くののしっちゃったものだから、母が決意して、私を転校させるといったのね。で、学校に相談をもちかけちゃって、娘が素行の悪い先輩の影響を受けているって。私としては冗談じゃなかったんだけど、まあ、実際、先輩たちもよく校内でお酒を飲んだりしていたり、タバコを吸っているところを見つかったり、生活指導室の常連だったから、あまり反論もできなくて。先生に呼び出されて事情聴取を受けて、説教されて、解散をさせられることになったの。

 もちろん、解散する気なんてさらさらなかった。みんな、学校には隠れて活動を続けるつもりだった。

 でも本当に運が悪かったのは、そのタイミングでたまたまトークンが警察沙汰に巻き込まれたということ」

「警察沙汰ですか?」

「うん。トークンが、あるクラブのパーティーに参加していて、乱闘事件があって、捕まっちゃったのね。トークンも実際乱闘に加わったみたいだし。でも、決定的だったのは、そのパーティーではドラッグがいっぱい使われていて、逮捕者が出ちゃったこと。トークン自身はクリーンで、薬はやっていなかったんだけど、暴れていたこともあって、疑われちゃった。

 地元の新聞でも大きくとりあげられてしまったし、学校側もPTAとか保護者の声を無視できなくなって、トークンは退学させられることになった。

 彼は卒業間近だったのに。学校側の措置に、私たちは当然、猛反発した。

 トークンは仕方がない、と言っていた。もともと大学に進学するつもりはなかったからいい、と言っていた。

 でも、私たちは納得できずに抗議したよ。当時はLINEがまだなかったから電話で話し合って、学校の生徒みんなで職員室に押しかけて説明を求めた。短絡的な処罰だと叫んだ。押し問答して座り込みをしちゃった。若かったと思うよ。今だったら意見に賛同してくれる大人を見つけるとか、SNSで訴えるとか、色々やり方を思いつくけど、当時はそんな弱い抵抗しかできなかった。

 もちろん結果は、だめだった。抗議運動を扇動したってことで、私も数日の停学処分になって、やっぱりこっぴどく母親に叱られた。母親はもう絶対転校させると決心して、手続きを進めてしまっていた。学校もいい厄介払いができると思ったのか知らないけれど、あっさりと転校の申請は処理されていった。

 停学中、色々考えてた。トークンと過ごしたバンド活動がぐるぐると思い出されて、嬉しくなったり、悲しくなったり。

 トークンから電話があって、夜中家を抜け出して彼の家に会いに行った。

 思い起こしてみれば、二人だけで会うのは、それが初めてだった。

 彼は散歩しないかと言って、夜の公園を二人で歩いて、街を見渡せる高台に行った。

 トークンはずっと口笛を吹いていた。なんか聞きおぼえのあるメロディのようだった。曲の名前は思い出せなかったけど、それは何かに似ていた。

 彼の口笛は繊細で、消えてしまいそうな儚さがあった。でもそれは確かに聞こえていた。私の耳にふれ、そっと撫でて、夜の中に消えていった。

 高台で、二人で、お互い何も喋ることなく街を眺めていたら、雪が降ってきた。

 なんかね、綺麗だった。

 冬のしじまを縫うように、ひらひらと舞い落ちてきて、あっという間に空は降る雪で満たされた。

 私はとても不安になった。

 自分は一体今まで、何をしてきたんだろう、と思った。

 私は今まで何をしていたのだろう。ずっと何を考え、何を見てきたのだろう。

 私は常に何か解ったようなふりして、解っているような気持ちで毎日を振舞ってきていた。でも、一体本当に何を解っていたのか、私は考えた。

 自分が一体何者なのか、どこにいるのか全然解らなくなった。

 いきなりすべてがゼロに戻されたみたいだった。

 トークンが、私の方を向いて、『ライブ、楽しみだな』と言った。彼は私たちが、初めてオリジナル曲を披露するライブで最後にするつもりだったの。

 何気ない一言だったけど、私はとても悲しかった。胸が張り裂けそうだった。

 なんで、あっさりとこんな風にめちゃくちゃになって、引き裂かれてしまうのだろう、と思った。

 トークンのエネルギーが私たちを惹きつけていた。そして、私たちを一つのバンドにつなぎとめていた。

 トークンは私たちにとってシンボルだった。そもそもの企画者で、創設者で、唯一の作詞者でもあって、ボーカルでもあった。バンドの象徴だった。

 それを失っちゃったら、私たちは一体、どうなってしまうのか、と思った。

 少なくともみんなバラバラになる。バラバラになって、散り散りになって、もう二度と一緒になることはない、と感じた。

 彼は私がそれまで出会ったことのないとてもユニークな人だった。そうなんだけれど、とても親近感というか似た者同士みたいな感じがしていて、私にとってバンド仲間という存在を越えて、大事な人だった。

 だけど、バラバラになってしまう。

 みんな、私を置いていくなと思ったの。

 父も、千香さんも。そしてトークンも。みんないなくなっていく。そう考えて、そう感じてしまって、本当に悲しかった。

 ライブの日、当日、知り合いのライブハウスのはからいで、私たちは単独で演奏させてもらえることになってた。

 単独だから、客があまりいなくてもいいなと思っていたけど、トークンがこれを最後にバンドを解散すると告知していたからか、彼の知り合いや学校のみんなが駆けつけてくれていたし、また、バンドで初めてオリジナルの曲を弾くということも知れ渡っていて、沢山の客が集まっていた。

 みんなで円陣を組んで、ステージに向かうと、万雷の拍手が待っていた。

 始めに両手を大きく振ってトークンがオーディエンスの前に進み、歓声に応えた。そのあとに他のメンバが続いて、最後に私がステージに立った。

 ステージの上はすごく熱かった。

 聴衆の熱気が自分たちにも伝わってきていた。私は歩きながら、いやな気分になっていた。自分の心臓の鼓動が次第に速く大きくなるのに気づいていた。胸が痛くなる。気管支がおかしくなったみたいだった。呼吸が気になってしょうがなくて、どんどん不快になっていった。

 いつもと全然違った。

 ステージから眺めようとしたのだけど、オーディエンスたちがよく見えなかった。

 ストラップに首を通しギターを抱えたとき、私はとても怖くなった。

 どうやって始めればいいんだろう。何を弾けばいいんだろう。終わりはどうやるんだっけ。そういえば、チョーキングやるんだよね、って次から次へと色々なことが気になってしょうがなかった。

 手が震えた。首と背中が岩のようにかたくなっていて、その震えを増幅させた。震えを抑えようと焦って、更に震えが連なった。足もガクガク言い始めていた。

 オーディエンスが、亡霊のように見えたの。生き物のように見えなくて、何か考えている、不気味なお化けの集団にしか見えなかった。

 トークンが何か叫んでいた。

 曲は始まっていて、私もなんだか弾き始めていたんだけど、音はよく聴こえなかった。

 まるで弾けていなかった。音楽になっていなかった。

 オーディエンスの困惑した顔が不意に見えて、私はとてもつらくなった。みじめな気持ち。最悪なまま、リズムにならないまま、まるでそうするしかないかのように、弾き続けている。

 ブーイング。幻滅したような声、空気。

 気がついたら、曲は終わっていた。あれほどインスピレーションの沸いていた曲が、そのときは惨めな音のガラクタでしかなくなっていた。

 がっかりした顔をみんなしていた。そう見えたの。本当は見えていなかったけど、そういう顔をしているに違いないと思った。

 私は顔をあげれなかった。

 ライブが終わって、うなだれていた私に、トークンは優しかった。大丈夫だと、言ってくれた。これでいいんだ、と。これでもいいんだ、と。大切なのは一緒にやれたことなんだから、と。

 でも、私は残念でならなかった。

 悔しくて悔しくてしょうがなかった」


 ● ● ●


「それから、バンドは解散して。

 トークンは東京へ引越しすることになっていて、私も転校の日が近づいていて、最後にバンドのみんなで集まろうという話になった。

 日曜日に、誰もいない校舎で、音楽準備室で、お気に入りの映画を見ながら、あと、適当に演奏したり、歌ったりして一日過ごそうとみんなで決めた。

 私は、前の日の土曜日、転校のために自分の荷物を整理していて、準備室にも私物を色々持ち込んでいたので片付けることにした。

 いつもは、土曜日にもみんな準備室でたむろしていたのだけど、もう解散してしまっていたから、準備室には誰もいなかった。

 なんだか誰もいない準備室は妙にひんやりしていて、何もないような、中身がないような感じがした。

 自分の持ち込んだ雑誌や化粧品、ゲーム、ビニールレコードをカバンにいれて持ち帰れるように整理しつつ、私は部屋の隅々まで眺めた。なんだか初めて準備室をきちんと眺めたような気がした。

 片付けていると、トークンのものでもない、他のみんなのものでもない、薄汚れたPCが隅っこにしまわれているのを発見した。電源をつけてみると、デスクトップに、YouTube のURLのリストが書かれたテキストファイルがはってあった。

 秘密の動画かなと思って、Wifiにつないで、URLを開けてみたら、プライベート設定になっている動画だった。それは、他のバンドのライブを撮影した映像だった。昔、私が入学する前に、トークンがトークンの先輩たちと伝説的なバンドを結成していたときに撮影した様々な動画。みんなで過去に何回か見たけど、まだ見ていないものがこんなに大量にあるとは思わなかった。

 私はURLをクリックしていき、動画を順番に見た。色々な人がいて、様々な曲を演奏していた。

 一人一人、演奏の仕方は違う。ギタリストの数分だけ、ギタープレイの数がある。目の動きとか、リズムのとり方とか、色々あって面白い。

 動画に映っていた人たちは、なんだか勝手に自分の好きなように弾いているみたいだった。協調性がバラバラな曲もあったけど、でも、楽しそうだった。ロックは予定調和じゃないんだと思った。本当に。

 もっとリンクや動画がないか、PCのフォルダを物色していると、沢山写真が出てきた。トークンたちが伝説の先輩たちと取った写真。野球をしていたり、ライブハウス前で集合してみんなでピースサインしていたり、とても幸せそうな写真たちだった。

 私が写真に気をとられていると、スピーカーからある音楽が聞こえてきた。

 歌声だった。

 響く声が続いて、ちょっと裏声になり、ファルセットが混ざる。

 私はその歌を聴いたことがあった。それは、父が、私の6歳の誕生日のときにうたってくれた、あの歌だった。

 私は呆然として、モニターをただ眺めた。ずっと題名がわからないまま、二度と聴くことのなかった、出会うことのなかったあの歌が流れていた。

 間違いかと思った。聞き間違いかと。勘違いかと思った。でも、そうではなかった。

 間違いなく、父がうたってくれた歌だった。中学、高校と何百曲洋楽を聴いたにも関わらず、出会えなかったあの歌。

 なんで流れているのだろう。どうして。

 そう思っていると、モニターにトークンが映った。幼く粗暴な感じではあったけど、演奏しているトークンが映っていた。トークンはギターを弾いていた。いつものベースではなかった。

 びっくりして、よく見た。トークンが歌っていた。本当はトークンだけでなく、バンドの人、みんなが歌っていたのだけど、トークンが、父の歌をうたっていた。

 よくよく見てみて、私は気づいた。トークンが弾いているギターは、私が使っているギターだった。音楽室に放置されていたそのギターを昔はトークンが使っていたことを初めて知った。私が知っているトークンのプレイほど洗練されていなくて、カッコつけ度も抑えられていなくて、ピックを動かす指や身体の振りがとても激しかった。でも、素敵だと思った。彼と一緒に演奏する男女、『先輩』たちもクールだった。今と一年ぐらいしか違わないはずなのに、ここには別の物語があって別の感動があったんだ、と私は思わずにはいられなかった。

 私はすぐにYouTube の映像をクリックして止めて、最初からまた歌を聴いた。私物の整理なんか忘れて、何度も何度も最初から繰り返して聴いた。

 はっきりと解るわけではなかったけど、私はなんだかつながりみたいなものを感じた。とても不思議な感じだった。トークンが言っていた伝説の先輩たちと私が、突然つながったような気がした。

 私は自分にできることを考えて、すぐさま、みんなに電話した。トークン以外のみんなに。そして、みんなに昔の動画を見つけたことを言って、あの歌を弾きたいと伝えた。女の先輩の一人がスコアはないけど、フルの音源ファイルはあるよ、と言ってくれたので、その日のうちに、私はその人の家にいって、その人と一緒に、夜遅くまで曲の練習をした。

 家に帰ったときはもう日付が変わっていた。私はなんだか興奮していて、はやる気持ちを抑えながらベッドにもぐった。

 そのとき私は、そのギターと歌と、なんだかあったかい不思議な感覚をかみしめ、朝の訪れを待ち焦がれた。

 夢を見た。
 いつも見る、あの夢だった。
 自分はいつも通り暗い世界にいた。
 辺りが真っ暗な世界で、光がなくて、辺り一面闇、360度真っ暗。静寂が広がっている世界。
 いつも通り私が寝ていたのだけど、私は何かが違うと思った。
 私はなぜか気づいたの。私が寝ている。確かに寝ている。でも、そうではない、と。私はずっとずっと寝ているのだけど、同時に、時間の外にいて、それを解っている自分がいることに気づいたの。
 寝ている自分と、それを見ている自分と、更にそれに気づいている自分がそこにいた。とても不思議だった。
 しばらくしたら、何か解った気がした。
 これは、私が寝ているんじゃなくて、私の肉体が横たわっているんだって。
 えっと、意味はよくわからないのだけど、私ではなくて、これは、私の肉体だ、と強く感じたのね。私の肉体っていうのは、確かに私の身体で、私なんだけど、なんていうのかな。そういう不思議な感覚。
 そして、ふと見上げた。すると、闇の向こうに、ほんのかすかな光が見えたの。
 その光に、ここは暗闇じゃないのかと疑問をもった。辺りを見渡してみて、気づいた。
 よくよく見ないとわからない、そういう微かな光が無数にあって、暗闇の中で明滅していた。
 星の光だった。
 そこでわかったの。これは暗闇じゃなくて、この空間は、宇宙なんだって気づいたの。
 闇は宇宙で、私だと思っていたのは、私の肉体で。
 宇宙の中に、私の肉体が横たわっている。
 いつも夢見てた暗い世界は、実は、静かな宇宙、星たちの群れだった。
 宇宙は静かなんだけど、それはなんていうか、受け入れてくれるような静けさだった。
 静けさといっても音がないってことではなくて、音を包み込む、星の光を包み込む、最初からそこにあって、ずっと星たちを見守っているもの、みたいな不思議な静けさだった。
 私は、なんだか、その静けさの中に吸い込まれていって、というか、実は静けさこそが自分だみたいに思えてきて。
 なんだか、自分だと思っていたことが実は自分ではないってことを感じて、自分がどんどん曖昧になっていって、広がっていって、宇宙の向こうに満ちている静かさと自分が区別できなくなっていって。消えて。
 消えて…。

 そして、目が覚めたの。

 日曜日の朝、目を覚ました。小鳥のさえずりがとてもクリアに聴こえたの。まるで生まれて初めて聴くかのようだった。

 さえずりの音に重なるように、朝日がカーテン越しに差し込んでいた。眩しかった。強くて、はっきりとしていて、温かくて、そこに間違いなくある光なんだけど、もちろん触れなくて、つかめない。うまく言葉にできないんだけど、その温かさがとても新鮮だった。

 私は不思議な感覚をそのまま持ちながら、午前中を過ごし、お昼を食べた後、学校に行き、音楽準備室に行った。

 みんなはもうお菓子や飲み物をもちこんで、お気に入りの映画を鑑賞し始めていた。

 アクションやコメディ、ホラーやミステリーやSF。

 そして私たちの活動の動画。みんなで撮影、編集した私たちのライブとか日常、学校生活とか、遊んだ日々とか、プールではしゃいでいるシーンとか、体育祭で走っているシーンとか、脈絡なく流して、心から楽しんだ。

 夕暮れも過ぎてかなりの作品を堪能した後、もうそろそろ鑑賞は終わりにしようと、トークンが決めたので、私は、みんなで最後に演奏しようと提案した。

 みんな賛成して音楽室に移動して、演奏をした。まず、最初に弾いたのは私たちが作ったオリジナルの曲。ライブハウスでうまくいかなかったのは残念だけど、最後にみんなで弾けてよかった。思い出を共有できてよかった。

 それから何曲か弾いて、すっごく楽しくて、私たちは笑い合って、喜んだ。

 そろそろ軽く疲れてきたかなってときに、私は、土曜日に見つけたYouTubeのリンクを開いて、画面を見るように言ったの。これをかけようって。

 有無を言わさぬよう、すぐさま再生をクリックした。少しの沈黙のあと映像が流れ始めて、みんながおおっっと言った。懐かしい、とか、よく見つけたなとか、みんな言った。みんなも本当に久しぶりに見たみたいで、更に見つけたことを事前に知らせてなかったトークンは本当に度肝を抜かれたように、すごくびっくりしていた。サプライズは成功だった。

 一緒にセッションしようよ、と提案して、映像に合わせて、曲を弾いた。

 父が歌ってくれたタイトルもわからない曲を私たちは弾いた。

 別に何も技巧的な特別な曲ではないし、私たちもとりわけうまく弾けていたわけでもない。私たちの弾き方は普段と何も変わらないのだけど、なにか曲の一瞬一瞬をまるで無限にまで引き伸ばしているかのように、細かい音そのものや音の間に、とても豊かな広がりを感じ、果てしない自由を感じながら、弾いていた。

 それは、特別な体験だった。すごくすごくエキサイティングなセッションだった。一瞬一瞬のその全てが楽しくて、感覚が全部フル動員されていて、子供の頃に戻ったように何も考えていないのに身体が弾むように動いて演奏できて、楽器もそんな私たちに協力してくれているように感じられて、とても愉快な気分だった。人とか楽器とかバンドとか、そういう実在をこえて、私たちは音楽そのものになっていた。楽しくて爽快で、まるで空中に浮かんでいるようなふわふわした気持ちになって、夢かうつつか判らないような状態だった。

 今思えば、それは、音楽のもつ包容力を感じていたんじゃないかな。うまく弾けているとか弾けていないとか、パートが合っているとか合っていないとか、そのときはそれはどうでもよかった。弾いていることが純粋に素晴らしいことなんだと解った。

 気づいたらトークンの声に合わせて、私も歌っていた。初めてバンドの演奏で歌った。なんだか、気持ちを抑えられなかった。

 歌い終わって、自分たちの演奏が終わって、私たちはほっと力を抜いた。

 モニターを見てみると、動画側の演奏も終わっていて、オーディエンスの興奮した歓声が続いていて、そして間もなくエンドマークが映った。終った、と誰かが呟いた。終わった。映像を眺めながら、私たちは放心していた。

 確かにそのライブの映像は終わった。

 でも、

 終わってなかったの。

 実は、それで終いではなかったの。しばらくエンドマークを映しつづけた後、動画は最後に、埋め込まれたリンクを表示したの。何、と思って近寄って、リンクをクリックした。すると、別のライブを撮影した映像が流れ始めた。

 前日に見たときに気づかなかった。初めて見た。それは、また違う場所でのライブのようだった。編集がうまくいかなかったのか、唐突に演奏が始まっていたの。

 映像では、トークンが歌っていた。同じ曲だった。

 暗いステージの上で、一人で自分を奮い立たせるように叫びながら、歌っていたの。なんだか無理しているようで、可愛く思えた。即興で歌っているかのような感じ。恐らくその場の勢いに合わせて、アドリブで歌ったものなんだと思う。

 こんな映像もあったんだと感心していたら、カメラが動いて、メインのボーカルが映った。

 女性だった。

 私は言葉をなくした。

 とても驚いて言葉が出なかった。戸惑い、なんで、って思ったの。なんでって。

 困惑して、みんなの顔を見た。みんなは口々に、懐かしいとか、久しぶりに見るな、とか言っていた。私はわけがわからなかった。

 その女性は、千香さんだったの。

 わけがわからなくて、絶句してた。

 頭の中が空っぽになって、ただ映像を眺めた。

 歌っていた。

 千香さんが映っていて、ベースを弾きながら、歌っていて。

 初めて彼女の歌声を聴いた。その歌声はとても柔らかくて、伸びやかで。

 腰まで届く長い髪を揺らしながら、リズムをとりながら、トークンと一緒に声を合わせて歌ってる。

 それは単なるコンピューターの上に記録されたデジタルな情報でしかないことは解ってた。単なるデジタルのオンオフをメディアプレーヤーが再生しているに過ぎないことは解ってた。それは頭では解ってたけど、それだけではない、なんか内側の奥底から温かいものを感じたの。

 演奏するトークンの顔の上で汗が光っているのが見えて、熱気が伝わってきた。それに彼女が応えるように微笑んだ。黒い髪がなびいて、伸びた背筋がしなやかに動いていて。

 千香さんの表情や仕草はとても挑戦的で、挑発的で、その黒くて大きい両目が画面ごしに私たちの方に向けられたの。

 そのとき、先輩の一人がうわっと、驚いた声をあげたの。私の方を見て、『お前、何、いきなり泣いてんだよ』って言ったの。

 え? って思った。耳を疑った。聞き間違えかと思ったの。でも、そうじゃなくて、私は、本当に泣いていたの。自分が気づかないうちに。

 べたべた両手で頬をぬぐってみたら、確かに言うように、いつの間にか私の両目から涙がこぼれて溢れてて、顔の下半分を濡らしていたの。

 まるで水道の蛇口を開き切ったかのように次々と流れ出てきて止まらなくなっていた。

 濡れきった顔を両手で何度もぬぐって、でも、ぬぐってもぬぐってもぬぐい切れなくて。

 次から次へと涙がこぼれつづけ、止まらなかった。堰を切ったようにあふれでてきてた。

 大丈夫かって誰かが訊いた。私は大丈夫だって答えた。

 なんかもう、あらゆる記憶とか思い出とか、映像とかが、フラッシュバックして、あふれだして。ああ、そうかって思った。

 最初からつながっていたんだって、私は気づいた。

 よくよく考えてみれば、父がギターを教えてくれて、千香さんがロックの世界に導いてくれて、トークンたちとバンドをやれた。

 本当に様々なことが組みあって、結びつきあって、今の自分がある。それは確かにそうだと思った。

 でも、それだけじゃなくて。そういうことだけじゃなくて。

 そのとき私が理解したのは、もっと深くて、もっと広がりのある、私たちにとっての基本的な事実みたいなことだったの。

 私はね、ずっと、それまでにも、もちろん別れとか失敗とか色々あったし、劣等生であったこともあったし、不登校だった時期もあったし、馬鹿にされたこととか、屈辱的なこととか、いっぱいあったの。本当にいっぱい。で、その度に私は何かを失って、台無しにして、傷ついてきたと感じてきたし、そう結論づけてきたの。失敗したら損するし、別れたら大事なものを失う。そう思ってた。だから、失敗しないようにがんばるんだし、別れないようにがんばるものなんだと思っていた。

 でも、そうではなかったんだって理解した。私の目の前から大事なものが消えても、実際は奥深いところで、目には見えないところで、大事なものと私はずっとつながっていたんだってことが解ったの。私は確かに失って、そして傷ついていたんだけど、そしてそれは確かに取り戻せない、二度と戻らないものなんだけど、同時に、私は何も失っていなかったし、傷ついていなかったんだってことをそのとき理解したの。

 ああ、そうかと。

 みんなで一緒に色々なことをやってきたけど、それらやってきたことの全ては決して個別に数えられるようなバラバラな体験じゃなくて、それら丸ごと全部で一つの体験なんだし、それだけでなくて、私たちは初めから、みんな出会う前からつながっていて、別れた後もつながっている。目に見える形が変わるだけでつながっていることは変わらないんだ、ってそんな感じ。

 つながっている。いつでもそうなの。今、ここでも。

 本当は見えていて、聞こえているんだけど、見えないと思って、聞こえないと思って、つながっていることを忘れて、私はずっと自分が無力で傷つきやすくて哀れだと、惨めだと思っていて、でも、実際は違ったんだと、そうではないんだって、気づいた。

 私は涙をぬぐうのをあきらめて顔をあげた。

 トークンの方を見ると、彼も泣いていた。両目から大粒の涙を流していて、ぬぐおうともしていなかった。モニターで、昔の自分と千香さんが一緒に歌い合っているのを見つめていた。

 彼がすっと表情を動かして、私の方を見て二カッと無邪気に笑ったの。涙を頬に伝えたまま、ぬぐおうともせずに。

 私もびしょ濡れの顔をそのままにして、ニカッと笑い返した。

 彼が泣いているのを初めて見た。それは私だけでなく、他のみんなも同じだった。不意打たれたのか、私とトークンの涙が伝染したのか、気づくとみんな泣いていた。

 何泣いてるんだよ、ってお互いふざけあったけど、涙は止まらなくて、私たちは声に出して泣いた。

 気づいたら、みんなで円陣を組んでいた。

 円陣を組みながら、泣き合った。

 おいおい、と声を出して泣いた。

 悲しいとか、残念だとか、そういうことではなかったんだと思う。なんで泣いているのかよくわからなかったけど。

 それもあったとは思うけど、そうではなくて、私は、私たちは大丈夫なんだと思ったの。

 みんなもちろん、次の日からは散り散りになってしまうんだけど、それは確かなんだけど。

 でも、私たちは知ったの。そして泣いたの。

 長い間、私たちは音楽室で泣き合っていた。でも、泣きながらも、とってもすっきりした気持ちだった。

 それは、今この瞬間で消えてしまうようでいて、でも同時に、いつまでも続くような、そんな終わりのない気持ちだったの」


 ● ● ●


「それからは、トークンが退学になっちゃって、私も親に強制的に転校させられて、バンドのメンバは散り散りになった。

 でも、私は、すぐに家族とは和解して…母親が心配していたのも理解できてたしね…、転校先の高校にまじめに通うことにした。

  転校先では、いぶかしく思うクラスメイトがいて、バンドをやっていて前の学校から転校してきたという話は伝わっていた。

 バンドが理由で転校するなんて何をしていたの? とか尋ねられたりしたこともあったけど、私は、ただのバンド活動だったよ、って答えてた。その通りだったから。

 それから親しい友達もできて、その友達になった女の子が幅広く多趣味で、薦められてR&Bとかヒップホップとかの曲を聴くことも増えていって、それだけでなくて、絵を描いたりとか、友達と一緒にマラソンに挑戦したりとか、夏には富士山登ったりとか、色々なことにトライした。

 何をやるかとか何に挑戦するかとかについて、目的とかプランとかは持たずに、自分の中にあるひらめきみたいなものに従うことにして。どんどん様々なことに手を出していった。

 バンドを組んでロックをやることはなくなってしまって、高校卒業して、大学に進学して、院に行って、今の会社に入って、私も色々とあれから変わっちゃったけど。

 大小様々なことがあって、いい出来事もあったり、悪いこともあったりしたけど、出会いも別れも沢山あったけど。

 私の中には、ずっと、いつも穏やかなものがあった。

 見えなくても、聞こえなくても、会えなくても、ひどいことがあっても、私たちは今もどこかでつながっていると。そう思えるようになったの。

 そうね。それはまるで、……」

 僕は音量を操作した。音が途切れたのかと思った。でも、音量は問題なく、アヤカさんもつながったままだった。僕はじっと耳をすましていたが、彼女の話はそこで終わった。僕もあえて続きを待つことはないように感じた。


 オーディエンスが入り始めた。他のRoomが終わって人が流れてきたのかもしれない。さっき退室していったミノルも戻ってきていた。なんか挙手をしているような。

Clubhouse の向こうから電話の着信音のような音が聴こえた。アヤカさんの声が続いた。「ちょっとどういうことよ!」、立ち上がり、歩いて離れていく音が続き、静かになった。しばらくして、アヤカさんが戻ってきた。

「高石さんから」

 アヤカさんは、今日紹介していただけることになっていたVCの方の名前をまた言った。「今日は本当にすまなかったって言っていて、あと、30分後に入るって言ってるわ。どういうことよ!」

 僕は時計を見た。もうかなりの時間が経過していた。

 あいつも相変わらず頑張ってるんだから、とアヤカさんのつぶやきが聴こえた。そして、まっすぐな質問が飛んできた。

「ねえ、君は好きな音楽とかある?」

 突然の問いに、僕はやや狼狽しながら、自分の聴いている曲を思い起こした。

「僕は音楽では、ニルヴァーナとか、ガーベッジとか、U2とか、グリーンデイとかが好きですね」と答えた。

「へえ、グリーンデイ。パンクロックの王道だ」と彼女は言った。

「でも、音楽が趣味というわけでもなくて、実は、」

「実は?」

「社交ダンスをやっています」

「本当?」

 彼女は虚をつかれたような、驚いた声をあげた。

「今まで社外の人には言ったことなかったですけど。大学生の頃にはまって、実は色々と思い入れがあるんです」

「得意なの何?」

「得意って?」

「踊りの中で得意なのは何?」

「あえていうなら、チャチャチャです」

「ふーん、今度踊る?」

「へ、」と今度は僕の方が不意をつかれたかのような声を出した。

「私、昔ほんのちょっとだけやってたことあるの」

 アヤカさんはそう言った。チャーミングなトーンだった。

「意外ですね」

「君の方が意外よ」

 そう返して彼女の息を吸う声がきこえた。

「じゃあ、メインスピーカーは来てないけど、オーエディンスの方もいるし、お互い自分のことをどんどん語ってみる?」

 今度は、あなたの話を聞かせてよ、と彼女は言った。

 僕は、いいですよ、ぜひぜひ、金曜の夜ですしね、と答えた。

 身体が軽い感じがする。なんだか話してみたい、そんな気分だった。


                             (了)

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