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格差の方程式:今の世界、妻と理解し合えた事

先のエントリーで妻と和解した頃を書いた。

妻からしてみれば、自分はパートで働いているのに、僕は趣味で遊んでいるようにしか見えない(笑)。父も亡くなったし、ソフトの仕事なんかもう諦めてコンビニで働けばいいと思うのは当たり前だ。

お互い相手が自分のくるしさを理解していないと苛立つ。当然、相手を自分の言いなりにさせようとする。様々な方法でディール(取引)するのだ。アンタが言うことをきかなかったら「いじめ殺してやる」ということだ。

相手の作ったものを食べない、食事をともにしない、挨拶をしない、無視する、約束を破る、自分だけおやつを食べる、セックスを拒み、子供を自分の味方にして追い詰める。

「DVや離婚、依存、過食拒食リストカット、生活の破綻、」僕は関係性の病と考える。人の存在は関係性の中にこそある。そして、誰が悪いわけではない。これは社会の問題なのだ。格差が99%の人間を追い詰めるのだ

妻に話したことは、この絵に書いたとおりだ。20年前に会社が親会社に潰されてどれだけ苦労してきたかということを話した。思い出してくれた。アンタも頑張ってきたんだよねえ。と言ってくれた。

そして約束した。一年頑張って売上が上がらず、どうにもならなかったら、お前の貯金を使うようなことになるようだったら、自殺するから保険金貰ってくれと(注)。病院行ってよく効く薬もらう気はない。

格差の図式解説入り60dぴ

その時に、社会が格差に満ち溢れている事を実感した。。自分らしく生きたいというのは根源的な望みだと思う。しかしながら、それが叶うのは僅かな人だ。

生きるためには、セクハラ・パワハラに満ちた仕事につかねばならない。時間に縛られノルマに追われ、「お前の代わりなどいくらでもいるのだ」と言われる。現実には『倍返し』などはない(注)。

平等な教育の機会が格差を自己責任にする

平等な境域で成績の優秀な人間が責任ある仕事について、高収入の人生を送れるというのは明らかなフェイクである。就職が平等でないからだ。

長い、義務教育のレールは、組織に従順で内部告発などしない人間を選別する。先生の言うとおりにして、黙って机に座り言われた事をそのまま繰り返すルールを教える。授業に異を唱えれば「ADHD」だとレッテルを貼られ投薬される。

教育学者達は「イジメ」が起こる理由を様々に考える。しかし、絶対言わないことがある。自分たち(教師や親)が悪いとは言わない。子供たちを競わせて、努力して自分の未来をつかめという。しかし、就職ではコネがあるかないかが何よりも大事だ。家が裕福ならば大学は人生の夏休みだ。残った僅かな枠を競わせる。誰かを蹴落とせば自分の得になる。イジメを傍観するのは自分の利益のためだ。入社しても同じことが繰り返される。そんな未来が見える子は暴れて退学させられるか、ADHDや学習障害、うつや統合失調症、保健室登校、となる。そちらのほうがよっぽど人間的だ。

平等な「教育機会」が与えられても、大会社の社長にはなれない。現実の世界に「島耕作」はいない(注)。

これはアタリマエのことだ。企業規模が小さい時代にも同じことが起こっていたのだ。組織に従う(内部告発などしない)人間が会社に入れる(注)。それが優秀なのだ。成績など何の役にも立たない。

だから、大学のサークルの先輩とかのコネを使う。会社に入ったあとでその先輩に服従する鉄砲玉にならねばならないが。営業マンの「うつ」はこれが原因である(笑)。そして自殺されると困るから会社はメンタルヘルスチェックしてうつと判断されれば投薬される。そして一生そこで飼い殺しになる。「うつ」にならないほうが異常だ。

先生と呼ばれる職業の不思議

政治家、大学の教師、医師、みな先生と呼ばれる。本来、能力で選ばれるべき職業であるが、誰でもなれるわけではない。政治家などは政党の公認がなければ成れない。親の地盤を引き継ぐ事で自分は政治家と成りきれいなアナウンサーと結婚して人生バラ色である。

小中高校の先生や公務員は資格があればなれるが、なったあとで出世コースに乗るには上の引きが必要だ。自分の親が何処かでおエライサンなら出世街道一直線だ。

昔官僚のおエライサンだった親がニートの息子を殺した事件があった。息子も公務員試験にさえ受かっていれば親のコネがあったのになあ。しかし、親の七光りは辛いと思う。自分らしく生きることが出来ないのだ。

この格差はいつ生まれたのだろうか

「明確な身分制度」の時代があった。法律で差別は明記され、過酷な税金の取り立てがあり、行政上の扱いも全く違った。生まれで一生が決まっていた。江戸時代を考えればわかる。

自由と平等を求めた戦い(階級闘争)は時代遅れの差別を打ち破った。いまや、自由であり、能力と努力で全ての人間には可能性が保証されている。

そして表面上、差別はなくなった。しかし格差はとんでもなく大きくなってのだ。

大笑いだ。江戸時代より格差の「上下差」は激しくなった。将軍様でもクーラーはなかったし、汲み取りトイレだったし、小自家用ジェットで女優連れてサッカー見に行ったり出来なかった。

臓器の移植手術を受けることなど出来なかった。戦争になれば、みな兵士として戦い、負けた方の兵士や男たちはは皆殺しになり女子供は奴隷として売られた。

僕らの世代が初めて直面している格差なのだ

おそらく、1960〜80年の間にこの図式は出来上がった。そもそもは、社会自身の生産性とグローバリズム(移動輸送手段の飛躍的進歩)があったから生まれた。

もう一つは「水洗トイレとエレベータ」による土地の収益性の革命である。これは誰も言わないが、東京の地価が何故そんなに高いかというと便利な場所が生まれたからである。冷凍技術の進歩も加味されねばならない。

そしてこの格差は見事にグラディエーションされている。これを専門用語で、「蜘蛛の糸効果」という。

僕は土地を持っているし、家も建っている。年収300万円ぐらいだ。しかし、コネはない。子供に世襲するアパートも無い。年金は足りない軽自動車に載っている。

しかし、自動車も持てないで一生借家住まいの人も多い。下から見れば僕は恵まれているし、上を見上げればきりがない。

月20万円くらいの家賃収入しか無い人もいれば、クレイジーリッチなか連中もいる。


格差の上の方の人間も同じ様に苦しんでいるのだという輩もいる。

誰もが戦っているのだなどというやつもいる。クソ野郎だ。平の社員と同じ給料で一緒に働いてそれっを言うならそうかも知れないが、そんなことはないだろう。格差の上にしかいた事のない奴がほざく。「ダモクレスの剣」と言うお話である、しかし、高給を受け取り、一生暮らせる金を溜め込むのだ。その金は一緒に働き社員に渡さないで自分のものとした金だ。その管理職に与えれれたノルマを達成できなかったからクビになるような場合だ。コネで入社して、もっと良いコネの社員に追い出されたりしたら、もう最悪だ。雇われ社長は会社のオーナーから売上で利益を指している間はキングとして振る舞うことを許される。会社のジェット機にも乗り放題だ。しかし、利益を出せなかったら落とされる。数百万のマンションから突き落とされるのだ。それが怖いから、下を苦しめる。時給安くこき使うのは自分の利益のためなのだ。そしてともに戦うことなど考えもつかない。

そういう事を言う奴らは、人の心を理解できないサイコパスであるか筋金入りの馬鹿である。20年共に生きて苦しめあった妻は理解してくれたと思う。多分(笑)


もっと昔にもそれなりに同じことはあった。人は愚かであり続けるのだ。

僕が新潟に戻ってきた時に地元のボス(ネズミ)にはひどいことを言われた。実際、地元の社会で生きるにはコイツラの言いなりにならなければならなかったのだ。

しかし、その時代は向き合うべき敵が見えた。簡単で見えやすい、共に戦ってくれた人もいた。

今の僕たちには戦う相手が見えない。そして「統合失調症」だとか「うつ」だろか言われて排除されるのだ。

格差に異を唱える人間は、人並みのことが出来ないとなじられ、統合失調症とかうつと言われ、よく効く薬を処方される。

どこに出口が有るのかわからない。

しかし、確実に格差の上の側が気が付かなければ変わらない。かつては一番上に神様がいた。小さな社会でみな一緒に生きていた。

いつか自分が年老いた時にコミュニティの一人として助けてもらったのだ。もうそれも金で買える。

スクルージーは改心して救われたのだが、今は高額の介護施設でデラックスな食事を楽しむのだ(注)。

「金は向こうには持っていけない」などというのは、金もあるやつだら。「向こうに行ったら、もう働かなくていいのかなあ」と格差の下の人は言う。死ぬまで時給で働いて家賃を払う人生。スーパーでカップ麺を買う老人を見るたびに辛い。自分の未来を見ているようだ。

神さま

「気分はもう戦争」大友克洋さん、矢作 俊彦さんの名場面

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名曲である。

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実質的にこのエントリーの続きです。

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注)父親の尊厳

丁度、「ダメおやじ」と言う漫画があった。あの時代くらいから顕著になってきたような気がする。「亭主元気で留守がいい」の家族像(防臭剤のコマーシャル)である。お父さんの仕事を調べるとか學校で宿題が出たと思うが、あれはお父さんが「ダメおやじ」ではないと教えたかったのかもしれない。

注)自殺して保険金貰ってくれと。何度も僕はもう生きていけないと思ったことがある

この時は辛かった。人生の勝負をかけて新潟に事務所借りて人を雇ったのだが、相手の会社にはめられた。毎日死のうと思いながら新潟の海を見ていた。よく自殺するのは弱いことだと言うが、全くそうは思わない。

リストカットにしても同じなのではないかと思うのだが、怒りが強すぎて、それを伝えたいのだ。言葉にできない怒りなのだ。

異常な行動は、異常な世界に向き合ったときの当たり前の反応なのだ。

僕は、運が良かった。父に助けられたのである。金を借りて相手の会社とは縁を切って、新発田に戻りもう一回一かはじめた。僕が生きているのは父のおかげである。父母には何度も命を救われた。

注)現実の世界に「島耕作」はいない

大学を出ても僕は面接にさえたどり着けなかった。父親が大きな会社の部長だったりすると、取引先の部長に会ってもらえる。名刺ジャンケンというクソみたいな自慢話が就活している大学生の間にある。

親が経営者であれば次期社長として大イバリで新入社員だ。

就職氷河期というのは、コネのない子供の話だ。僕の子供は親のコネもなければ金のなる木もない。遺産をぞ相続することもなければ明るい未来もない(笑)。しかしそれでも、人生のパートナーとともに支え合って向き合ってもらいたい。それには互いが格差のどこにいるのかを理解してもらいたい。

注)現実には『倍返し』などはない

この時の話はまた今度

注)(内部告発などしない)人間

心ある人はは命を断つ以外の道が選べないのだ。アベシンゾウとその一派のやったことは末永く語り継がれてもらいたい。あの連中はう~んと苦しい死に方をしてもらいたい。スズメバチとかな。

しかし、この事実は泣けて仕方がない。

真実が知りたい

注)スクルージーは改心して救われたのだが

ビルマーレー大好き。この映画はいいと思う。カレン・アレンも素敵だ。皆の元に三人おゴーストが来てくれればいいのだが。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。