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小話(1) 運とは他者への感謝

昨日、運を味方につけるという言葉を知人のブログで目にしました。
運とは何か。今日は運について私が経験した小話を書こうと思います。

オーダーメイドで樹脂や金属加工を行い、治工具を作成してくれる中小企業のY社長と打ち合わせしたときの話です。

発注予定の治工具の仕様について打ち合わせが終わった後、何気なしに、
「Yさん、社長として大切にしてきたものって何ですか?」と聞いた。

私は、経営の知識とか、社員とのコミュニケーションとか、理念や信念や覚悟を持つこととか、そういう答えを予想していましたが、Y社長はすかさず、

「ぎちおさん、それは運ですよ」

と回答。「運?」。

その後、運の意味を語ってくれるものと思い、半身を乗り出して
「例えばどういうことですか?」と合いの手をいれる。

すると、資金が苦しくなった時に社会情勢的に無利子・無担保でお金が借りられる制度ができたとか、オフィス用の電化製品を安く購入できたとか、そういった話が続いた。

「それは運がいいですね!」と元気よく相槌を入れるも、私としては、しっくりこない。

打ち合わせが終わり、宙に浮いた"運"という言葉の意味を探し求めながら、Y社長が伝えたかったことを丸一日考え続けた。

そして次の日、ピンッ!ときた!

運とは、自分の実力ではなく、他者の力のおかげ。つまり、何か成功したとしても、自分の実力と思わずに、他の何か(人、自然、サムシンググレイト的なもの)のおかげと思い、ひとえに感謝することを私は大切にしています。

わたしの脳内

と社長は言ったのだ!と思った。

数か月後、会った時に、
「Y社長が運が大切って言ったのは、こういう意味だったんですね!含蓄のある深い話をいただきました!」
と感動とともに告げたところ、手ごたえはイマイチ。その後は何事もなかったように、楽しい会話を続けさせていただきました。

運とは、自分ではないもののおかげさまということ。

禅宗の僧侶の話で、弓矢の話があった。

自分が矢を放ち見事的を射抜いた。それはあなたが狙いを定め、見事に弓を弾く力、方向の微調整を行った結果でしょうか。ひょっとすると、あなたが放った矢の先に、目に見える、目に見えない誰かがそっと的を書いてくれたからかもしれない。そんな風に考えてみてはいかがですか。

曹洞宗の僧侶の話

思いは違ったのかもしれませんが、個人的に大変良い学びを得た会話でした。何事も運だと思い、それをもたらすものへの感謝をしながら日々過ごしていきたいです。

最後までおよみいただき、この幸運に感謝します。ありがとうございます。


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