聴力を突然失ったドラマーが気づいた「音」の世界 「聞こえる」ことの意味 映画『サウンド・オブ・メタル』 初出:wezzy(株式会社サイゾー) 2021年6月19日

 筆者がたびたび寄稿していたウェブメディア『wezzy』が、2024年3月31日にサイトの完全閉鎖を予定しているそうです。そのお知らせの中で、「ご寄稿いただいた記事の著作権は執筆者の皆様にございます。ご自身のブログやテキストサイトなどのほか、他社のメディアでも再利用可能です」とあるため、こうしてブログに記事を転載しました。元記事のURLを下記に記載しておきますので、気になる方は閉鎖前に覗いてみてください。

元記事
https://wezz-y.com/archives/91771
魚拓
ページ1 https://archive.md/BH8ck
ページ2 https://archive.md/lBeGQ

 『サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~』は、2019年のアメリカ映画。2020年11月にアメリカの一部劇場で公開後、同年12月にAmazon Prime Videoで配信が始まった。監督はダリウス・マーダーが務め、主演には『イル・マナーズ』(2012)や『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(2016)などに出演したリズ・アーメッドが迎えられている。

 本作の主人公はルーベン・ストーン(リズ・アーメッド)だ。ルーベンは、ブラックギャモンというメタル・バンドのドラマーとして活躍するミュージシャン。同バンドでヴォーカルを担うルー(オリヴィア・クック)とは恋愛関係にある。RV車で共に暮らしながらアメリカ中をツアーするなど、2人の繋がりはとても深い。

 だが、その日々は突然終わってしまう。何の前触れもなく、ルーベンの聴力がほとんど失われてしまったのだ。それを知ったルーは治療に専念しようと勧めるが、音楽活動を続けたいルーベンは聞く耳を持たない。

 急速に聴力が衰えていくせいで、自暴自棄になってしまうルーベン。その姿を見たルーは知人に相談し、ろう者が集う支援グループを紹介してもらう。どうすることもできないルーベンは、渋々ながらも支援グループが拠点とする地へRV車を走らせる。

 到着すると、ジョー(ポール・レイシー)という男が出迎えてくれた。支援グループの運営者である彼は、兵士としてベトナム戦争に参加した際、間近で爆発音を聞いた影響で聴力を失った。その経験をもとに、ろう者の手助けをしている。

 ジョーの説明を受け、ルーベンは支援を受けると決意する。グループの拠点に住むためルーと離ればなれになったこともあり、最初は乗り気ではなかったが、ろう者たちと触れあうなかで少しずつ光を見いだしていく。

聴力を失ったルーベンの選択

 本作はあらゆる面で素晴らしいパフォーマンスを味わえる。なかでも特筆したいのは、主演のリズ・アーメッドだ。音楽で自己表現してきたルーベンが聴力を失い、狼狽と焦燥によって精神の安定が損なわれていく様を見事に演じきっている。特に目つきの微細な変化でルーベンの情感を表す上手さは、アーメッドが持つ高い表現力を如実に示しており、本作の大きな見どころのひとつと断言できる。

 精神の安定が損なわれながらも、徐々に生き方を見つけていくルーベンの物語も見逃せない。音楽を諦めきれないルーベンは、大事な機材やRV車を売りに出してまで、人工内耳をつけるための手術代を捻出する。そしてジョーに「明日戻る 心配するな」と書いた置き手紙を残し、病院へ向かう。人工内耳取りつけの手術が無事終わると、音入れのため4週間後にまた病院へ来るよう医者に筆談で伝えられる。

 退院後、ルーベンはジョーのもとに戻り、人工内耳をつけたと報告する。その際4週間だけ支援グループの家に住まわせてもらえないかと相談するが、ジョーに拒否される。

 ジョーにとって、聴覚障がいは治すものでもハンデでもない。そういう信念に基づいてグループを運営し、多くのろう者を支えてきた。治したルーベンを一時的にでも住まわせるということは、自らの考えに賛同した者たちに対する裏切りになってしまう。この想いを率直に語ったあと、ジョーはルーベンにすぐ荷物をまとめて他の場所へ移るよう告げる。ジョーと別れたルーベンは、モーテルなどに泊まりながら時が過ぎるのを待つ。

 4週間後、音入れのため病院へ向かう。医師によって音が聞こえる状態にしてもらったが、ルーベンの表情は晴れない。以前のような聞こえ方ではないことに、どうしても違和感を拭えなかったのだ。いくら調整しても、音が高く聞こえるなど思いどおりに音を捉えられない。

 人工内耳がろう者の手助けになる手段なのは確かだ。とはいえ、人工内耳を取りつけた効果には個人差があり、すべてが元通りになる万能の医療行為というわけではない。手術後の経過次第では違う聞こえ方に慣れるための訓練を受ける必要があり、この点は劇中でも明確に描かれている。ルーベンの場合、すべての音がざらついた電子音みたいに聞こえてしまう。これは理想としていた聞こえ方とは程遠く、だからこそ戸惑いを隠せなかった。

 戸惑いはルーとの再会によって決定的となる。ルーの父・リチャード(マチュー・アマルリック)の家で開催されるパーティーに参加したルーベンは、そこでリチャードのピアノ演奏に合わせてルーが歌うステージを見る。周りのパーティー参加者は拍手や歓声を送るなか、ルーベンの表情は諦念と哀しみが入りまじった複雑な情感を滲ませている。ピアノも歌声も、人工内耳の影響でロボット・ヴォイスのように聞こえるからだ。

 この出来事を経て、ルーベンは街を彷徨う。ベンチに座ると、時計台の鐘の音が鳴りだす。ピアノと歌声を聴いていたときのように、鐘の音は金属的な響きとして人工内耳に届く。その響きのヴォリュームが少しずつ大きくなると、ルーベンは人工内耳を外す。すると、静寂という名の音が訪れ、全身を包みこむ。静寂に身を任せるルーベンの表情は、大切なものを得た安堵感でいっぱいのように見える。

 こうした姿を見て、作の魅力は喪失と発見の物語を丁寧に描いたところにあると確信した。

 ルーベンの物語は、聴覚の急激な衰えという音の喪失から始まる。その後ろう者の支援グループに身を寄せると、手話を習得したこともあり、音がない世界との付きあい方を見つける。しかし音楽への執着を捨てられないため、人工内耳によってその執着心を満たそうとする。ところが人工内耳を取りつけても、理想とは違う聞こえ方だった。この失望によって、ルーベンは静寂というあたりまえになりかけていた音をまた失ってしまった。それに気づいたルーベンは、最終的に人工内耳を外し、静寂のなかで輝く一筋の光を再び見つける。

 ルーベンは喪失と発見をそれぞれ2回ずつ経験する。お世辞にもスムーズとは言えないこの紆余曲折を、アーメッドは圧巻の演技で表現している。そこには、一度希望を見つけたら突きすすみ、万事上手くいくという出来過ぎたドラマみたいな姿はない。そのような表現を可能にしたアーメッドの優れた演技力と豊富な情感の引きだしは素晴らしいの一言だ。

 アーメッドが演じる七転八倒なルーベンを見て、人という生き物は非常に複雑で、多くの強さと弱さを抱えているのだとあらためて思い知らされた。

 いくつもの壁にぶつかりながら、ルーベンが一筋の光を泥臭く掴めたのは、支援グループでの経験があったからだろう。たとえば、ろう者の子どもと公園のすべり台で遊んでいるとき、ルーベンは従来とは違う形で音楽を感じるシーンがある。子どもと一緒にすべり台を叩くと、振動が体に伝わり、ルーベンは何かを発見したかのような表情を浮かべる。それをきっかけに、かつてドラムで刻んでいたリズム・パターンを叩きはじめる。

 すべり台のシーンを含め、本作はラストでルーベンが選択する道と、その道を選ぶ必然性を強める伏線が随所で飛びだす。伏線となる場面を観たときはひとつのシーンとして受けとめるだけかもしれないが、エンドロールが流れてからそのシーンの数々を振りかえってみると、ルーベンの歩みにおいて大切な言葉や経験だったのだなとわかるはずだ。

 ろう者になってから得たものは、確実にルーベンの価値観や視点を広げていた。こういった気づきが降ってきたからこそ、最終的には人工内耳を外し、音楽も含めた多くの物に対する執着から解放されるという脚本の構成は巧みだ。

音が聞こえなくても「聞こえる」

 ルーベンの喪失と発見を描くうえで、音楽が果たしている役割も重要である。本作において音楽は、物語を彩る装飾や黒子的役割に収まるものではない。音が聞こえないルーベンの状態を表すときは、ほぼ全ての音域をカットし、耳に蓋がされたような音の鳴りを再現するなど、他の映画と比べても飛びぬけて登場人物の心情や状況を代弁した音の使い方が目立つ。

 この手法自体は、過去の映像作品になかった斬新なものというわけではない。ドラマ『マスター・オブ・ゼロ』シーズン2(2017)の第6話「ニューヨーク、アイラブユー」でも、ろう者の女性がメインのくだりでは9分ほど無音になるなど、音を活かした演出が光る作品を挙げていけば多くの名前が出てくるはずだ。

 そのうえで、本作が他の作品群よりも音の活かし方が特段に上手いと言えるのは、それが物語の始まりから終わりまで軸になっているからだ。作品全体の流れを保つため、一部のくだりだけで無音にするといったワンポイント的なやり方ではないのだ。

 多くの観客にとって、本作を初めて観るときは驚きの連続だろう。突如音が小さくなったり、聞こえなくなったりするのだから。

 本作の音楽は、シーンの雰囲気を盛りあげる、あるいは物語のクライマックスを彩るといったことはしない。むしろ、盛りあげどころで音を断つこともいとわず、時には物語の流れや観客のテンションに水を差す。

 そうした音楽の使い方は、聴力を失ったルーベンのぎこちなさや、人工内耳を付けた後の違和感と共振している。音質だけを評価するなら、本作の音楽は質が悪いと言えるだろう。人工内耳の金属的な聞こえ方も、シーンによっては高域が極端に歪んでいるなど、耳障りに感じる瞬間も少なくない。しかし、この質の悪さがあるからこそ、観客はルーベンの物語をとても深いレヴェルで追体験できる。質が良い音ではないかもしれないが、それこそ作品に必要な音だったのだ。

 そんな音選びの妙を骨の髄まで味わうためにも、本作はヘッドフォンかイヤホンをしながら、ひとりで鑑賞することをおすすめしたい。音の聞こえにくさと言っても、聞こえにくさを表現する際の音のヴォリュームがシーンごとで微妙に違うなど、細かいところにまで手が行きとどいているからだ。こういった高度な芸当に、第93回アカデミー賞の音響賞が贈られたのは当然と言える。

 本作は音を通じて、世界に生きる人々のさまざまな視点を描く傑出した映画だ。耳が聞こえなくなったルーベンを見て、他の人よりも不便が多く、かわいそうと思う者もいるかもしれない。しかし、そうした視座に本作は立っていない。ろう者の子どもとすべり台で遊んだ時にルーベンも気づいたように、耳以外の回路を通じても、音とグルーヴは感じられる。静寂の世界であっても手話によって他者と繋がり、笑いあうことだってできる。これらの光景のなかで活きいきとしているろう者のルーベンは、音は聞こえなかったとしても相手の心の声は聞こえていただろう。

 音が耳に入らずとも、相手の心を感じるのであれば、それも聞こえるということなのではないか? このような問いが込められた『サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~』は、筆者も含めた多くの観客が無意識に抱えているであろう凝り固まった価値観や偏見を丁寧に解きほぐす。

参考文献

イギル・ボラ 矢澤 浩子『きらめく拍手の音 手で話す人々とともに生きる』2020 リトル・モア
キャロル・パッデン トム・ハンフリーズ 森 壮也 森 亜美『新版「ろう文化」案内』2016 明石書店
小林 洋子『ろう女性学入門――誰一人取り残さないジェンダーインクルーシブな社会を目指して』2021 生活書院
佐々木倫子『ろう者から見た「多文化共生」: もうひとつの言語的マイノリティ』2012 ココ出版
長嶋 愛『手話の学校と難聴のディレクター ――ETV特集「静かで、にぎやかな世界」制作日誌』2021 筑摩書房
ハーラン・レイン 長瀬 修『善意の仮面―聴能主義とろう文化の闘い』2007 現代書館
マーク・マーシャーク パトリシア・エリザベス・スペンサー 四日市 章 鄭 仁豪 澤 隆史『オックスフォード・ハンドブック デフ・スタディーズ ろう者の研究・言語・教育』2015 明石書店

この記事が参加している募集

#おすすめ名作映画

8,152件

#映画感想文

66,776件

サポートよろしくお願いいたします。