大童法慧「坐禅に学ぶ」を読んで
読み始めたきっかけ
この春、挑戦してみたいことに書いたように、私は坐禅に興味津々です。
前回坐禅体験をしたお寺よりも近場で、定期的に坐禅ができるところが無いかと思案していたところ、ぴったりの場所がありました。
しかも、そのお寺の現住職が過去に書かれた坐禅に関する本があるのを発見。さっそく読みました。
「坐禅に学ぶ」大童法慧
ただ坐り、「いま」・「ここで」自分が自分になることを説いた本。
第一章は坐禅による効果や坐禅のやり方の説明、心構えの説明があります。
ここだけでも読み応えあるのですが、第二章~第五章では、法慧和尚の師匠や支えてくれた人々との逸話、古典的な禅の談話からを交えつつ、禅の考えについて情感豊かにしたためられています。
説法とはことなり、まるで詩のような小説のようなやわらかな話にハッとさせられます。
坐わることで得られることは、たとえ明日から会社に来なくてもよいと伝えられたり、長期の入院を余儀なくされたり、がんを告知されたり、また最愛の人を失っても、老いを痛切に感じたとしても、どんなときもでも何があってもだ大丈夫な「核」、仏教用語では「安心(あんじん)」を得ることだと言います。この核=安心をもとに"すべてよし"という心持ちをもって、積極的に人生を生きていくことができるようになる。
過去の自分が現在の自分を決めているのではなく、現在の自分が過去の自分に意味を与えていることを自覚し、すべてよしの気持ちになっていく。
以上がまとめです。
それでは、心に残った箇所の抜粋を以下に記します。
「寄り添うこと」
これは自分自身にも当てはまり、嫌なことがあったらそれを否定したり、早く歩みを進めようと自分をせかしたりしていることがあります。刹那的に否定も肯定もせず、じっくりと待ってあげたいと思います。
「あなた自身との出会い」
すべては自分の意識を通した認識であり、自分の身で起こることはすべて自分との出会いであると思えば、すべて受け入れられる。
「八つ風吹けども動じず」
人前ではなく、人陰での自分の評判や印象を気にしがちです。見えないものに過剰反応する心をどうにかしたいです。
「椅子になる」
素敵な考えで、宮沢賢治の雨にも負けずの詩を思い出した。
「眼横鼻直を知る」
当たり前のことをありのまま受け入れる。シンプルだけど難しい。自分の価値はんだを入れずにありのまま受け入れられるように坐ろう。
「弓矢のたとえ」
自分のやったことをすべて実力と考える人よりも、他人のおかげ、運が良かったと言える人になりたいと思った。
いかがでしょうか?あなたも坐わりたくなりませんか?
最後に
私は座布を購入し、さっそく座る習慣を始めました。
法慧和尚の座禅会に参加したら、また感想を上げたいと思います。
それでは、晩御飯の支度をしに行きます。
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