セックス・ポジティヴ・フェミニズムの終焉〜ビリー・アイリッシュや『ノーマル・ピープル』から見るZ世代の性とポルノ




 セックスやジェンダー関連の問題を熱心に追っていれば、セックス・ポジティヴ・フェミニズム(Sex-positive feminism)という言葉を目にする機会が多いはずだ。1980年代初頭ごろ始まったとされるこのムーヴメントは、アンドレア・ドウォーキンやキャサリン・マッキノンといったポルノに批判的なフェミニストたちに対抗する動きとして生まれた。

 セックス・ポジティヴ・フェミニズムの立場からすれば、ポルノを制限しようと試みるフェミニストの道徳観や倫理観は保守的とされる。ゆえにセックス・ポジティヴ・フェミニストたちは、女性も含めたあらゆる性別の人たちの性的機会があたえられることを肯定する。たとえば女性がポルノで自ら性的表現をおこなう姿は、抑圧されてきた女性という存在を解き放つ《性の解放》として、称揚される。《させられる》のではなく、自分の意志で《する》ことに、抑圧からの逸脱を見いだすのだ。
 筆者からすると、セックス・ポジティヴ・フェミニズムには同意できるところもある。あらゆる性別の性的機会を作ることで、異性愛に限らないさまざまな性的表現を可能にした功績は無視できない。ドラマ『トップボーイ』シーズン4(2022)など、いまや明確な同性愛描写を入れた映画/ドラマは珍しくないが、そうした作品が豊富になったのもセックス・ポジティヴ・フェミニズムの視点が広まったからだろう。

 とはいえ、全肯定するかと言われたら難しい。セックス・ポジティヴ・フェミニズムの論理は、ポルノを含めた性産業全体が抱えている女性搾取や、ポルノの影響で性暴力の被害者が生じてしまう構造を温存することにも繋がるからだ。《性の解放》も、女性を商品として消費したい者たちにとって都合のいいものに過ぎないのでは?といった自省がなさすぎるように見える。
 これらの懸念は、多くのデータや研究をふまえれば過激とは言えないはずだ。西日本新聞による特集『性暴力の実相』では、AVと性犯罪の高い関連性が示されている。また、徳島新聞の特集『性暴力とたたかう』はAVと男性優位社会の繋がりを浮き彫りにしており、示唆に富む視点が多い。そうした被害の実態を受けて、日本政府は『女性に対する暴力の根絶』と称して被害防止に取り組んでいる。

 しかし、性産業の搾取構造や悪影響が明確になりつつあっても、性産業に批判的態度を取るのはリスクが伴うようだ。2021年12月、ビリー・アイリッシュは『ハワード・スターン・ショー』というラジオ番組でポルノ批判を繰りひろげたあと、多くの誹謗に晒された。
 ビリーの発言を聞いたとき、筆者はポルノの悪影響を受けた立場からの一意見としか思わなかった。今年2月にケンブリッジ大学出版局が発表した研究結果なども示すとおり、ポルノというファンタジーは現実の性生活に多大な影響を及ぼしているからだ。その現実の一端をビリーは《被害》として語ったに過ぎない。だからこそ、現実とかけ離れた女性像を描くポルノへの怒りが滲む“Male Fantasy”も、ビリーらしい歌として聴いていた。

 にもかかわらず、《被害》の論点はなぜか無視され、セックスワーカーへの差別や偏見を呼ぶものとしてビリーの発言を受けとる者が目立った。なかでも、性産業向けのビジネスニュースを扱うXBIZは、ビリーに容赦ない言葉を投げつけた(※1)。発言が右派系のメディアで引用されていることをアピールし、ビリーの考え方は禁欲的かつ保守的であり、偏見だという視点を隠していない。加えてTwitter上では、#BillieEilishのハッシュタグにトップレスモデルの画像と批判を添えたツイートが広がった。こういった動きについては、『ハワード・スターン・ショー』における発言にセックスワーカーや性産業で働く人への言及がなかったため、少々奇妙に見えたのが正直なところだ。

 ビリーの発言を巡る出来事を知ったうえで筆者が思ったのは、そもそもポルノや性産業の女性搾取的な側面を批判すること自体が禁欲的で保守的なのかということだ。同時に、禁欲的で保守的な人たちだけがポルノや性産業を批判しているのかも気になった。
 2001年に生まれたビリー・アイリッシュは、いわゆるジェネレーションZ(1990年代半ばから2010年代初頭までに生まれた世代のこと)にあたる。この世代は性的指向の多様性を大切にし、差別や抑圧に抵抗する意識も高い傾向にある。さらに、イギリスのZ世代に限定した調査ではあるが、Z世代の間でアナルセックスやオーラルセックスといったアブノーマルとされる性行為の経験数が増加しているという興味深いデータも存在する。ビリー自身も、ロー対ウェイド判決(アメリカ連邦最高裁判所が1973年に女性の人工妊娠中絶の権利を認めたもの)が覆される可能性を知って反対を表明するなど、人権意識の高さは有名だ。

 見逃せない事例として、2021年ごろからTikTokでCancel P * rnというハッシュタグが拡散されていることも挙げたい。このハッシュタグが付いた投稿では、多くのZ世代がポルノの女性差別的描写と搾取構造を語っている。それに伴い性暴力被害者に寄り添う連帯も醸成されるなど、女性への差別に抵抗する場として機能しつつある。被害を受けた当事者だけでなく、男性優位かつ暴力性に塗れた従来のポルノに批判的描写が目立つオルタナティヴ・ポルノ(※2)を好む立場からの意見も見られるため、参考になる言葉が多いと思う。

 ここまで述べてきた事例から察するに、ポルノの女性差別的描写や性産業の搾取構造を批判しているのは、禁欲的で保守的な者ばかりとは言いきれない。性的指向、恋愛指向、性表現の多様性とそれを実現するのに欠かせない人権が大切だからこそ、ポルノの女性差別的描写や性産業の搾取構造を批判するという視座が少なくないからだ。もはや、かつてのフェミニスト・セックス論争における《反ポルノと肯定派》という単純な二項対立の枠では、現在のポルノや性産業に関する動きをとらえるのは不可能と言っていい。
 そうしたZ世代の視座は、近年の映像作品でも頻繁に見かける。ドラマ『トップボーイ』シーズン3(2019)では、ジェイミー(マイケル・ウォード)とリジー(リサ・ドワン)の冷めた関係性を描くためポルノ的に誇張された露骨な性描写が選ばれた一方で、ダシェン(アシュリー・ウォルターズ)とシェリー(リトル・シムズ)の深い繋がりを示す際は直接的な性描写すらない《匂わせ》という演出がとられている。また、サリー・ルーニーの同名小説をドラマ化した『ノーマル・ピープル』(2020)は、過剰な演出を排した現実味あふれる性行為と対比させるように、男性が女性を支配するポルノ的セックスも描いている。これらの描写や演出方法は、差別、搾取、人権の観点からポルノと距離を置く者も多いZ世代の感性と見事に共振する。

 先述したように、筆者はセックス・ポジティヴ・フェミニズムに一定の功績を見いだす立場だ。それでも、男性優位な構造や搾取を温存するという意味では男尊的で保守的な道徳観とも言えるセックス・ポジティヴ・フェミニズムは、役目を終えたのかもしれないと思うことが多くなった。《性の解放》は女性の解放と必ずしもイコールではないと示す事例や、そのことを積極的に語る多くのZ世代の姿は、そう考えさせるのに十分な説得力がある。


※1 : 立場的にXBIZは現在の性産業を維持したいと思われるので、そういったバイアスがかかったうえで書かれた記事ということを前提に読んだほうがいいと思います。

※2 : オルタナティヴ・ポルノについては、映画『彼女』を評した私のポッドキャスト内で詳しく語っているので、興味がある人は聴いてください。

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