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記憶の記録#2 NO. NEW YORK

母子家庭の一人っ子。
母は水商売のお店を経営していたので
小学校に入学した頃から
夜、1人で過ごす日々が多かった。

年齢的に不安な事が多かったので都合がつく時は
母の実家に行って夜を過ごす日もあった。
祖母と母の実兄夫婦と従兄弟が2人居たので寂しくなかったし、楽しかった。
母が車で迎えに来ないと家に帰れないし
朝迎えに来ないと学校に行く事が出来なかった。
母があたくしを迎えに来てくれる時間は
お昼を過ぎる事が多かったので
小学校の低学年の頃は
あまり学校へ行っていなかった。
勉強は当然好きじゃなかったし
学校へ行かず祖母の家でテレビを観て過ごす時間や猫が居たので猫と遊ぶ時間が好きだった。
母の実家は祖父が営んでいた
中華料理屋(街中華)さんだったので
漫画本が沢山あったので漫画を読んだりして
とても好きな空間だった。
少し変わった環境で過ごしていた影響か
元々の性格なのかは不明だが
とにかく学校へ行くと
協調性が無かった。

一生懸命に運動とかしている子や
勉強をしている子を冷めた目で見たし
休み時間ドッヂボールなどに
ムキになっている子が嫌いだった。
性格の悪い子供だったな。。。。
小学校5年で転校するのだが
それまでは
通知表に必ず
協調性がないと書かれていた。
仲の良い友達は数人居たが。

そんな
協調性の無いあたくしが
バンド活動に夢中になるなんて
不思議な話である。
夏休みの宿題など
学生生活で一度もやった事の無い
あたくしが
期日までにキチンと曲を覚えるなんて
それも摩訶不思議な出来事である。

小学校5年生の時に転校をした。
転校先で少し性格が変わった。
明るくなったと思う
転校生が来た時の特有の空気感
好奇心いっぱいのインタビューに答える。
少しだけサービス精神が芽生えたし
今まであまり自分に注目される事が無かったので
少し嬉しかったし
何より転校先のクラスの皆がとても優しかった。
その時
一番最初に話しかけてくれた
K君とは今でも仲良くしている。

すっかり
話がぶっ飛び
時代を遡り過ぎたが
自分の人格を形成するにあたり
通らざるを得ないので仕方がない。

なかなか
ドラムと出会う話に辿り着かないが
のんびりと
ゆっくりと
振り返って行こうと思う。

それでは。
また。

2022/10/24

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