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訪問看護ステーションで働く新卒理学療法士の話 vol.7〜リハビリテートされるのってだれ?〜

どうも、在宅理学療法士ささきです。

前回(訪問看護ステーションで働く新卒理学療法士の話 vol.6〜だんだん楽しくなってきた。それは仮説を立てられるようになったからかな?〜)はディスカッションに加わることるようになって嬉しいという話が聴けた。

一歩前進だ。

しかし、別のモヤツキが生まれてきたようだ。

病院で経験を積んできた先輩たちは、やらせるのがうまいんですよね。
リハビリしてあげるのがうまい…っていったらいいんでしょうか?
リハビリってやらせるものなんでしょうかね?

僕はすごく素敵なモヤツキだと思った。

彼に問うた。
やらせるのが上手になりたいの?

彼は、少し黙って、考えていた。

僕なりに彼のモヤツキを考えてみたい。

僕ら理学療法士の仕事とはなんなのか?

在宅における理学療法士の関わりの大きな目的はリハビリテーションだ。
本人のリハビリテーションを支援するために、理学療法という手段を使える人として関わっている。

さて

本人のリハビリテーションとはなんなのか?

僕は、この図を見ながら考えることがある。

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まず図説する。

SOC(Sence of Conherence)とは、健康生成論におけるストレス対応概念だ。健康になるためには?の問いに対する、ロードマップと言えるかもしれない。
*Comprehensitivity:理解
*Manageability:処理・対応
*Meaning fulness:意味付け
の3つで構成され、それを導くためのフェーズとして
・Curative:治療が必要な時期
・Protective:保護が必要な時期
・Preventive:予防が必要な時期
・Educative:教育が必要な時期
・Promotive:促進していく時期
そして、ICF(国際生活機能分類:Internarional Classification of Functioning Disability and Health)は、その時々の生活状況を把握するためのものだと言える。

彼の言った「やらせるのがうまい」ということに対し、良し悪しは特に言及する気はない。

あなたが理学療法士と支援している人が、今どの状態にいるのか、自分なりにアセスメントしているのか?

それが、大切である。

ICFでその時々の生活機能を把握しながら、あなたの目の前にいる方にはどのような対応が必要であるのか?

治療が必要で、ベッドに横になってもらい関わる必要があるのか?
それとも、セルフケアの能力を上げるための教育的な関わりが必要なのか?
障害に対する、意味付けを支援するアプローチがあるのか?

あなたは今、どんな仮説をもって関わっているのか?

本人がリハビリテートされるには、どんな関わりが必要だと思って関わっているか?
それを言語化できるようにしたい。
もしかすると、「理学療法は必要ない!」と判断することもあるだろう。

一つだけ、感じることを書いておく。
生活期で働きながらも、ICIDHの考え方でしか、生活者を観察できない理学療法士によく出会うのは、すこし残念である。

ケアとセラピーについて考えたい。

臨床心理学者、東畑開人さんの居るのはつらいよ:ケアとセラピーについての覚書という本がある。

その本の中では、ケアとセラピーについては以下のように定義される。

ケアは傷つけない。
ニーズを満たし、支え、依存を引き受ける。そうすることで、安全を確保し、生存を可能にする。平衡を取り戻し、日常を支える。

セラピーは傷つきに向き合う。
ニーズの変更のために、介入し、自立を目指す。すると、人は非日常のなかで葛藤し、そして成長する。

生活期の高齢者と関わる理学療法を含む専門職は、おそらくケアが得意なのである。
相手を傷つけず、目の前の(表面的な)ニーズを満たし、依存を引き受ける。そして、訪問が永遠に続いていくのであるw

ケアが必要な時もある。
しかし、後天的に負うことになった障害に向き合い、障害の意味付けを変更していくことが、健康に向かうためには、セラピーが必要なこともあるだろう。

僕らの仕事は本人がリハビリテーションすることを支援することだ。
介護保険下では、自立支援が仕事なのだ。

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