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日本の家紋文化、調べてみると面白い!


いつもありがとうございます。

唐突な質問ですが、自分の家紋知っていますか?家紋は6千種類以上あるそうですが、我が家は源氏車が家紋です。

最近は、家紋文化は薄れているように感じています。家紋はお墓に付ける印くらいにしか思っていない若い人も多いのかも知れませんね。古くは奈良時代後半から平安時代のころ衣装などへの印のために始まったようです。平安時代と言いますと西暦795年~1184年の平家滅亡の年で翌年から鎌倉時代になるのですか?1192作ろう鎌倉幕府と習った私の年代は古いですね!

源氏と平氏の戦いでは、最初は赤・白と別れた戦っていたようですが、段々と自分たちの印として家紋が広がって行き、当時の赤・白が現在の赤白の帽子の由来という説もあるようです。

また、江戸時代になると一般の方も名字や家紋取得が自由になって来て多くの人達が家紋を持つようになったようです。家紋は今でいう自分のロゴマークですかね?自分のロゴマークなら自由に使ってよいのですよね??

そんな我が家の家紋の源氏車、源氏車も幾つかあるようですが十二本源氏車・源氏車・重ね花形源氏車・・・それぞれの意味はよく分からないので今後調べてみたいと思います。平安時代の貴族の牛車(御所車)の模様がこの源氏車の由来と言われているそうです。

以前にも書きましたが、既に永眠している父の故郷は岩手県です。岩手県南部で震災の時は親戚いとこ皆連絡が中々取れず心配でしたが現在は主だったいとことは時々連絡を取っています。

そんな父の実家には家系図が残っています。かなり古くなっているので少し前に専門家にお願いしてエクセル化しました。私はコピーを取りに地元神奈川県から岩手県まで車でコロナ前に行きました。

家系図の始まりは西暦677年、奈良時代ですね。親父の実家のいとこは現在48代目となります。677年は世の中どうなっていたのか?

■西暦677年の出来事(歴史年表から抜粋)                        6月、天武天皇、東漢直等を七つの罪状をあげ戒告する          8月、飛鳥寺で一切経転読される
9月、高市大寺、大官大寺と改称される

673年に天武天皇が誕生、その1年前の672年に弘文天皇が誕生(歴史上定かでは無い)、その前は飛鳥時代(古墳時代)と言われる年代になるのでこの家系図は677年から始まり、現在に至っているのですね。東北大学の先生が何度も何度も見に来たと言っていました。

この家系図は大事に後世に残していきたいと思います。皆さんの家紋調べてみると新たな発見につながるかも知れません。


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