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【第1回】体操と似たようで異なるなにか

閉鎖的な空間で生活し続ける事の1番の弊害は「当たり前」を疑うことが出来なくなることだ。

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大変長らくお待たせしてしまいすみません、、

今回は自分の経験を語る第1回目として、何故トリッキングを知り、どんなところが魅力的で始めたのかを話していけたらと思います!

トリッキングとの出会い

中学で体操部に所属していた私は、先輩から「面白いアカウントがあるよ」とInstagramで海外のアクロバット関連のアカウントを紹介されました。そのアカウントを見ていると、蹴りながら片足で回転してる人を見つけその異様で迫力のある身体動作に魅了されたのです。体操でも空手でもない、混ぜ合わせたのか別物なのかすらよく分からないなにか。ユニークでかっこよく、それでいて体操とは違った魅力があるなにか。それがトリッキングでした。

私がトリッキングを知って一ヶ月後、日本のトリッキングシーンが盛り上がりを見せました。トリッキング界のオリンピックと呼ばれる大舞台Hookedという大会で日本人が初出場しただけでなく見事優勝を勝ち取ったのです。YouTubeにアップロードされたその様子を見た私は実際にトリッカーの人と練習してみたい!と思い、初めて練習施設に赴くことになります。

(本記事のサムネイルは上記のYouTubeから拝借させて頂きました。写っている方は2017年に行われたHookedというトリッキングの世界大会で優勝された高橋大典さんという方です。)

初めての練習施設

初めて施設練習でトリッカーの方と練習できる!と意気込んでいた私ですが、いざ出向いてみると周りに圧倒され練習することを躊躇ってしまいました。最初は出来ないのが当たり前なのですが、何もできない自分を恥ずかしく思うと同時にこんな奴が一緒に練習させて貰っていいのかと凄く弱気だったのを覚えています。それだけでなく一緒に練習していた方が凄い技を成功させみんなで喜んでいる中、私はその様子を静かに見ているだけでした。今思えばなんて引っ込み思案なんだと恥ずかしくなるような話ですが、これが私の初めてのトリッキングの練習会だったのです。全くもって良い思い出ではないように聞こえるかもしれませんが、また練習したいという気持ちが芽生えたのを覚えています。何故あの状況を楽しんでいたのか自分でも分かりません。もしかしたら「あ、そうだったのか」と新しい気づきを得られたことに満足していたのかもしれないです。

トリッキングを始めた頃の私は「目上の人と一緒になって笑ったり喜んだりすること自体が失礼に値する」という今思えば不思議な固定観念がありました。もしかしたら目上の他者と関わる機会が「先生と生徒」という関係が成り立っている学校しか無かったからかもしれません。これが私の通っていた「学校の当たり前」だった訳ではないと思います。「自分中の当たり前」として疑う事無く生活していたのです。

しかしトリッキングの練習場所ではその「自分の中の当たり前」は通じませんでした。誰から言われた訳でもない、自分の意思で練習施設に赴き練習して仲間が成功したら年齢関係なく喜びあう、そんな練習環境。この点においてはスポーツではよく見る光景で、トリッキングが特殊な訳ではないのかもしれません。ですが、実際にその場所に身を置いた私はこの練習空間に衝撃を受けました。自分が学校以外に足を運ぶことが無かったことが原因でしょう。「閉鎖的空間」にずっと閉じこもっていたのです。学校には良くも悪くも友達、先輩、先生という既知の人間しかいないのですから。初対面の目上の人とどう関わればいいのか、その臨機応変さが明らかに欠けていました。

もしかしたら読んでくださっている皆さんにとってはこれは「当たり前」なのかもしれない。でも私にとっては「当たり前」ではなかった。そんな当たり前にやっと気づけたのです。

未知の場所

自分のコミュニティに留まるというのは安心を得ると同時に、自分のコミュニティの「当たり前」を獲得します。そのコミュニティに所属し続けると良い面も悪い面も見えてくるでしょう。どちらにせよ、そこの本質を知ることが出来る。しかし、その当たり前に入り浸り過ぎると外の世界に疎くなってしまうのでは無いでしょうか。このことを上手く表していることわざがあります。

井の中の蛙大海を知らず、されど空の蒼さを知る

これは中国から伝わり皆さんが聞きなじみのある「井の中の蛙大海を知らず」が日本に伝わった後に付け加えられたものとされているようです。

この記事ではポジティブなことと書かれていますが、私の意見としては物事の二面性をよく表したことわざのように思えるのです。自分の専門分野にのめり込む、自分の居場所を見つける、というのは己の道を突き進む上でとても重要なことです。突き詰めたからこそ見えてくるものというのは沢山あるはずです。しかし、だからと言って外に目を向けないというのは違う。私は長いこと違う価値観に触れないでいたために、新しい価値観に出会った時驚き戸惑ってしまった。その価値観を落ち着いて受け入れることができれば良いのですが、それが行き過ぎてしまうと否定や侮辱に走ってしまうかもしれない。SNSで簡単に人を貶しているような方々はこの典型例なのではないかと思っています。純粋に悪いという問題ではなく、自分の視野を自分で狭めてしまう可能性すらあるということを伝えたい。ミクロとマクロ、それぞれの視点で物事を考えてみることが大切だと思うようになりました。「自分の当たり前」と「他のところの当たり前」というものがあり「当たり前」とは固有の価値観では無いといことをもう一度頭に留めておくべきなのです。このことを初めて行った練習場所で痛感しました。

第1回では自分がトリッキングを始めた経緯と最初に感じた学校生活とのギャップ、そこから得られた気づきを書かせていただきました。完全な体験談のようになってしまいましたが、次回以降はトリッキングの文化やルールなどに触れていこうと思うのでさらにトリッキングの本質をお伝えできると思います!それではまた次回!(更新頻度は上げれるように努力します、、)


※最後までお読みいただきありがとうございます。これはあくまでも私個人の意見でしかないため、「これがトリッキングの楽しみ方だ!」と断定しているわけではございません。むしろトリッキングの魅力はこれ以外にも沢山あるはずです。この記事をきっかけにトリッキングを知り、一人でも多くの方がトリッキングの魅力に出会えることを願っています。

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