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夏休みの宿題

夏休みの宿題。

これほど嫌な名称はない。

俺の夏休みを宿題漬けにするつもりか!なんて勝ってに思っていた義務教育時代。


まぁ、義務教育時代夏休みの宿題を完了した事はない人です。
だから、今こうなっているんだろう。


夏休みの宿題について。
毎年、7月中に終わらせる人もいれば、多くは後で後での先延ばしで、8月最後の週に絶望を味わう人が多いだろうか。


絶望にならないように、毎日コツコツやって行くことを推奨される。が、絶望感を味わう事の大切さを知る良い機会だと言う事。

宿題は、その時だけだが、この時の絶望は今後の人生において必要となることばかりだ。


大人になって、今しかない。って思っている人はどのくらいいますか?
スポーツであれば、毎年が勝負であり今やらないと今後出来ない。と言う事を身に染みてわかるわけで、それをわかっているのにやらないのはなぜ?


仕事でも、今やればいいのに、真っ昼間にこうやってnote書いてるなんて。

夏休みの宿題。親としては、最後の週の絶望を味わう事が大変な事であり、そうならないように事前に今ある時間を使ってコツコツ終わらせていくんだ。と教える。


だが、絶望感を味わって始めて

『あの日あの時のあの時間に少しやっておけば。』

『あの日あの時はもう帰ってこない。』


を子供ながらに気がつく人生の大きな課題ではないだろうか?と思っている。

挫折しないとわからない。痛い目見ないとわからない。

これが常であり、それを見ないように味わう事のないように親としては、毎日コツコツと伝えていくんだろう。

別に宿題しなくても義務教育期間は毎年1学年上がって次第に卒業する。


それが当たり前になって、自分の時間は帰ってこない。というあの絶望を味わって、毎年味わって、義務教育期間9回味わって慣れっこになるのもいいけど、時間は帰ってこなくてやらなければまた、


“この今という時も逃してしまうのか。”

と義務教育期間に認識した途端に、思考が変わると思う。

この絶望感がなければ、とりあえずやっておけば良い。
ある程度やって完了してしまえば大丈夫。と絶望で、ある意味時間の大切さとあの時の自分の失敗と言うか、どうしよう時間が戻ってこない。という思考は生まれなくて、大人になってもとりあえずやっておく。


そうしたら大丈夫。と無駄なとりあえずやっておく。になるのでは?と。


多くが、若い時にしかできない事をやらないで、知らないでいつでも出来ると思っている。


親子リレーでいきなり走って転ぶのも良い例だろう。

失敗がないから、絶望がないから、そうならないのが当たり前だと思っている人が多くいるはずだ。


50代、40代で、どんなにやっても肉体的には若い頃の自分より劣る。


それが、宿題でわかれば20代で後回しなんて出来るのか?
宿題していたら、後回しとかしないだろうけど、やっておけば大丈夫。と疎かな努力にならないか?

絶望があったからこそ、今ぜんひよでやっておかないと、出来る事を最大限やっておかないと、取り返しの付かない事になる。と。


まぁ、大袈裟に無理矢理に書きましたが、本当に全部やった事ない。

自由研究やった記憶なし。
算数、やった記憶なし。全部埋めて提出しないといけない先生の場合は2学期が始まってそれを言われて、最後のページの答えを写して提出。

夏休みの絵は、芸術センス抜群の姉の横で同じモノを書いて、自分で自分の絵のセンスの無さを痛感し、なぜここまで姉と自分は違うのだろうかと絶望した小3以来書いた記憶ない。

必ずやっていたのは、なぜか日記だけだ。

日記だけは、なぜかやれたからそれが今にかなりいきていて、こうしてnoteを1200連続投稿したり、SNSで発信する事が苦にならないのだろう。


結果的に、夏休みの宿題で得た物は

『芸術的な絵などのセンスの無さに早くに気がつけた事。』


『日記によるSNSでの発信が苦にならずに当たり前に出来る事。』



毎年の選択は間違いじゃなかったよ。

絶望がある意味無かったけど、今しかないんだ。と言う事は身に染みてわかっている。

40代本当に動けなくなるよ。若者たちよ。

夏休み、体力つけておきなさい。

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