“優しさより正しさ”が欲しい者たちの世界を描きつづけた傑作 ドラマ『トップボーイ』シーズン5


ドラマ『トップボーイ』シーズン5のポスター

 イギリスの大人気ドラマシリーズ『トップボーイ』がシーズン5でファイナルを迎えた。2011年にチャンネル4で初放送されて以降、5シーズンにわたって物語を描いた本シリーズは、ダシェン(アシュリー・ウォルターズ)とサリー(ケイン・ロビンソン)という2人のドラッグディーラーを中心に話が進む。ロンドンの裏社会を舞台に、命を賭けた縄張り争い、感情の機微が行きかう人間関係などを丁寧に描きながら、登場人物たちの背景にある社会問題を深く掘りさげる重厚なドラマだ。
 結論から言うと、シーズン5も素晴らしかった。機敏なコマ割りは生き急ぐ登場人物たちの焦燥を代弁し、『Bullet Boy』(2004)や『Kidulthood』(2006)といったUKフード・フィルムの系譜に連なるブレを活かしたカメラワークは、視聴者に鋭い緊張感をもたらす。

 とはいえ、筆者からすると、映像面は少々惜しいと感じてしまうところもなくはない。なかでも気になったのは、革新性の薄さだ。ジェイミー(マイケル・ウォード)とリジー(リサ・ドワン)のベッド・シーンで過剰なポルノ的性描写を見せつつ、ラヴ・シーンを隠すことでダシェンとシェリー(リトル・シムズ)の深い繋がりを描くという卓越した映像センスが炸裂していたシーズン3と比べると、どうしても物足りない。シーズン3が良すぎたとも言えるが、映像面での挑戦が後退したのはやはり残念だ。
 ダシェンとサリーが物語の中心とわかっていても、終始飛びぬけた演技力を見せつけてくれたジャスミン・ジョブソン演じるジャックの物語が深く描かれなかったのも寂しかった。レズビアンのドラッグディーラーとして、世の不条理やそれをもたらす歪な社会構造を身に受ける彼女の人生は、もっとフィーチャーされていい。生きるための手段が大切な人の命を奪うことになるという辛辣な因果応報を味わうジャックは、そこらじゅうに暴力と死が転がっている世界の閉塞感を体現するキャラクターだ。それだけに、最後までサブプロット的な立ち位置だったのはもったいなかった。

 しかし、社会問題に深く踏みこむドラマとしての矜持を最後まで貫いた姿勢は褒めるしかない。とりわけ、死をスタイリッシュに描かず、アンチヒーロー的に登場人物たちが神格化される余地を残さなかったのは、歪な社会構造を安易にエンタメ化しないという制作陣の良識が感じられる選択だ。
 それが顕著に表れているシーンといえば、逃走中のダシェンがゲートを乗りこえようとして、サリーに撃たれるところだろう。最終話で描かれるこのシーンは、ダシェンとサリーが生きる世界の厳しさを容赦なく見せつける。暴力とカオスに塗れた環境はどこまでも薄情で、あらゆる物を奪っていく。

 怒るサリーから逃げるダシェンの姿を見て、筆者は映画『トレインスポッティング』(1996)のあるシーンを思いだした。レントン(ユアン・マクレガー)が大金の入ったバッグを手に、朝の街を笑顔で歩くあの名シーンだ。仲間のベグビー(ロバート・カーライル)やシック・ボーイ(ジョニー・リー・ミラー)を出しぬき、酷い人生をやり直そう決心するレントンの姿は、アンチヒーロー的なかっこよさで満ちあふれている。親友のスパッド(ユエン・ブレムナー)にだけ大金の一部を残していくのも、粋に見える。
 バッグを手にしたレントンは、ナレーションで語る。金を盗んだのは俺が悪い人間だからだ。でも変わろうと思う。これが俺のする最後の悪いことだ。これで終わりにして、まともになり人生を探そう、と。

 だが、レントンとは違い、ダシェンにチャンスは訪れない。シェリーと穏やかな生活を夢見るも叶わず、築きあげた大金は持ち逃げされ、最後はゲートにもたれながら死を迎える。
 ダシェンの死を見届けたサリーも、似たような結末だ。車に乗りこみ出発の準備をしていると、何者かに頭を撃ちぬかれ絶命する。サリーは娘と会うときには穏やかな表情を見せるなど、家族への執着が終始見られた。サリーもまた、平穏への憧れを持つひとりなのだ。
 ある意味、ダシェンとサリーは平穏を手に入れたのかもしれない。自らの命と引きかえに。そうした哀しみ色の皮肉をシリーズの幕引きに選んだ脚本には、怪物になるしか生きる道がなかった者たちへの寄り添いと、そんな現況を生みだした社会構造に対する憤りが滲んでいる。

 『トレインスポッティング』は、正しさよりも優しさという楽観的空気がうかがえた。歪な社会構造の影響もあって、悪さをしながら生きてきた者でも、社会構造から逸脱して新たな人生を歩めると思わせてくれた。
 一方で『トップボーイ』シリーズは、そのような楽観は戯言だと言わんばかりに、ハードな現実を見せつける。ウィンドラッシュ世代を筆頭とした移民問題、サッチャーによって生みだされてから未だ収まる気配がない苛烈な経済格差、その経済格差も引き金となって生じている多くのナイフクライムや差別といった、現実に起きている幾多の問題をモチーフにしながら、社会的に脆弱な立場へ追いやられた者たちが抱える閉塞感を描いていく。
 こうした描写は、『トレインスポッティング』から約27年、世界は変わっていないどころか、より多くの苦しみや声にならない叫びを生む構造が広がっていると暗に示す。奇しくも、サリーを殺めた者がはっきりしないシーズン5の結末は、先を見通せない不安で覆われた現実世界と瓜二つだ。

 『トップボーイ』シリーズは、その場しのぎの優しさでは何も変えられない環境で生きる者たちにとっての光でありつづけた。フィクションには、ここではないどこかへ受け手を連れていく逃避的側面が魅力のひとつとしてある。しかし、現実の問題に踏みこんだ物語を紡ぎ、自分以外にも同じような視点を持つ人がいると思わせることで、受け手を救えるのもフィクションの大きな魅力だ。その魅力を『トップボーイ』シリーズは最大化したことで、UKポップ・カルチャーの歴史に偉大な足跡を刻む傑作になった。そうした傑作を作りあげた制作陣に、盛大な拍手を送りたい。


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