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2月11日 日曜日 対話の余韻

昨日、対話の探究に参加して、わたしも自然といろいろと振り返っていました。この日は、娘たちと一緒に公園に行ったりミスドでドーナツを買って過ごしていました。そんな中でも、対話ということが自然と思い浮かびました。

そんな中、昨日の回の主催者、まーぼーととっくんの本を読んでみました。

まずはとっくんが関わっている本、「イコール」。この本は、読者参加型の非常に新しい雑誌です。現状、電子書籍がメインストリームになりつつある今、紙の雑誌の価値を探究していく。そんな素敵な雑誌です。

とっくんも書評を書いているのですが、その本を読みたくなりました。雑誌の中身は様々な内容が掲載されていて、どれも非常に興味深い。かなり先進的な雑誌といえます。

最近は、読書でインプットするよりこのnoteのようにアウトプット中心で行こうと思っていました。しかし、この雑誌に出会ったことにより本との対話の面白さに改めて気づきます。

また本を読みまくる生活になりそうです。しかし、この「対話」ということを意識することで、また違った読み方になりそうで楽しみです。

そして、まーぼーの本。こちらは、まーぼーが書いた本「対話に生きる」これは、はじめのエッセイから非常にガツンときていい感じです。

「対話はい、生き方そのものである」まさにそれを体現している本です。各エッセイも非常に興味深く、引用したり参考にした先人の書物を読みたくなります。

特に印象に残っているのが、思想家ミハイル・バフチンを引用しながら述べている箇所です。バフチンはドストエフスキーの文学を研究し、「ポリフォニー」(多声性)があることに気付く。もともと音楽用語の「ポリフォニー」が対話にはある。だからこそ対話は終わらない。そんなことを述べている。

わたしが愛読している東浩紀さんの「訂正可能性の哲学」にもバフチンとポリフォニーの記述があります。この関連性・つながりが面白いなと思いました。東さんの記述では、対話のポリフォニーの雛形はドストエフスキーの『地下室の手記』にあるとのこと。

個人の中でポリフォニーが起きている状態、常に「自己ツッコミ」している状態がポリフォニーの雛形。これは面白い発見ですね。だから自己との対話も終わらない。

まーぼーの本を読んでそんなことを考えました。

以上、本日の読書感想文でした。お二人と対話しているようで良き時間でした。

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