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父の帰宅 05

ヒサコさんは一〇月の後半に日本に帰国することになっていた。一時帰国ではなく留学を終えての帰国だった。マサはもう限界だとヒサコさんにいっている。もう神経が持たない、死にそうだと。ヒサコさんは自分が帰るまで待ってくれと伝えた。これからのことは私が帰ってから考えようと。マサはヒサコさんが帰ってくることだけを頼みの綱にパニック発作の苦痛に耐えていた。

この頃マサはオグマンディーノの『十二番目の天使』と『この世で一番の奇跡』を読んでいた。マサは事故から回復できたということである部分では前向きになっていた。そして以前のようにあらゆる情報に恐怖を感じることはなくなっていた。マサはそのポジティブな面を持続させるにはすり込みで脳に覚えこますしかないと考えていた。

そしてパニック発作を起こしそうになると『十二番目の天使』の栞に記された言葉、「ぜったいに、ぜったいに諦めない。日々すべてが良くなっているんだ」と唱え続けた。さらにこの世で「一番の奇跡」の神の覚え書きを繰り返し読み続けた。ほかにマサを支える手立てがないのだ。刷り込みは非常に科学的な方法だが、パニック発作を起こしている人間にはまず薬が必要だ。順番が違う。マサは三八回神の覚え書きを読んだところで読むことを止めている。

「オグさん、あなたのいっていることは全面的に正しいけど、読まないといけないと毎日思い続けることで俺はほとんど神経症になってきている。だからもう止める」。

マサはさすがに我慢できなくなってパニック発作を起こした後に母親に病院に通いたいと打ち明けた。そのときの母親は三浦綾子を読んでいた。彼女の生き方を引用して母親は自然体で生きろといっている。母親ならばパニック障害についてきちんと調べてマサの起こしている発作が自然体で生きようとする思いだけで軽減できるような代物でないことを理解しておくべきだ。パニック発作は神経伝達物質の誤作動で起こっている。非意識化のことをどうやってコントロールしろというのだ。そして極めつけの言葉は「育て方を間違ったな」だった。

マサは育てられたのではない、マサは自力で育ったのだ。あれほど劣悪な環境下で真っ当に自力で育ったのだ。むしろ両親はマサの成育の障害になり続けたのだ。わたしはこの言葉を許すことができない。

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