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幸運な病のレシピ:「ひっぱりうどん」どうせ食うなら手間を惜しまない。プロセス管理としての「厨房学」

多くのレシピ本が面白くないのは、一品を作る「化学実験のマニュアル」のようだからだ(注)。厨房仕事はもっと楽しく出来る。守らなきゃ無いルールより破って楽しい自分の「律」を探そうじゃないかい!

食事は自分らしさを映し、家族を想い、過去と未来をつなぐものだ。自動車にガソリンを給油するわけではない。

「ひっぱりうどん」というのは山形県内陸部の郷土料理という。納豆とサバ缶を合わせて釜揚げうどんを食べるものだ。納豆とサバ缶で釜揚げうどんを食べるなどと聞くと「お手軽・時短・栄養満点」でレシピ作家が大好きそうである。しかし、どうせ食べるなら一手間かけようじゃないの!

「うどん」で満腹になるのは信念にあわない(注)。ベビーホタテがあった。天ぷらに良い野菜も少し有る。天ぷらもしようと思った。温玉を添えると美しいなと思った。

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そこで冷蔵庫と相談してプロセスフローを考えた。

一緒に下ごしらえできるもの、時間がかかるものをピックアップして手順を考える。天ぷら系は独立したカプセルのようなものだ。どんな料理を作っているときにでも並行して作れる。

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料理が苦手というヒトはこれが作れない。というか、一つ終わってから次にかかるから時間がかかる。なに、1-2年作っていれば何も考えないで作れるようになる。

僕は前に作ったときのことを反省しながら作る。人生は改善の積み重ねだ。前の失敗を改善しながら自分の味を探すのだ(注)。

そして、毎日自分は年取っていくし、季節によって素材も変わる。

市販の「食事商品」は変わらない。作る側の都合で作られる。競合他社がいる時は手間かけて、市場を独占し始めたら利益を出すようなものになる。

食べる人間などお構いなしである。とにかく、直接なクレームがなければ良いのだ。「骨抜き、柔らか、マイルド、誰もが美味しい炭水化物」である。時間が来たら半額になる弁当見てみれば分かる。「ご飯・ウドン・蕎麦・パスタ・焼きそば」が入っていて申し訳程度に「肉か魚」とヘルシーな野菜が添えられる。500円で満腹になる弁当は容器(後片付けいらず)・運賃・人件費込で、「半額」で売っても利益が出るのだ(売り切りの食品はおおよそ40%仕入れである)。

季節によっても、固定的なマニュアルで「政治的に健康になる成分」を大量生産のプロセスで作る。

けどね、そういう「政治的に正しい食事」をしていたらそれなりの身体になる。カップ麺や医者が太鼓判押す食事に適応した「身体の形」となる。「難病」も「膠原病」も「生活習慣病」「合併症」などを考えれば分かる。

「病因=病気の原因」のない「症状だけの病」なのだ。だから対処療法になる。外科的であったり最近は一番目につく細胞の受容体の目潰しをする。激しい副作用は当然だが、病気より良いでしょうと言わんばかりである。

「食事」に対する「身体」の当たり前の反応なのだ。身体は余りに違いすぎる、そして食事は余りに多くの変数を持つ。明確な対応関係を見つけられないのだ。50年前(食事を家庭で作っていた時代)にはなかったことなのだ。

今の私たちの苦しみを生んでいる。とは言っても、料理を作るのは困難なのだ。「グローバリズムという獣」が食い散らかしたのだ。

僕は信じている。

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お気に入りの地元の納豆を食べる。味わいが違う。ねった時の粘りが違う。企業訪問したい。うちから30分くらいのところになる納豆やさんである。嬉しいことに小さな袋の醤油がついていない。

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ネギと納豆を叩くと抜群にうまい。季節によっては庭のシソ入れたり梅干し入れたりも良いだろう。今日はストレートだ。

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ネギのエキスがでてくるのかもしれない。叩いている時に醤油をかけると味が馴染んで美味しい。少しだけでいいからかけると良い。後は食べる人が調整する。

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特に納豆汁のような時は、そのまま(叩かないで)入れるより絶対にうまい。市販のひきわり納豆は好きではない。たたき納豆にしたほうが美味い。まな板包丁を洗うのが大変だけど、自分で洗うから文句は言われないで済む。手間かける料理が美味しい上に、後片付けもするのだから家族には感謝される。後片付けも自分でできなければ嫌がられるに決まっている。いつか一人で生きねばならない。その時でも作り続けることが出来る(注)。

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天ぷら作りはカプセル化して厨房仕事に埋め込む

2015年当時、僕は天ぷらは苦手だった。出来合いを買ってきても変わりないと思っていた。ある日、売られている唐揚げを食べて血糖値を測ってみたは驚いた。家で作るよりかなり高いのである。つまりもうそれだけで満腹になるのだ。

今は高血糖自身が問題ではなく、もっと大切なものが身体というコロニーに入ってこないことが問題だと思っている。揚げ物はとても嬉しいのだ。

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医者や栄養士は脂質が悪者だというが、身体の構成要素は半分が脂質で半分ははタンパク質だ。糖質は脂質に代謝される。そしてこの代謝された脂質は必須〇〇を全く含んでいない。脂質の食物連鎖に関してはもっと研究されていいと思う。実際ほぼ100%炭水化物の植物が食物連鎖の間に脂質とタンパク質に代謝されていく。マイクロバイオーム(真菌なども含む)が動物としての生命の始まりなのだ。

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市販の餃子である。こういうのが一品あると嬉しい。鍋を空けないでずーっと揚げ続けるための調整になる。

脂肪を食べると「血液がドロドロ」になると見てきたような嘘を付く連中には呆れ果てる。多分、油が下水道を塞ぐイメージであろうが、血管と上下水道は作りも何も全く異なっている。脂質は血管を流れ必要とされる細胞が受け取るのだ。それも恐ろしく速い速度で流れる。

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僕は揚げ油を継ぎ足しで使う。余程「ドロドロ」に成ったら変えるが、揚げ油の中には沢山の「旨さ」が入っている(注)。この旨味が美味しい天ぷらを揚げてくれるのだ。天ぷら屋さんのカウンター越しに見える鍋に騙されてはならない。ラードなども分離したら投入する。豊かな味わいが生まれる。

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適度な温度で揚げられた天ぷらは最高にうまい。ピザ、餃子、天ぷらいずれも素材の美味しさを炭水化物で捉えて封じ込める。

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自分の都合で食べることが出来る

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妻は納豆とサバ缶を合わせてウドンは殆ど食べなかった。少し遅めの朝食だったので「納豆とサバ缶+温玉」で満腹に成ったようだ。

揚げ物は夜に回した。僕はペロリだ。

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自分の身体の調子に合わせて食べるのが大事なのだ。

お店で食べるとこうは行かない。

だから僕は三食素材から料理を作る。今日も冷蔵庫と相談する。今夜は何を作ろうか。豚汁だな。

あ、いかん芋天作り忘れた。

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注)一人で生きねばならない。

幸運な病の基本ポリシーだ。全部自分でやる。家事分担はしない。文句を言われたら素直に改める。食べてくれる人のことを考えて作る。妻は文句ばかり言っていたが、2年めをすぎることから、「アンタが死んだら俺(おらあ)は生きていけない」と母の口真似をして僕を泣かせる。今では、僕の手が回らない時皿を片付けてくれる。稼ぎが足りなくてパートで働かせる甲斐性なしだが、せめて美味しいご飯は作らせてもらいたい。

家事分担といううと聞こえは良いが、ババ抜きのようなもので、相手に恩を着せる。給料が多いほうが威張り、少ないほうが皿を洗う。俺は外で疲れているんだよと言われればなんにもいえない。外食して帰ってきたら勝手に用意しただけだろうと食べもしないし皿も洗わない。

家事分担は、家庭を壊す。元凶だ。

注)揚げ油の中には沢山の「旨さ」が入っている

テレビの「やってみて納得した系」の番組で昔、揚げ油は速やかに密閉した瓶に入れて冷暗所でしまう、すぐに捨てる。そうしないと活性酸素が油の中に充満してガンのもとになる。と言っていた。見てびっくりしたものである。今はそんな事誰も言わない。活性酸素は確かにDNAに限らずあらゆる生化学物質と反応する。しかし、一番大量に発生するのはミトコンドリアで遊離水素と遊離炭素を安定した物質にするプロセスで生まれるのだ。呼吸というプロセスで活性酸素は生まれ使われる。

生命はう~んと昔からこの物質と向き合ってきた。今更揚げ油をどうこうしても仕方がない。本当にテレビは嘘ばかり垂れ流すが、問題はそこではない。間違いだとわかった時になぜ間違えたかという反省がない。最新の医学的知見では「〇〇が分かった」というだけなのだ。では、その分かったことが間違えではないかどう担保する?お前らの言うこと必死に守ってきた患者たちにどう釈明する。

結局は、効果がないと成ったら、次から次へと新しいことを発見していく権威を信じる私達が悪い。最後はそこなのだ。そして苦しむのは権威を信じる私達である。そして権威者自身も同じ様に「たくさんの薬飲ませられ管付けられて同じような手術を繰り返す辛い死に方をする」あんたらは良いけど、罪なくして信じている庶民が可愛そう。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。