対話に生きる展をやってみて
はじめに
こんにちは。ワークショップデザイナー、ファシリテーターをしています、まーぼーこと古瀬正也です。
この記事では、2024年2月10日・11日の2日間、東京の上池袋にある「くすのき荘」にて開催した『対話に生きる展「とじて、ひらく。」—対話に生きるゼミ(第3期)探究の軌跡—』の記録を残しておこうと思います。
「対話に生きるゼミ」とは、2021年の秋からスタートした「対話」について学び合い、ともに探究し合うゼミのこと。
2020年に「対話に生きる」という詩が生まれ、それに共感してくれた友人のとっくん(片岡利充)と一緒に仲間を募り、毎年秋ごろに開いてきました。
3年目の今年は、初の試みとして、最終発表会を公開してみよう!ということで「展示+ワーク」という形式で探究してきたことを外に開いてみました。
展示を見ていきましょう!
では、どんな展示だったのか。
写真とともに、ちょっと覗いてもらいましょう!
会場の「くすのき荘」に入って、右手。
ここで、靴を脱いで、二階に上がります。
上に上がった「リビング」がメイン会場。入ると、そこは廊下。窓には、私(古瀬)がつくった「対話に生きる」の詩を飾りました。
対話する言葉
リビングに入ると、壁一面には「対話する言葉」
これは、ゼミ生たちが、週に1本(約半年間)書いてきた「対話」にまつわるエッセイから、一部分を抜き書きしたもの。
共同主催者のとっくんが、個人ブースで展開するつもりでつくりはじめたものが、全体に波及して、最終的に、リビングの壁に敷き詰められることになりました。
日常の断片にこそ、大切なことが宿っているのではないか。
この「対話する言葉」の前では、来てくださった方とゼミ生が、よく立ち話している姿がありました。
対話のイメージワーク
初日の最初の企画は、私が担当の「対話のイメージワーク」
「対話」のイメージを、色や線や形や絵やメタファーなどで描いてもらい、そのあと、ペアになって対話する、という時間をとりました。
終わったあとは、展示してもいいよ、という方のみ、テーブルに絵を置いてもらい、二日目の展示物にもなりました。
ちなみに、貼り方も、ふと思い立ち、その場に来ていた方に、「残り三枚、どういう貼り方がいいですかね?」と相談し、結果、のれんのように展示することになりました。
その場での即興的なやりとりが、展示に痕跡として残っていくのは、なんだか、いいなぁ、とも。
傍観者ではいられない、というか、気づいたら、「みる側」から「つくる側」に転換させられちゃっているような…
今、振り返ると、個人的には、なかなか印象的な場面でもありました。
個人ブース
リビングを超えて、奥の部屋では、個人ブースを展開していました。
約半年間で探究してきたことを、おのおの、好き勝手に表現するスペースです。
展示の仕方も、ばらばら。思い思いに、展示していました。
改めて、二日間のスケジュールは、こんな感じ。↓
こたつdeボードゲーム
二つ目の企画は「こたつdeボードゲーム」(との)
これをめがけて来てくださった方もいて、大いに盛り上がっているのが、傍から見てもわかりました。
この場をつくってくれた、とのの中心テーマは「メディア」
とのの最終エッセイにもボードゲームの話が出てきたこともあり、ボードゲームの時間をつくろう!ということで、この場が開かれました。
エッセイには、こう書かれていました。
まさに、間に置いたボードゲームによって、それぞれの存在が立ち現れてくるような時間だったのだろうと思います。
トークセッション①(とっくん・まーぼー)
初日最後の企画は、共同主催者のとっくん(片岡)とまーぼー(古瀬)のトークセッション。
ゼミ誕生の話から、1年目・2年目の流れを経て、3年目(第3期)の経緯の話。そして、どんな想いでやってきたかを、まずは二人で話しました。
一気に二人で30分ほど話したあとは、お近くの人と「ここまで聞いてみて、どう?感じたことは?」を10分ほど、おしゃべりしてもらいました。
その後は、時間の許すかぎり、感想をもらったり、質問してもらったり、それに応答したり、全体での対話の時間をもちました。
Facebookライブ配信の動画が残っているので、興味のある方はぜひ。
最終エッセイは、和綴じでプレゼント!
ゼミ生が書いた「最終エッセイ」は、和綴じしてプレゼントしよう!ということで、ほしい方には、自分で糸を使って綴じていただき、持ち帰ってもらいました。
表紙は5パターン用意し、好きなのを選んでいただき、綴じていきました。
「本をつくる」って、ちょっぴり敷居が高い感じもありますが、こうして綴じられてくると、これもちゃんと本だなぁ、と感じます。
二日目に突入!
こうして、あっという間に、二日目に突入。初日を踏まえ、あれこれ、その場でつくって、どんどん改良していきました。
「展示の撮影OK」の看板も、その場で印刷し、パネルに両面テープで貼り付け、カッターで切り取り、パネル制作。
写真を印刷して、追加で貼ってみる人も。
思い立って、つくりたいものは、その場でつくる。そんなスタンスで、二日目も進んでいきました。
描いて見つめるリフレクション
そして、二日目の最初の企画は、「描いて見つめるリフレクション」(なっちゃん)でした。
自分の感情の起伏をグラフ化し、そのあとは、ニーズカードを使って対話。
予定の終了時刻を過ぎても、全く終わる気配はなく(笑)、たっぷり、じっくり、深く対話している感じが、外から見て、印象的でした。
ストーブdeおもち
お昼には、1階の土間のスペースでは、「ストーブdeおもち」(たまきっち・あゆみさん)が展開されていました。
ただ、ただ、おもちを焼いて、食べる。それだけなのですが、これがまた、物凄くよくて、いい空間が生まれ、対話のきっかけをつくっていました。
展示を見に来たのに、なぜか「あ、お餅、焼けたみたいから、食べる?」みたいな謎の呼びかけもあったりして(笑)
間にお餅があること、それで生まれるコミュニケーション。
これも一つの対話なのかもしれません。
気づけば、「みんなで持ち寄るおしゃべり会」(とっくん)の時間。
でも、前の「描いて見つめるリフレクション」が盛り上がって、1時間は時間を超過していた流れを受けて、「あ、そしたら、おれのは、なくてもいいかな」となり、やらないことに。
そうやって、その場の、その時の、状況と流れの中で、生まれたり、消えたりしている感じを受けて、改めて、「対話に生きる展」そのものが、生きているなぁ、とも感じました。
トークセッション②(ゼミ生みんなで)
あっという間に、二日目の最終企画。ゼミ生みんなによるトークセッション②の時間がやってきました。
ゼミ生に答えてもらった、最初の問いは、こちら。
問い①「私にとって、このゼミ(半年間)は、どんな体験だったか?」
この問いについて、A4に書き出してから一言ずつもらう、という流れで進めていきました。
自分で自分の体験を意味づける、ということは、その人にとっての振り返りにもなる。そして、聞く側としても、一つのまとまりとして体験を受け取ることができます。
ゼミ生たちは、思い思いのことを、自分の言葉で話していきました。
それぞれの声に、半年間の重みが乗っかり、内心うるっとしていましたが、一通り聞いたあとは、とっくんから一つ質問、私からも一つ質問、という流れで進みました。
その後は、お近くの参加者同士で「ここまで聞いてどう?」の時間。
(だいたい15分くらいだったかな。私も参加者の一人と話し込んじゃって、うっかり時間を忘れてました…^^;)
その後は、全体での対話の時間。来場者からの質問に、応答したいゼミ生が答える形で、やりとりが進んでいきました。
そして、最後、ゼミ生に投げかけた最後の問いが、こちら。
問い②「このゼミをへて、これから、どう対話に生きていきたいですか?」
ほんと一人ひとりの想いが溢れていたなぁ、と思います。
こちらも、アーカイブ動画が残っているので、もし興味のある方はぜひ。
おわりに
さて、一気に、どばぁーーーっと、写真とともに、二日間の「対話に生きる展」の全貌を追いかけてみました。
が、全貌といっても、結局は、私が捉えた(私が生きた時間の)一部分に過ぎません。
間違いなく、ほんとうは、もっと別の、個別的な出来事が、同時多発的に、この二日間を通して、あちこちで起こっていたのだろうと思います。
この展示で「なにか」を受けとって、心の中で「なにか」動くものがあったならば、もうそれだけで、十分な気がしています。
ひとまず、第3期はこれにて終了となりますが、「とじて、ひらく」ことで、また、新しい「なにか」がはじまっていったように思います。
改めて、ご来場いただいました皆さん、この記事を最後までお読みくださった皆さん、第3期の皆さん、ありがとうございました。
また、どこかで、何かのご縁で、交われること、楽しみにしております。
おわりのおわり:終了後の反応
終了後、さまざまな反応があり、私が捉えている範囲で、少し紹介してみます。
まず、初日に来てくださった竹内英雄さんが、すぐにnoteに書いてくださいました。しかも、二日間連続で。
さらに、X(旧ツイッター)でも、いくつか見かけました。
さらに、さらに、嬉しいことに、大学時代からの友人が『対話に生きる』を買ってくれて、さっそく読みながら、線も引いてくれていました。
また、初日のトークセッション①のグラレコを描いてくださっていた門田温子さんが、後日、メッセンジャーで送ってくださいました。
伝えたかったことの本質を、しっかり捉えてくださり、かつ、それを描いてくださっていたことに、感動してしまいました。ああ、嬉しい…
こうして、いろいろなフィードバックをいただくことで、ちょっとずつ、この「対話に生きる展」がいったい何だったのかが、見えてきます。
でも、正直、自分の中では、まだまだ整理がつかず、掴めずにいる、というのが、今です。
おそらく、これから先も、この「対話に生きる展」の意味は、振り返る時点からのまなざしによって、形を変え、姿を変え、いろんな意味を与え続けてくれるのだろうと予感しています。
それだけ、私にとっては、今回の「対話に生きるゼミ(第3期)」と「対話に生きる展」は、大きなものだったみたいです。
これからも、時間をかけて、この体験を、何度も、味わっていけたらと思います。
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