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自分の内側に世界を創って、自分を守ってきた

3日連続は出来なかったけど、第3回です。今回もこの文章を読んでくださりありがとうございます。タイトルも文章ももちろんのこと、毎度実は画像にも意味があるんです。そんな意味深なひと言を前置きとして残しておきます(笑)。

今回は本当にタイトルそのまんまなのですが、どうしてそうなったのかみたいなところから湧き上がってくる感情のままに綴ります。

タイトル的に何か壮絶な経験があると思われるかもしれませんが、そんなことはないです。普通だけどちょっと普通じゃなかった、その果てに今があるのです。

プロフィールにもある通り、僕はひとりっ子です。両親がいて五体満足、勉強も運動もそこそこできる、字面だけ見れば至って普通に見えるでしょう。

でも、どこかで糸がほつれていきました。掛け合わせのズレを重ねていくうちに、絡まったものが凄く増えていきました。

きっかけは多分家庭環境だと思います。改めて言いますが僕はひとりっ子でした。もしも上に誰かいたら違ったと思います。

それはどういうことか、良くも悪くも両親や祖父母、親戚の影響を一身に浴びるということです。両親は共にいわゆる優秀な家系でしたが、そうではない自分達にすごく負い目を感じていました。

こうした中で、両親の傀儡というかコンプレックス克服のために生まれてきた感覚になりました。いい成績をとることもいい学校行くことも、それだけではない色々なものを多くの人が求められてきたと思います。それを否定はしません。ただ、そういった家庭環境がありました。その少しの掛け合わせで、人並み以上の意志が強く伝わってきて幼い自分は抗うことができませんでした。

そうして、あまりにも自分が死んでいく感覚が5歳くらいから芽生えました。(死んだ中での学生生活はおいおい触れると思います)

自分が死んでいく中で僕は心を閉ざす選択をとりました。それは幼い自分にとれた唯一の選択肢でした。両親とのコミュニケーションの頻度はほぼ皆無、特に学校とか自分の話を両親にすることはなくなりました。時折干渉されては「口を出さないで欲しい」と言うのがやっとで、その度に「あなたのためを思って」という接頭辞がついてきて心をすり減らしていきました。

自分1人になる時間が始まり、心の中に自由な世界が構築され始めました。現実では傀儡、心の中では戦隊モノのヒーローだったり大統領したりスポーツ選手になったりしてました。1人で心の中にいる間は自由でした。妄想の激しい5歳児です(笑)。それでも、この世界は自分が"生きている"と感じさせてくれました。

今も関係は5歳の時のままです。ただ、恨んではいません。そんな日々を否定することは自分を否定することに他ならないし、自己否定はこの人生において十分すぎるほどやってきました。
お察しの通り、ここから怒涛のこじらせ方をしていく訳ですが、それはまたの機会に。(本当に書くかは未定)

最近ふと思います。何で急にnoteとか使って自分の内側を外に出しているんだろうと。きっと何かが変わるフェーズが来たんだなと感じています。過去を辿りながら、ゆっくりと自分の中で絡まった糸を解いていこうかな。

自由な内なる世界を手放して自分で外を歩くために、相変わらず完全な自己満で書き続けようと思います。

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