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「ヒト中心」の分子矯正栄養学などなんの意味もない。細胞からみた生命科学

1960年代に「ライナス・ポーリング博士」は先端医学のスーパースターであった。ビタミンCが活性酸素を除去して細胞を元気にすると展開した。そしてそれ以上に重要なことは「細胞」が元気でなかれば健康ではないと論じた。

身体のトラブルは細胞に原因があり、分子のレベルから正す治療こそが重要だと断じたのである。そして、必須栄養素の不足が様々な病気を生むと考えた。なにせ、身体の中で作れる栄養素は身体の中でドンドン作るのだから食事から取る必要はない。一回出来上がった身体は工場から出荷された自動車のようなもので壊れたらそこを直せばいいと考えたのだ。

しかし、この考え方は「必須栄養素・必須アミノ酸・必須脂肪酸」を余りに重視する考え方にたどり着いたのである。今でも健康本やテレビでは「☓✗オイル」を飲めとか、「グルテン」が悪い、「タンパク質(必須アミノ酸)」をもっと取れとそんな話ばかりである。

当時は、人の身体が「分子」で出来ていて、DNA(=身体の設計図)に従って組み立てられていると言うドグマ真っ盛りである。人体を分子の部品を組み立てて作る工場と考えて、部品が不足しているからトラブルが起こると考えているのだ。

その考え方は、ある程度正しいかもしれない。単純な欠乏症が特定の必須栄養素で解決するのを見ればそう考えても仕方がない。

しかし、今から見ると、これが一つ目の間違い。何よりも、ガンも心臓病も脳梗塞も無くならない。先端医学は組織の中で不足しているものを次々と見つけるが、いくらそれを投与しても結果が出ない。

「コンドロイチン」と言う物質が膝関節に不足しているのが「膝痛」の原因だと言われサプリメントは多くでているが、結局効かないという臨床研究があった。今ではもう一つの物質が無ければならないと言って別な薬を売っている(笑)。眼底にはルテインが多い、目の悪い人には少ないから、沢山飲ませればいいと考えるのも同じ。

どんな栄養素も問題は、使う必要がある時に必要な場所に運ぶことが出来るかどうかが問題である。細胞内での必要な材料の輸送に関しては2020年の時点で全く分かられていない。細胞の中では、壊すべき細胞は壊され、使われていた素材は皆再利用される。特定の物質が多ければ細胞の外に押し出され、少なければ細胞は吸い込み、検査値を変える。オートファジーという発見が生命観を大きく変えた。細胞は常に今の状況を積極的に破壊して組み立て直しながら等環境に適応していているのだ。そして検査値はマイクロバイオーム同士のコミュニケーションの言葉なのだ。マイクロバイオームの世界には「老廃物」などないのだ。

少ないから飲めばいいのか?

「骨粗鬆症は骨がもろくなるー>骨はカルシュウムで出来ている=カルシュウム不足だ」「インスリンを膵臓で作るには亜鉛が必要だー>糖尿病はインスリン不足だからなる、だから亜鉛を飲め」実に単純な図式だ。では、毛髪の薄い人は髪の毛食べれば生えてくるのかねえ?

組織特異性こそが重要なのだ

しかし、それらの組織で特定の物質がどうして集まるのだろうか?細胞でできたシートに組織は囲まれて、その内側から漏れないから貯まるのだ。「疾患を持った人と持たない人の組織」の比較を行い分析をするのは間違えていないだろう。しかしながらその物質がどうやってそこにたどり着き、外に漏れ出さないかということを考えるべきだ。

それを組織特異性という。シートになって組織を守っている細胞は特定の物質を一旦取り込んで反対側に吐き出しているのだ。だから組織は特定の物質を多く集める。海の中で様々な生物は特別に物質を集める。牡蠣は亜鉛を海水から集め、体内に含有する。しかし、亜鉛だけサプリメントでとっても、牡蠣が亜鉛を集めるプロセス(代謝系=膜タンパクや取り込む分子的な機序)は得ることは出来ない。「亜鉛」というミネラルと同時にいかにそれを使うかというノウハウも共に手に入れる必要があるのだ。だから美味しく料理された牡蠣は特別な意味がある。そして、それらの代謝系全体に関しての研究は困難であろう。とにかく関係する代謝物が多すぎる。個別の変化に対応できないだろう。まさに複雑系の問題なのだ。


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もう一つ大事な間違い

「身体」を脳がブリッジ(司令塔)で、それ以外の臓器がいろいろな機能を持ち、ブリッジの指示に従っている。「合目的」に出来上がっている船のように考えたことである。理知的な生命観と考えるとわかる、僕は「ヘレニズム的」と呼んでいる。つまり臓器や組織達は皆仲良く力を合わせて、ホルモンや神経の指示に従っている。免疫は敵をやっつける強い味方だということになる。

僕は全く違っていると考えている。受精したときは一つの細胞かもしれないが別れ大きく変わっていく。70兆個にも分裂したときには、それぞれの細胞は、全く異なった利害を持ち、少ないリソースを奪い合う関係になっている。実存主義的と僕は呼んでいる。

無論、これは「考え方のモデル」だから「視点の置き場所」の差でしかない。何方が正しいかなどということは意味のないことである。しかし、どちらの仮説のほうが多くの現象を説明できるかということは考えてもいい

免疫は私を守る兵隊か?

免疫は自分を守る兵隊ではなく、何も考えていない壊し屋に過ぎない。そう考えなくては今私達を苦しめている「自己免疫疾患」を病気だと考えなければならない。しかし、自分や敵などということではなく単純に壊すべき(マークされた)ものを壊すと考えるとシンプルでいい。

受精卵は(哺乳類なら)着床するまでの間、外部からの栄養を受け取らないままに分裂を繰り返す。つまり、破壊を繰り返しながら自分を組み立てていくのだ。生命にとって、破壊は重要な役割なのだ。免疫は「私」を壊す、「敵」を壊す、片端から多くの分子化合物を破壊する。壊せとマークされたものを壊すだけなのだ。そして、壊されたあとに新たな生命は生まれる。そのプロセスこそが重要なのだ。

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生活習慣病だけではない、破壊と再生のタイミングがずれてしまうのが「骨粗鬆症」であり、リュウマチや指変形である。「膠原病」も炎症が面で起こっていると考えると分かりやすい。部位によっては難病に指定される。

この50年で注目されている病は、社会の変化を写している。僕は商品化された食事にこそその原因があると考えているのだ。

自己免疫疾患こそが、今私達を苦しめている災厄のキーワードである。



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日本における分子矯正栄養学

「丸元淑生」先生が多くの栄養学に関する本をお書きになられていた。最初に「分子矯正栄養学」を知ったのは先生の著作からだ。日本ではまだ栄養学の本がそんなに出ていなかった時期だ。僕が栄養学を勉強したのも彼の著作からである。

丸本先生はやがて伝統食の重要性に気がついてレシピの研究を始める。同時に家でつくられていた食事が、社会の変化(グローバリズム)で商品化されて行く過程に目を向けて「生命の鎖」と言う本をお書きになる。

「生命の鎖」と言う本はすごい本だと思う。今度ゆっくりと丸元淑生先生のことは書きたいが、1992年当時にこういう内容(グローバリズム批判)を書かれているのには驚いた。

生命の鎖というのは必須栄養素のどれかが足りないと健康にはならないと言う議論なのだが僕はそちらはそんなに評価していない。

僕の「幸運な病のレシピ」は丸本先生の考え方に強く影響されている。

丸元淑生

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。